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2011年11月 7日 (月)

東京オリンピックとクラス対抗リレー

人にはそれぞれ好きな季節というのがあると思いますが、私の場合、10月から11月にかけてって、好きなんですね。夏暑いのも、冬寒いのも、それぞれ良いのですけど、続くとやっぱりめげてしまいますし、春は世間の人が云うほど浮かれた気分になれないんです。昔から、木の芽どきっていうじゃないですか。あれあんまり得意じゃないんですね。

10月に入ってだんだん空気が乾いてきて、朝晩が過ごしやすくなって、たまにグッと冷え込んだりすると、なんだか気合も入るし、欧米のように秋が新学期だった方が、学校の成績もよかったんじゃないかと思ったりしてたわけです。

夏が去って行った寂しさはあるけど、その寂しさがちょっと良くて、春と夏にためられたエネルギーが、スッと拡散して、次のフェーズに移っていく感覚があります。

いろいろあったけど、まっ、新しい気持ちで出直そうかみたいなところがいいんでしょうか。

あと、気持ちがいいのは、空が高いこと。なんだかせいせいしませんか。

体育の日って10月10日じゃないですか。これって1964年に東京オリンピックの開会式が開かれた日なんですけど、時の政府は、過去の気象庁の記録の中から、もっとも快晴の多かった10月10日を開会式の日に選んだという話を聞いたことがあります。

当時の日本人はみんな、この日を待ちわびていました。1945年の敗戦から、約20年。

この日のために東海道新幹線の開通を間に合わせ、首都高速道路を完成させ、世界中にこの国の再建を知らせる日でもありました。やはり、どんなことがあっても絶対に晴れてほしい日だったと思います。

快晴の国立競技場に、古関裕而作曲のオリンピックマーチが響き渡り、355名の日本人選手団が登場した時の感動は、あの時を共有した人々にのみ分かることかもしれません。

みんな本当に感無量だったわけです。その後、市川昆監督によってつくられたドキュメント映画「東京オリンピック」を観ても、そのシーンで必ず涙が出ます。当時10歳でしたが、今までで唯一、自分が日本国民なのだと自覚した出来事でした。この話を感動とともに伝えようとすると、ちょっと気味悪そうにする若い人もいますが。

その日は国民の祭日となり、毎年この日がやってくると、東京オリンピックを想い出し、全国的に運動会の季節となります。

個人的ですけど、その運動会で、一つ忘れられない思い出があります。

小さいころから運動会ってあんまり好きじゃなかったんですね。なぜかというと、ともかくスポーツというものが苦手なわけです。幼稚園のころから、徒競争という競技でテープを切ったことがなく、油断すると自分の後ろに誰もいないということが、ままありました。それが憂鬱な理由だったんです。

ところが、東京オリンピックの数年後、小学校の運動会で妙なことになります。私は高学年になっており、恒例のクラス対抗リレーの選手の選抜が進んでおりましたが、なぜか私がその中の1名に選ばれてしまったのです。

古い話で、うろ覚えですが、クラスの数は5クラス、各クラス5名の選手を選ぶことになっていました。私のクラスには、学年で一番速いカガワ君がいたのはおぼえています。そして彼以外にもかなり足の速い奴らがそろっていて、上から4人はすぐに決まりました。多分、あとの20名ほどは大差なかったんだと思いますが、私が選ばれる理由はなに一つありません。あとの一人は誰でもよかったから、誰になってもほかの4人で勝てそうだからだったのでしょうか。たしかクラス皆で投票したのですが、5人目に私が選ばれてしまいました。スポーツとは全く別のことで目立つ奴であったことは確かですが、面白がられたふしはあります。

なにせ初めてのことなので、母親にも話しました。母親はよろこぶ前に絶句しました。そうなんです、よろこんでる場合じゃないんです。次の日から真剣に練習しました。バトンの受け渡しとか。でも練習しても急に走る速さが変わるもんではありません。思えば仲間の4人はいい奴らでした。よく練習に付き合ってくれました。そして作戦会議、です。主に走る順番を決めますが、カガワくんが何番目を走るかが最も大事なことです。私はともかく決まったところを死ぬ気で走るしかありません。4人は考えに考え、あろうことか私をアンカーにする作戦を立てます。私にバトンが渡される前に、完全にぶっちぎろうという作戦なのですが、各クラスのアンカーにはチーム最速の奴がきます、ふつうはそういうものでしょ、あーあ、どうにでもなれです。

このクラス対抗リレーは、クラス対抗リレー史上、最も盛り上がったクラス対抗リレーになりました。私にバトンが渡された時、すでに他のクラスは、半周以上離されておりましたが、ここからの1周が恐ろしく盛り上がったわけです。競馬で云えば、私の好きな展開、逃げ馬が直線で差し馬に差されそうになりながら、逃げ切れるかどうかという展開です。Relay

私はただ無我夢中でしたが、だんだんに周囲の歓声が、異常な音量になってきました。後ろを見る余裕はないです。必死でした。テープを切った時、私のまわりには、団子状になった他の4人のアンカーたちがいました。いわゆる鼻差、写真判定か。しかし、かろうじてテープを切ったのは私でした。4人の仲間が駆け寄ってきます、スローモーションでした。あとにも先にも運動会でテープを切ったのは、この時だけです。しばらく夢でうなされたりしました。

あれから、大好きなこの季節になると、よくあの事を思い出します。でも、勝って良かったです。負けてたらきっと嫌いな季節になってたような気がしますもんね。

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