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2020年9月29日 (火)

続・犬の賢愚の法則

この夏に起こったことでつらかったのは、愛犬マリンが身まかったことでした。あと1ヶ月程で16歳でしたから長生きではあり、ちょっと弱ってはいたものの、性格的にもきちんとしたキャラで、多少我儘にはなってましたが、相変わらず賢い子でしたので、家族は全く覚悟しておりませんでした。具合が悪くなってから間もなく、最期は心不全だったようで、あっけなくて、主治医のところへ運んだ時には間に合いませんでした。

そういった突然のことでしたから、私ら家族の喪失感は想像を大きく超えたものでして、考えてみれば、そもそも十分に老犬でしたから、そういった可能性を理解してはいましたが、こればかりは応えたんですね。

私もカミさんも娘も、その晩はしみじみ泣きました。大阪に単身赴任している息子にも電話して伝えましたが、無口な人なもんで、普段はラインするくらいで電話で話すこともないんですけど、ずいぶん長い時間、そのことを話しました。

出来るだけ手厚く見送りたいねということで、調布に深大寺動物霊苑というところがあって、きちんとお葬式をしてくれるということを主治医から聞きまして、そちらに運んで荼毘に伏しましたが、ずいぶん丁寧にやっていただきました。

それが8月の初めのことでしたが、いまだにぽっかり穴があいたようなところがあり、考えてみると長いこと一緒に暮らした家族でしたもんでね。いや、ほんとに賢くてよいこでした。

さて、うちにはもう一名、愛犬がおり、マリンが4才の時に産んだ息子なんですが、この息子のことも心配だったんですね。まあなんて云ったらいいか、親一人子一人でしたから。といっても生まれて10年以上経ってるし、人間とは違うので、それほど親子のふれあい関係があったわけじゃないんですけど。

ただ、どこまで理解してるかどうかはわからないんですけど、やはり、しょげてるようで、元気ないんですね。母の死後は、しばらくソファの下に入り込んだまま、水を飲むくらいしか出てこなくなってしまい、ほとんど吠えなくなって、ごはんも食べなくなり、見たところやつれたようにも見えて、しばらくして、本気で心配になってきたんです。

ともかくなんか食べさせなきゃということで、食べ物も手を変え品を変え、いろいろ試すんですが、相変らず食欲がなく、元気ないわけです。

そんなことがどのくらい続いたでしょうか、そのうちどうにか人の手からだけは物を食べるようになり、それから好き嫌いはありながら、食欲も戻ってきて、ソファの下からも出てこれるようになりましたが、この人なりのダメージがあったのかなと思います。

今では、体重も戻ってきて、ワンワンよく吠えるし、元気になって来ましたが、なんか食べ物の好き嫌いが多くなったり、人を呼び付けるようになったり、前よりわがままになった気がしますね。

この件で、みんなが何かといたわるもんだから、ちょっとその気になって、ボクなりに淋しい思いをしてるんだから、ちゃんとかまってくれよなと思ってるのか。

いずれにしても、このところちょっと調子に乗ってるような気がするんですね、

このチップ君。

Chip2

賢い母犬がいなくなって、愚かな息子犬だけになって、少し賢くなるといいんだけど、あんまり変わらないようです。まあ、この人にはこの人の、良いところはあるんですけどね。

 

2015年3月27日 (金)

犬の賢愚の法則

やはり例年、お彼岸を過ぎると寒い日が少なくなってきて、ポカポカと暖かい日が増えてきますが、朝晩はまだ寒いことが多いですね。だからというわけではないのですが、私の寝床には毎晩犬が2匹寝ております。人間が寝床に入る時にはベッドの横の自分達の寝床で寝てるんですが、必ず夜中にベッドに上げろとワンワン云うのです。

仕方なくベッドに上げると、母犬の方は、羽毛の掛け布団の上で眠るのが好きで、私の腹のあたりに乗ることが多く、倅犬の方は何故か人の枕に乗り掛かったり、頭を乗せて横になります。こういう状況になると、私も寝返りなどの動きが制限されまして、顔のすぐ前に倅犬の尻があったり、夜中にうなされて起きると私の胸の上で爆睡している母犬がいたりして、やや窮屈なことになるのが秋から春にかけてのこととなります。まあ夏は暑いので、玄関の石の上が気持ちが良いらしく、寝室には入ってこないんですけどね。

この二匹というのが母と息子なんですが、母が10才、息子が6歳のグレーのトイプードルなんです。トイプードルと云うのはわりとちっちゃいんですけど、せまい家で一緒に暮らすと、これが、けっこうな存在感を示します。 

このブログにも書きましたけど、この母犬のマリンが、6年前に大騒ぎの出産をして、一匹だけ産んだ息子がこのチップでして、以来、我が家は人間4人と犬2匹の構成になっているわけです。

犬というのは、いっしょに暮らす人間にきちんと向き合って、じっと見つめて生きていくとこがあって、自分のことを、いつもかまってほしいというとこがあります。そこが可愛いんだけど、あんまり託されると荷が重いところもあります。距離感で云うと猫なんかの方が、お互い勝手に生きてる感じが楽な気もするんですけど、うちはカミさんが猫が苦手なので犬なんですけど、そういうとこがあって、うちは犬に、犬らしいしつけのようなことを一切しませんから、芸は何もできません。お座りもできんと思います。まあ ちっちゃい犬だからいいんでしょうけど、大きな犬だとしつけをしないと絶対に一緒に暮らすことはできませんからね。まあそういうふうに暮らしてるから、ベッドとかソファで無防備に寝てる姿が、ちょっと猫っぽいとこがあるんでしょうか、うちの犬たちは。

 

私の友人のNヤマサチコ女史曰く、動物を2匹飼っているたいていの場合、片方が賢いと、もう片方は愚かであるという法則があるそうなんです。女史は代々猫を飼っておられて、経験上あきらかにそういうことなんだとおっしゃる。彼女のブログには、頻繁にいっしょに暮らす猫の話が出てきて、読んでると確かにそういうところがあります。この話を聞いたときに、私も、はたと膝を打ちました。うちの場合も確かにその通りなのであります。

母犬のマリンは、子犬でうちに来た時から、礼儀正しくて、我慢をすることができるタイプで、まあ多少わがままなところもありますが、それは、なんかお嬢様育ちのわがままと云った感じで、いわゆる賢い子なんですね。妻は、

「この子は私に似たわ」と云ってます。

それに比べて、息子のチップの方は、我慢ということを知らない。何でもやりたいことはやる。そのくせ淋しがりで、いつもかまってかまってと云う。気が小さくて怖がりだから、舞い上がると吠えまくって、トイレなども失敗の連続。いわゆるおバカさんキャラなわけです。

たとえば、二匹を連れて散歩に行くとですね、母犬の方はきちんと私の斜め後ろを、まっすぐに私の速度に合わせて歩きますね。倅の方はと云うとですね、私の前後左右をジグザグに全く無軌道に歩きますね。紐もこんがらがるし、私もマリンもすごく迷惑なんです。それでチップは、一人だけそうやって余分に歩くもんだから、途中で必ず疲れ切ってしまい、そうすると自分のリードを噛んで引っ張って、抱っこしてくれと云うんですね。そこでマリンの方を見ると、スミマセンガ抱っこしてやっていただけますか。と、ちょっとすまなそうに眼で云うんです。散歩に行くといつもそうなります。

血の繋がった母子、母が自ら産んだ息子なのにこの違い。顔だけは似てるんですけど。

Nヤマサチコ女史の言われる、賢愚の法則が明らかに証明されております。

しかし、こうやって母犬が来て10年、愚か者が加わってからも6年となりますと、彼らがいる風景が普遍となります。

チップのことを、「この子はあんたに似たわね。」 と妻は言いますが。

Marinchip

2008年12月19日 (金)

マリンの出産

暮れも押し迫って、何かとあわただしい12月のとある日、愛犬マリンに子が生まれました。

マリンは4歳のトイプードルです。男の子一匹を出産したのですが、これが大変でした。大変だったのはマリンなのですが、私たち人間も、家族全員で徹夜になりました。

というのも、思いの外の難産だったからです。犬印の腹帯は、安産の印で、犬はいつでも安産などという例え話は、大きな間違いだということがわかりました。犬を飼っている知り合い何人かにも聞きましたが、わりとみんな安産ではなかったといっていました。やはり、野山を走り回ってた頃の犬とは違い、都会のマンション暮らしのワンちゃんたちは、事情が違ってきてるのだろうと思います。運動不足なんですね、きっと。

数日前から、インターネットで、犬のお産の記事を読み、ブリーダーさんにも獣医さんにも相談して準備を始めました。家族の中でもっとも熱心なのは妻です。やはり唯一の出産経験者だからでしょうか。私などはつい数日前まで、「えっ、うちで産むんだ。」「産婦人科じゃないんだ。」とか言って、ひんしゅくを買っておりました。

その日はいわゆる予定日で、早めに帰宅しました。晩御飯を食べたあとあたりから、陣痛が始まりました。昼間より夜間出産することのほうが、圧倒的に多いそうです。はじめは、落ち着きがなくなって、家の中を歩き回りながら鳴くようになり、お産用のダンボール箱に入っている時間がだんだん長くなってきます。それからは、時々苦しそうにするので、さすってやります。そうこうしているうちに、夜中になったのですが、まだ産まれる気配はありません。予習した知識では、とっくに深めの陣痛がはじまってるころなのですが・・・・

夜中も3時を過ぎ、家族全員で不安になったので、担当獣医さんに電話をしました。留守番電話です。この獣医さん、この界隈ではちょっと有名な獣医さんで、なんて言ったらいいか、サービス業的なところがまったくないというか、診療所もきれいじゃないし、連絡もなかなかつかないし、基本的に愛想がないし、しゃべると横柄な感じだし、近所では「赤ひげ」とあだ名をつけられたりしてるんです。ただ、腕はいいんですね、これが。

まあ、案の定連絡が取れないんです、やっぱり。

相当不安になっていた午前4時頃、何の前触れもなく突然ピンポンがなって、赤ひげがあらわれました。陣痛が深くなって産まれやすくする処置をテキパキやってくれました。

「これで明け方までに産まれるといいがなあ、ガハハハハッ」とかいいながら赤ひげは去っていったのですが、確かにその後からマリンは深く苦しみ始めます。

でも、産まれないんです夜が明けても。

家族全員で励ましながら、かなり衰弱しているのがわかります。相当心配になって7時半頃また赤ひげに電話をしました。やっぱり留守番電話のままで連絡が取れません。しばらくいらいらした頃、突然、赤ひげから電話がかかりました。いつも突然なんだよなあと思いつつ、声を聞いたときは、地獄に仏でした。

「そうかあ、産まれないかあ。すぐ連れに行くから家の前で待っとくように。」

電話を切って、マリンを抱いて家の前に出たら、もう赤ひげの車は停まっていました。

まったくこの人、遅いんだか早いんだか。

私たち家族は、ただ、ただ、マリンの安否が心配でした。

徹夜明けのまま出社した私に、夕方妻から連絡があり、帝王切開で手術をおこなったこと、胎児が産道に引っかかってかなり危険だったこと、でも、母子ともに助かり、さっき赤ひげと帰ってきたこと、赤ひげが一部始終を、鼻の穴を膨らまして語ったことなどを、おしえてくれました。

帰宅すると、麻酔でぐったりしたマリンと、ティッシュの箱にホカロンといっしょに入れられた120gの息子がいました。

ここで聞いた話が、かなり心配な話でした。

つまり、帝王切開を受けた母犬は、自然分娩した犬に比べて、子供を産んだ実感をもてないことがあり、まして大手術で消耗しきっている上に、麻酔も残っているので、子供を近づけたときに、噛み付いたりすることがあるというのです。げんに病院で近づけたときには、払いのけたそうで、もしも噛み付いたりしたら、120gの命はひとたまりもありません。

それじゃ近づけなきゃいいのかというと、それもだめで、離したままにしとくと育児放棄につながるというのです。

この親子対面の儀式は、私がやることになりました。妻はいろいろあって疲れきっているし、子供はマリンを抑える自信がないし、だいたい子供二人とも期末テストの真っ最中で、昨日のお産の徹夜で、今日受けた教科は完全玉砕したとか言ってるので、はやく勉強しろっちゅう感じなのです。

緊張しました。4年間いっしょに暮らしたマリンは、疲れ切っていて今まで見たことのない顔つきになっており、全然別の人格(犬格)になってしまってます。

まず右手でマリンの口を押さえて、左手に120gをのせて近づけます。まったく母親のリアクションはありません。だんだん臭いを嗅ぐ仕草をしますが、すぐ関心を失ったかのようになります。ころあいを見計らって、口を押さえている右手をそっとはずしてみますが、なめようとはしません。だんだん顎の下に置く時間を長くします。1時間ほどしたときに、ちょっとなめました。ちょっとしてもう一度なめました。そして、ついに、自分の前足で抱いてペロペロペロペロ、なめたんです。なんだか昨夜からのことが走馬灯のようにめぐりました。涙がポロポロでました。おっさん久しぶりに泣いた。

「えらかったなあ、マリン。」  何度も言ってました。

それから母犬は、自分の体力の回復もそこそこに、かいがいしく子の世話を続けました。

その後、少し落ち着いたときに妻が言いました。

「マリンも、一人で産んで、一人で育ててるんだね。」

確かに、そこに父犬はいません。自らの子育てを思い出しているようでした。Marin_2

2007年7月 3日 (火)

海ちゃんの思い出

先日、我が家の新たな一員となるべく一匹の子犬がやってきました。のちのちは毛がグレイになるというのですが、今のところ、まっ黒な毛糸のかたまりが移動しているようにしか見えない生後2ケ月のトイプードルです。この春まで住んでいたところは、ペットが禁止だったし、子供たちが小さいときは、彼らそのものが動物のようなものだったので、犬を飼うなどということは考えもつきませんでした。いつだったか、私のある友達が犬を飼い始め、「夜、うちに帰ったときに迎えてくれるのは、アイツだけだ。」といっていたのを思い出しました。そんなこともあって、引越しを機会にそういうのもいいかなと思い、子供たちと盛り上がり、いくぶん慎重な妻を説得し、ここにいたったわけです。 

ふと、前に犬と暮らしたのは、いつだったかなと記憶をたどったところ、海ちゃんという犬がいたことを思い出しました。学生の頃、多摩川の河原で出会い、後を付いて来たので学生の共同アパートで飼いはじめました。はじめ誰かがオスだと云い、カズマと命名され、しばらくしてメスであることがわかり、海ちゃんと名付けられました。

何せ貧乏な学生たちのこと、首輪も犬小屋もなく、放し飼い状態。ゴハンも1日2食が、なかなかもらえず、腹をすかしていると、親切なご近所のおばさんに残り物をいただいたりしておりました。そんな日がどれくらい続いたでしょうか、子犬から少女犬くらいになった頃、海ちゃんは家出を決行しました。こんなところにいたら先の望みはない、こいつらはダメだと思ったのでしょうか。向上心を持ち合わせていた彼女は、アパートを去りました。

Umi_3 さて、それからまた数ヵ月後、隣町の商店街で、私はりっぱに成長した海ちゃんと出会ったのです。ちゃんと首輪をつけて、優しそうなご婦人に連れられていました。ご婦人は八百屋で買い物をしていました。「おい、海じゃねえか。」5メートルくらい離れていましたが、まちがいなく海ちゃんでした。海ちゃんは私を見たあと、ちょっと困った顔をして、スッとご婦人の足元に隠れました。無理もなかったと思います。

うちの子犬は、マリンちゃんと名付けられ、一日2食モリモリ食べて走りまわっています。今度はちゃんと育てねば。

2004/12