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2010年3月 8日 (月)

真夜中の「秋日和」

冬の真夜中、BSで小津安二郎監督の特集をやっていたようで、ある夜、遅く帰った時に、「秋日和」を見てしまいました。平日の夜中の2時でしたし、こんなもの見てしまったら大変だなと思い、適当に切り上げるつもりでしたが、見始めたら、つい最後まで見てしまいました。というか途中でやめられなくなりまして・・・そして、良かった、すごく。 

かなり前に、多分20年くらい前ですが、当時ビデオ化されてレンタルビデオ屋に並んでいた小津作品を端から一気に見てしまったことがあります。戦後の作品ばかりだったと思います。どの映画も、お話の設定も、出演者も、テンポも、世界観がよく似ており、記憶の中でどれがどの映画かわからなくなっておりました。そんなことで、この夜この映画を見ながら、ああ、あんな見方をするんじゃなかったと、後悔いたしました。それぞれの映画は、実際は何年もかかって少しずつ公開されたわけで、あんな見方をするべきではありませんでした。 

「秋日和」は1960年に公開された小津監督の最後から3番目の作品です。原節子さん演じるある未亡人を中心に、その一人娘の縁談を通して、周りの人々との触れ合いが描かれ、最後は、娘の結婚式を終え一人になった主人公が、アパートに戻って床に着いたところでラストシーンとなります。小津監督の数々の映画に出演した原節子さんは、「秋日和」の10年前には、「晩春」で老父を一人残して嫁いでゆく娘を演じてもいます。そして、なぜか小津監督が亡くなった1963年以降、映画界から身をひいてしまいました。 

初めて小津監督の映画を見たのは、「東京物語」でした。この映画は、私の生まれる前年1953年に公開されており、私は学生の頃TVで見たと思います。その時、ほかの映画では感じたことのない、静かな強い意志で何かを伝えられたような、強烈な印象が残りました。そのあとも、何度かビデオを見たり脚本を読んだりしてみましたが、何度見ても、胸の奥の深いところに何かが残ります。 

小津さんの映画には、ごく普通の人々のごくありふれた日常が描かれており、その人生の節目節目に訪れる、出会いや別れがたんたんと表現されております。そして、いつも同じある読後感に包まれます。このゆっくりとした独特のテンポの、起伏の少ないお話に、どうしてこんなに引き込まれるのか。そんなことを思いながら、今回もすっかり朝まで、お付き合いさせていただきました。 

もう一本、この数日後に朝までお付き合いしてしまった映画が、CSで夜中に放送されていたヴィム・ヴェンダース監督の「東京画」でした。「秋日和」で深く唸ってしまった直後ということもありましたが、あのたんたんとした映画を、またしても朝まで見てしまいました。

この映画は、1983年に小津安二郎を敬愛するヴィム・ヴェンダース監督が「東京物語」の舞台となった東京を訪れ、映画が製作された1953年の30年後のすっかり変わってしまった東京の日常を撮影したもので、その間、鎌倉の小津監督の墓を訪ねたり、主演の笠智衆や撮影の厚田雄春にインタビューをしたりしています。そして、この映画のトップには、「東京物語」のトップシーンが、ラストには、ラストシーンが盛り込まれています。

ヴィム・ヴェンダースがとらえる1983年の東京の風景も面白いのですが、興味深かったのはインタビューでした。笠智衆と厚田雄春。この二人が語る内容は非常に似通っています。そして、二人とも小津監督のことを先生と言います。

笠智衆さんは、1920年代の小津さんの映画にすでに出ている常連の役者さんですが、彼は、芝居はすべて先生の指示通りにやった、自分は無器用でなかなか先生の意図通りにできず、何度もテストをして指示通りにやったと繰り返し語ります。そして、先生は、映画の中の、すべてのことを小津安二郎にしてしまわれます。役者として先生から学んだことは、自分を忘れ白紙になるすべでした。役者としてまっ白になり、あとは先生の考えられた通りにするだけです。なにものでもなかった自分は、先生によって笠智衆になりました。先生が私を作った。先生と私の関係は、ただ教えられるだけの関係でしたと・・・

カメラマンの厚田雄春さんは、1929年から撮影助手としてかかわり、1937年以降の松竹の小津作品すべての撮影を担当した方ですが、撮影はすべて先生の指示通りにしました、撮影位置もアングルもそうです、私はカメラマンではなくカメラ番でしたといわれました。照明のアイデアなど懐かしく語りましたが、途中で泣き崩れてしまいインタビューは終わります。

小津組と言われる常連のスタッフ・俳優に、彼が尊敬され愛されていたこと、映画の撮影となると、完璧主義といっていいほど徹底的に細部まで演出する気難しい一面があったことが伝わってきます。

でも、その細部に対する監督の意図は、こうやって50年たった今でも、観客に届いていることがわかった真夜中でした。

もう一度、いま見ることのできる小津作品をあらためて見たいと思いました。しかし、今度はゆっくりと。

真夜中というのは、落ち着いてゆっくり映画を見ることがでる時間帯だということが、あらためてわかります。

特にじっくり効いてくる小津映画にはピッタリです。

Tokyo-monogatari  
   

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