炎熱・甲子園
言わずと知れたこの夏は、例年にもまして凄まじい酷暑なんですが、そんな7月の30日に、甲子園の阪神✖️巨人戦をアルプススタンドのほぼ最上段の59段から見物してきたんです。
阪神は去年珍しく優勝したし、この夏には是非、甲子園で阪神戦を観戦しましょうという事で、今回一緒に行ったオジサンたち4人で、早くから決めて計画し、シーズンが始まる前から楽しみにしておったようなことです。
今回、引率してくれたのは、長い友人で大阪で生まれたフジヤンという人で、物書きの仕事をしていて関西文化には造詣の深い人なんですね。もちろん阪神タイガースファンという事でも筋金入りでして、そこんところは痛く気が合っております。
この日は、甲子園ができてちょうど100年というスペシャルな記念日のカードで、一番人気の巨人3連戦でもあり、スタジアムはとっくに完売の超満員、ただでさえ暑いところに大熱戦で、球場はヒートアップ、汗は吹き出し、ビールは売れます。
あの地鳴りのような大歓声も味わいながら、ゲームも5−1で快勝、エース才木の9勝に、大山と森下のホームランも出て、この夏1番のナイター見物になったわけです。まあ、その日は半日、甲子園の異様な熱気に包まれた疲れで、ホテルの近くのバーで一杯ひっかけたら、即バタンキューでしたが。
せっかくの関西旅行でもあるし、次の日は有馬温泉でも行こうかということになっていて、フジヤンお薦めの老舗旅館に投宿しました。かつて谷崎潤一郎さんが執筆もされたという宿の湯につかりますと、なんだかこちらまで文学的な人になったかのような気になりましたが、それはそれとして、夜は夜で、甲子園の阪神・巨人戦をテレビ観戦しまして、またしても盛り上がってしまったというわけです。
次の日は、昼前まで旅館でゴロゴロして、バスで神戸の街に出て、これもフジヤンお薦めの元町駅近くの美味しい老舗中華屋さんで、紹興酒で乾杯でもして解散しようかという事でした。
ただ、昼食前に小一時間程、時間が余ることもあり、私が子供の頃住んでいた神戸の街へ4人で行ってみようかということになりまして、暑いし、駅でタクシーに乗り込んで行ってみたんですね。
これは他の3人にとっては単なる神戸の坂道なんだけど、私にとっては小学校から中学にかけての、生活路、通学路でして、そこに立ってみると、ブワーっといろんなことが蘇るんです。周りの風景は全く私の知らないことになっているんですけど、ただ目の前のその道だけは、自分が立ったことのある実感がしっかりあるんですね。
なにせ1960年代の大昔に住んでいた街で、それから1995年の阪神大震災で、一度、街ごと壊れてしまいましたから、景色が変わっているのは当たり前ではあるんですけども、ただ、歩いてると、ここには何があったかとか、ここはこんなだったなとか、ぶつぶつと記憶が蘇ってきたりします。
通ってた小学校にも行ってみて、もう学校名も変わって、校舎も建て替わってるんですけど、昔、玄関横の池に立っていた二宮金次郎の像が、校門脇に移設されていたりして。ちょうど夏休み中に登校してきた先生が、学校の中に入れてくれて、いろいろ最近の学校の様子などを教えてくださったりしました、一応卒業生だし。この先生、どう考えても私の息子の年齢くらいでしたけど。
ちょっと急にあまりにも多くのことを思い出して、混乱もしたので、皆んなと昼食を食べた後も、暑い中一人で少し歩いてみたんですね。姿は変わってしまったけど、この街に暮らしていたことは、はっきりと思い出せました。なつかしいこの地に、ずいぶん長い間訪ねてこなかったのは、この地を思い出すときに、どうしても避けられないつらい記憶があるからだったと思います。
私が中学生になった年に、私たちの家族は8才になった弟を病気で亡くしたのですね。今思い出しても、そのことはあまりにも大きなダメージで、深い傷を残しました。その時の記憶は今でも空洞のままになっています。
結局、彼を失ったその夏、4人から3人になったうちの家族は、この街を離れました。
子供から少年期にさしかかる頃に過ごしたこの街のことは大好きだったんだけど、なつかしさと背中合わせに、その記憶に向き合うことがちょっとしんどくて、あまりここに来なかったかもしれません、古い話なんですけど。
さて、夏の盛りに巨人に3連勝した絶好調の我がタイガースは、その後、好調を維持しているとは云い難いのですが、今も優勝連覇を目指して戦い続けております。
そして一夏、高校球児たちに明け渡した甲子園にいよいよ帰ってくるのです。
佳境を迎えるプロ野球ペナントレースに、どんなドラマを観せてくれるのでしょうか。
悲喜交交(ひきこもごも)の夏の仕上げであります。
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