「新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会」のこと
プロ野球シーズンも終盤に差し掛かりまして、半年かけたペナントレースで優勝するというのは、それでなくても盛り上がるもんですけど、今年の広島カープの優勝に特にスペシャルな嬉しさがあるのは、それが25年ぶりであるということでして。25年前と云えば、1番-田中広輔、2番-菊池涼介、3番-丸佳浩の同い年俊足トリオが全員2歳だったりするわけですから、ずいぶんとためがあるんです。
だいたいこのチーム、1975年の初優勝の時も球団創設から25年かかっておるんですが、ただ、1975年から1991年までの16年間には6回優勝しているんだから、この頃は結構強かったわけです。そのあと25年間優勝できなかったのは、やはり資金を持たないチームの辛さでして、ちょうど1993年から導入されたFAシステムの影響で、主力選手が他チームへ移ってしまったり、かといってFAでの補強もできず、また、その頃ドラフトに逆指名制度が導入されたのも、このチームにとっては逆風になりました。チーム力低下に伴い、順位も下がり、観客動員も減り続け、球場の老朽化などもあって、しばらく冬の時代が続いておったわけです。
ただ、このアゲンストの時代、球団は手をこまねいていたわけではありません。もともとこのチームは資金がない分、新戦力を探してくるスカウト陣には定評があり、全国のアマチュア、海外の選手などを発掘し続けます。そして、その原石を磨きに磨くわけです。ともかく、カープの普段からの練習量は半端じゃなくて、昔、金本さんがカープから阪神に移籍した時に、そのタイガースの練習量の少なさに驚愕したと云います。
そして、一定の強化を続けるうちに、2007年に発覚した複数球団の裏金問題で、逆指名制は廃止となり、このあたりから逆襲に転じる契機となります。
球団も色々とファンサービスを工夫しまして、徐々に球場に観客を呼び戻し始めました。資金のこともあり、ドーム球場はできなかったけど、本場のボールパークのような魅力的なマツダスタジアムを完成させ、そこにアイデアあふれる観客席も作りました。
そんな苦労が少しずつ報われ、このところ少しずつ順位も上げて、何年か前からカープ女子などと呼ばれるおねえちゃん達も現れて、なんか盛り上がってきたところです。ちょっと前の東京ドームで行われた巨人×広島戦などは、満員の客席のほぼ半分は真っ赤で、東京にこんなにカープファンがいたのかと思えるほどの社会現象となっております。
そして、この数年少しずつ膨らんできた優勝への機運を一気に盛り上げ、その選手たちやファンの精神的支柱となったのが、黒田博樹投手です。さんざん語られていることですが、2007年に大リーグへ渡ったこの人が、一昨年、何10億と云われる大リーグのオファーを断り、広島と推定4億で契約して帰ってきたことは、ずいぶん大きな出来事でした。
彼は1997年に入団し、2007年までに103勝してチームのエースとなりますが、その間チームは低迷します。FA権を取得して2年目、悩む黒田が大リーグ挑戦を決めた後の囲み取材で、
「広島が常勝軍団だったら、ことは違っていたのか?」という記者の質問に、目を真っ赤にして、
「・・・・・・。大リーグ行きはないと思います。」と答えました。
そして、もし日本に帰って来ることがあれば、必ずカープに帰って来ると云います。
そして、ドジャースとヤンキースで合わせて79勝して、本当に帰ってきたわけです。
いや、多くは語らないけど、かっこいいです。マスコミは男気黒田と云ってはしゃぎ、カープファンは痺れました。その1年目、黒田は11勝の奮闘をしましたが、ペナントレースの成績は4位に終わります。1975年生まれの、ちょうど40歳になっていました。その黒田が、来年もやると云いました。泣けるよなあ。そこで迎えたのが今シーズンだったんですね。ファンもナインも燃えます。
そして、もう一人、攻撃の中心となったベテランに新井貴浩選手がおります。この人もある意味結果的には、優勝への精神的支柱になるのですが、ちょっと黒田とは事情が違っているんですね。
この人は1999年に入団して、2007年までに987安打を放ちチームの中心打者となっていました。しかし、チームは低迷期であり、優勝できるチームで活躍したいと願い、黒田と同じ時にFA権を行使して阪神に移ります。この時の記者会見で、
「辛いです。カープが好きだから・・・」と云って、ポロポロと涙を流しました。
黒田が海を渡ったのに比べ、新井は同じセ・リーグの阪神に行きましたから、カープファンからは野次られたりもしました。そして阪神にいた7年間はヒットも打ちましたが、腰痛に悩まされたりもして、けして万全ではありませんでした。結局優勝もしてません。
2014年、新井阪神最後の年、成績は、176打数43安打3本塁打31打点、打率.244でした。大幅減俸通告を受けた新井は、球団に自由契約を申し入れます。
この時、右打ちの長距離打者が補強ポイントであった広島が、獲得に動きました。阪神が提示した年俸7000万を下回る2000万という広島の提示を、新井は即決で受け入れます。広島は生まれ故郷でもあり、自分を育ててくれたカープで最後はプレーしたいと思ったのでしょうか。この時38歳。そして、帰って来た新井をファンは黒田と同じように、お帰りと云って暖かく迎え入れます。
そこから今年にかけての大活躍は、すでにご存知の通りなんですけど、実はこの人が8年ぶりに帰って来た2015年2月の日南キャンプで、ベテランの石原を中心に後輩達が焼き肉屋で、新井さんのことを招待した飲み会があったんですね、。この会が、
「新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会」という名前の会だったそうです。
かつて自分から出ていって、選手として盛りも過ぎて、結局優勝も経験せず、ノコノコ帰って来た負い目もあったかもしれないけど、新井はこの会ですごく楽になったみたいです。仲間のユーモアに救われたということでしょうか。そして、そっから死ぬ気で鍛えに鍛えて、復活を果たしました。
このチームの25年ぶりの優勝という大きなストーリーには、2007年に出ていって2015年に帰って来た、ややとうの立った二人のベテランの、それぞれのストーリーが、少なからず作用していたわけであります。
私は阪神ファンで、新井選手が阪神で不調のときは、ヤジり倒しておりましたが、広島に帰ってからの別人のような活躍と優勝への貢献は、素直に嬉しかったし、胴上げで黒田が泣いた時は、オジサンも泣いたです。
そういえば、昔、阪神のエースであった天才江夏は、優勝せぬまま球団を追われ、4年後に広島でストッパーとして、初のリーグ優勝と日本一を成し遂げたのでした。又、2003年に18年ぶりに阪神が優勝できたのは、広島から金本選手が来てくれたおかげでした。
野球というスポーツを見て、得られる感動というのは、つくづく感情移入できる選手の活躍だなと思いますね。
このところの阪神には感情移入できる選手がなかなか少ないのですが、金本さんが監督で帰ってきてくれて、時間かかってもよいので、ちゃんとチームを作ってくれることを期待しています。今年はとりあえず最下位くさいけど、近い将来ということで。
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