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2016年9月 1日 (木)

萩・津和野 うたた寝旅

仕事のせいか、旅をするということには、わりと慣れておりまして、結構いろんなところへ行った記憶があります。最近は現場を離れているので、それほど彼方此方と行くことはありませんが。

昔は、時刻表を片手に聞いたこともない駅に降り立ったり、トランジットの時間がギリギリになった飛行場を全力で走ったり、自分で車を運転して1000km以上走破したり、思えばいろんなことをしておりました。

仕事での旅の目的は、ロケハン・ロケ・シナハンなど、大勢で行くことも一人で行くこともあり、よく調べてから出発する場合もあれば、急に飛ばされることもよくありました。だもんで、習慣的に旅の支度は早くてですね、長い旅でも短い旅でも、支度は出発の当日か前夜にチャカチャカとやってしまいます。チケットやパスポート以外は、たいていのことはいざとなればどうにかなりますしね。したがって枕が変わって眠れないということも全くなく、大嫌いな飛行機でも2~3杯飲んだら爆睡できます。まだ不慣れな頃、初めてハワイ便で好きなだけ飲んでいいですということがあって、本当に好きなだけ飲んで大変な思いをしたことがありましたが、気圧が低いと悪酔いすることも知らなかった頃のことです。

そういうことで、旅と云えば仕事がらみのことがほとんどだったんですが、このところは、たまにプライベートな旅にも行くようになってきました。私用だったり、家族旅だったり、仲間旅だったりしますが、そのなかで、7~8年前からたまに思いついた時に行く男三人旅と云うのがあって、ちょっと恒例化しております。「大人の遠足」とか云って、いつも2泊くらいの旅なんですけど、このメンバーで今度はどこそこ行こうかとか云いながら、飲んで盛り上がるんですね。まあ言うだけで実現しないのも多々あるんですけども。

このお二人と云うのが、S山さんとY田さんと云って、かつて一緒にいろいろお仕事した方たちなんですが、私よりも6歳ほど年上の大先輩で、二人は昔から大の仲良しなんですね。まあ、私からすると、仕事を教えて頂いた方たちなわけですが、初めて会った時は皆20代でしたから、ずいぶん長いお付き合いということになります。

そういう関係性ですから、行き先が決まると、よし、じゃさっそく準備しようとなるのですが、振り返っても誰もおりません。飛行機の手配したり、車借りたり、宿を予約したりは、私がやります。かつて3人で仕事していた時も、それやるのは当然、私の役目でしたから、ほかの二人がそれやるのは、むしろ不自然なことになるわけです。誰か私より若輩な者を加えることも考えたんですが、なかなか適任者も思いつかず。そんなことで、この会はこの三人で行くのが決まりとなっております。

どんな旅かと云うと、たとえば「静岡しんこ計画」「気仙沼ほや・さんま計画」「2月の近江路、発酵食品を訪ねる」「古都、桜と筍」「南淡路、鱧と玉葱の鍋」「平城遷都1300年、義経、西行、太閤の千本桜の旅」「屏風『親鸞』拝観」「唐津、焼き物探索と鮨」「長崎ぶらぶら旅、餃子」「カープがんばれ応援ツアー」「師走京都、ふぐ、ぐふふ」など、若干、食べ物への下心が見え隠れしますが、大人の好奇心を満たす内容となっておるのです。

今回、久しぶりに、夏どっか行こうかということになり、計画いたしましたのが、萩・津和野への旅、こちらには三人とも行ったことがなかったんですね。皆こういう仕事してるし、ベテランだし、結構いろんなところ行ってるんですけど、まあ、行ってない場所というのはあるもので、かなり有名なところではあるんですが、初見参となりました。

幕末に倒幕へと爆走し、維新を推し進める上で大きな役割を果たした長州藩の中心地である萩と、そのすべての始まりとなった松下村塾というところへ行ってみましょう。それに、津和野に流れる高津川には天然の鮎もいらすようですし。みたいな話から始まり、行ってみることになったわけです。ここでも鮎の存在が見え隠れしますけど。

旅はまず津和野に入り、肝心なことからやっておこうというわけじゃないですが、天然鮎にお会いすることから始まります。地元のお酒などもいただき、宿の近くに3軒ほどあったスナックを覗くと、ほかに客はおらず、ママさんが相当おしゃべりな人で、その話を聞いてますと、ご主人がこの街に1軒だけある骨董屋の親父である事がわかります。

で、翌日に行ってみました骨董屋さん。いや、世の中には面白い人がいるもんで、このオヤジ、と云っても私と同じくらいの歳なんですけど、若い時から集めに集めた骨董品の山の中からあらわれました。いろいろ話し込んでいるうちに、店には出していないお宝の陶器というのを二階から数点だしてきて見せてくれたんですが、値は付けられないけどおそらく数百万とかで、確かにそう言われてみると、なかなか見事なお宝でして、すっかり目の保養をさせていただいたわけです。

そんなことしながら、萩の方へ移動しまして、いろいろと名所旧跡を訪ねようと、まず、そば屋で一杯やりながら作戦を練ったんですね。ただ、西日本は、この日、一番の猛暑日でして、外を歩いてると立ち眩みするほどなんですね、皆60才超えてるし。で、タクシー会社に電話したら、2時間コースでいろいろ連れてってくれて、解説までしてくださる方がいらっしゃるとのことで、即、お願いしたわけです。

そしたら、そのそば屋まで迎えに来てくださいまして、まず、松陰神社、松下村塾から始まりました。このガイドさんは、すでにおじさんなんですが、おそらく子供の頃から萩で教育を受けられ、いかに吉田松陰先生が維新において重要な役割を果たしたか、また松下村塾で講義を受けた多くの弟子たちが、若くして国づくりの中心になって働いたことなどを、いつも聞かされて育ち、この萩という地にすごく誇りを持たれている方と思われます。2時間ほど、車で市内をあちこちと移動し、車を降りて炎天下の萩の街を一緒に歩きながらいろいろと解説をしてくださったわけです。

いや、やはりためになったと云うか何というか、あの掘っ立て小屋のような松下村塾から、明治という国家を作った多くの人材を輩出したことなど、実際に街を歩きながら聞かせていただいた話には、実にリアリティがありました。150年も前の話というよりは、まだ150年しか経っていない話の実感というのか、そんなことを三人とも感じ入っていたのですが。この学習コースも終わりに近づいた頃、炎天下の疲れも出られたのか、二人の先輩は軽い鼾とともに、心地よい眠りに落ちて行かれました。ガイドさんが

「話がちょっと難しかったかなあ。」と云われたので、

「いえ、そんなことありません、ちょっと旅の疲れが・・前半はちゃんと聞いてましたから。」などと申し上げたようなわけです。

しかし、この会を始めた頃から比べると、みんなよく寝るようになりましたね。宿でもどこでも、隙あれば寝てます。昼酒飲めばイチコロだし、うたた寝、昼寝は得意技ですね。みなさん、それなりの年齢だし。まあ、気持ちよくうたた寝できるのは、いい旅してるってことでしょうか。

ともかく、元気でなによりです。さて、次はどこ行くかなあ。

Utatane

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