« 司馬先生の受け売りですけど 後篇 | メイン | 寝る力 »

2015年8月27日 (木)

貯金と私

Chokinbako_4

この前、お金のことを考えることがあって、ふと思ったんですけど、今まで60年も生きてきて、なんか計画的に、自分の了見で貯金というのをしたことがないなあと思ったんですね。

貯金というのは、字のとおりお金を貯めることで、何か欲しいものを手に入れるためとか、何か夢をかなえるためとか、生きていく上で、困ったことがあったりした時のためとかに、普段の暮らしの中で意図的にお金を残しておくことなんですけど、そういうふうに思ったこともないというか、18の時から自活始めて、学生の時は親に仕送りもしてもらってましたけど、そんなに裕福な収入があったわけでもなく、お金とは成り行きで付き合ってきたというか、持ってるお金は衣食住でだいたいなくなるし、何かそれ以上必要が生じたときには、何らかの手段で借りるんですけど、そんな大金が必要になることも、そんななかったんですね。別に強がるわけじゃなく、あんまり高価なものに興味がいって、どうしても欲しくなるということもなく。

この仕事始めてからは、公私の境目がない状態で働いてたし、自分のお金の使い道をじっくり考える暇もなく、でも、気が付くと月々のお給料はいつもなくなってはいるんですね。食べるものは、働いてる時間には付いてくるし、特に値の張る衣装を着るような仕事でもないし、部屋は帰って寝れるだけのスペースがあればいいわけです。時間のかかる趣味は持てないし、お金のかかる女の人と付き合う甲斐性もないし、ギャンブルはとっくに才能のなさに気付いてやめてるし。

強いて言うと、人よりも使ったとしたら飲み代ですけど、そんなナポレオンとか高い酒飲むわけでもなく、量だけは人の倍くらい飲んでるけど、分相応な値段ですよ。だいたいツケだし、手酌ですしね。 

まあ大した収入じゃないんだけど、なんとなくあるだけはきれいに使ってしまう生活が何年も続いたわけです。大きな借金をする理由もないし、それができる信用もないし、たまにツケが残ったまんま行かなくなった飲み屋を踏み倒すくらいで、これもたいした額でもありません。

その頃働いていた会社では、給料もボーナスも現金でいただいてたんですけど、それを持って銀行に預けに行ったことはなく、もらうと借金返したりツケ払ったりして、そのまま給料袋や賞与袋から直接お金払ってるうちに、自然と無くなるわけです。まあそのくらいしかいただいてなかったということでもありますが。

ただ、漠然と、ずいぶん働いてるわりには、お金が貯まらないなとは思ってはいたんですね。で、会社の偉い人にそのことを云ったら、まあ好きでやってる仕事なんだからと云われ、それはそうかもしれないけど、それはまた違う話なんじゃないかと思ったんですね。

そうこうしてるうちに、その会社から独立して、自分達で新しい会社を始めることになったんですが、そうなると現金なもので、会社の将来のために、お金を貯めねばと考えますし、いたってまじめにそのことを考えるようになります。

それと、個人的には、会社を作るのと時を同じくして結婚したんですね、34歳でしたが。

で、それまで一人で住んでた6畳間に奥さんと住み始めて、ひと月ほどしたときに、まあ引っ越しもしなきゃいけないし、だいたい私に貯金というものが、いくらくらいあるかという話になったんですね。この話題は避けて通りたかったのですが、そうもいかず、

実は私の預金通帳に入っていたお金の金額は、マイナス16万円だったんです。マイナスというのは、当時20万円までは銀行が自動的に貸してくれるシステムになってまして、ま、そういうことだったわけです。

このことを知ったあと、うちの奥さんは、多分5分くらい床を叩きながら笑っておりましたですね。

云うまでもなく、新婚の我が家で私が経済を預かっていたのは、この1ヶ月間だけで、それ以後はずっと奥さんが経済を握っております。ちなみに、この時、奥さんの個人的な預金高がいくらくらいあるのかと質問をしたのですが、それは全く教える必要はないと言われました。それは確かにそうですが。

それから収入の中から、貯金ということをする習慣が始まったのですが、相変らず私は具体的なことは、ほとんどわかってない状態なので、自分で貯金しているという実感はないままです。

かれこれ25年ほど経ちますが、いずれにしても、貯金とか貯蓄というものに関しての才能と云うものは、ずっとないままの人間であることは、云えそうであります。

コメント

コメントを投稿