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2013年1月23日 (水)

「想い出づくり。」と「北の国から」と「幸福」というテレビドラマ

年末に会社のF井さんから、「お正月休みにどうぞ」と云われて、DVDのセットを貸していただいたんですが、これ、前から是非みたかったもので、1981年にTBSで毎週金曜の10:00から放送されておった「想い出づくり。」というドラマでして、当時大変評判になったものです。このF井さんという人は、こういう歴史的に重要なドラマなどのDVDを手に入れては貸して下さる、非常にありがたい方なんです。

シナリオは山田太一さんが書かれていて、かなり昔に読んで、すごく面白かったのを覚えています。放送された当初も、山田さんはすでに「それぞれの秋」や「岸辺のアルバム」や「男たちの旅路」などを書かれた有名な脚本家であり、このドラマは放送開始から話題になっていたようです。

ただ当時、私はこのドラマを一度も観ていないんですね。それは、仕事が忙しかったこともあるんですが、金曜の10:00といえば、フジテレビの「北の国から」を観ていたからなんです。たいてい街はずれの飲み屋やラーメン屋のテレビで仲間と観てたと思いますが。

こちらのシナリオを書かれているのは倉本聰さんで、この方もすでに「2丁目3番地」や「前略おふくろ様」や「うちのホンカン」を書かれ、大河ドラマも書かれていて、いわゆる脂の乗り切った頃でした。



TV金曜10:00は、年齢も同じこの二人の売れっ子脚本家の対決となったのですね。ビデオ録画などできなかったこの頃、どちらを見るか迷った人も多かったと思います。調べてみると、「想い出づくり。」は1981年9月18日放送開始で、少しあとの10月9日から始まった「北の国から」は地味な作りでもあり苦戦していましたが、徐々に巻き返していきます。その後、「想い出づくり。」は1クールで先に最終回を迎えたこともあり、このあと2クール目に入った「北の国から」には、一気に火がつき、その後スペシャルドラマとなって、主人公の純と蛍の成長を追いながら21年間続く大ヒットシリーズとなります。

何となく覚えているのは、「北の国から」という作品は、長期ロケで制作費のかかる大作で、先行して盛り上げる意味もあって、脚本を先に出版してたと思うんですね。私はついつい先に脚本を買ってしまい、なんだか仕事で移動中の飛行機でシナリオ読んでたら、ちょうど別れたお母さん役のいしだあゆみの乗った機関車を、小学2年生の蛍が全力で追っかけるクライマックスで、こらえきれずにおいおい泣いてたら、スチュアーデスさんが、おしぼり持ってきてくれたことがありました。

そんなふうに、こっちにはまっていたので、当時「想い出づくり。」のことは、よく知らなかったんですけど、その後出版されたシナリオを読んで、やっぱり山田さんの脚本は面白いなあと思いました。キャスティングも興味深かったです。主役の3人は、森昌子、古手川祐子、田中裕子でした。脇役では佐藤慶と加藤健一も良かった。



Omoide1そもそも山田さんが何故この話を書こうと思ったかと云うと、その頃、桂文珍が落語で、女の人はクリスマスケーキと同じで、25過ぎると売れなくなるというのを枕で使って笑いを取っていて、ご自身に適齢期前の娘さんが二人いらしたこともあって、それをすごく不愉快に思ったことがきっかけだったそうです。

今と違って、当時の20代前半の女性にとって、将来の選択は平凡な結婚というのが常識的でした。そういう世の中の空気に反発して、結婚前の24歳の女性を主人公に、彼女たちのそれぞれの家族を含めた群像劇の中で、現実から一歩踏み出そうとする娘たちの物語を書きたかったんだそうです。そして、この全員主役の群像劇のスタイルは、その後「ふぞろいの林檎たち」へ踏襲されていきます。

これは山田さん本人が言われてるんですけど、テレビドラマの脚本て、かなり個人的な思いが強くないとだめなんじゃないか、合議制とかじゃなく、個人の気持ちから作られたものの中にしかほんとの名作はないんじゃないかと。

「北の国から」も、倉本さん一人の頭の中で起こった話です。ご自身で移り住まれた北海道での生活や体験も大きいですし、物語の骨格もキャストのイメージも一人の作家の中から紡ぎだされています。

企画会議とやらを重ねて、最近の流行りとか、視聴者の好みを探ったり、今当たっているコミックスの傾向を話し合ったり、なんならコミックスそのままドラマ化しようかとか、大勢で集まって揉んでみても新しいものは生まれません。やればやるほど中身は平均化して、ありきたりなものになっていきます。

表現というのは、誰か個人から発せられて、個人に届くから面白いわけで、よってたかって作るのはいいけど、基本的なアイデアはきわめて個人的なものでなければつまらないものです。例外はあるでしょうけど、多くの場合そういうものです。

この1981年の夏、あの向田邦子さんが飛行機事故で亡くなっています。51歳でした。その前年の1980年の夏から秋にかけて、金曜日の10:00TBSでは、向田さんの連続ドラマとしては最後の作品となった「幸福」が放送されていました。しばらくあとに再放送を観ましたが、本当によくできた向田さんならではの大人のドラマです。どう考えても、会議室で生まれたドラマではありませんでした。

こんなことを書いてたら、どうしてももう一度観たくなって、実は先日このDVDを入手してしまいました。

こういうことは癖になりますなあ。

 

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