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2010年12月15日 (水)

窖(あなぐら)の、はなし

今年、深く記憶に残った出来事のひとつに、チリの鉱山落盤事故がありました。

地下700mに閉じ込められた33名の作業員が、全員無事に生還したあの事件です。

生存が確認されてから、救出されるまで、全世界が注目しました。私たちは徐々に中の状況を知ることになり、彼らの帰りを待つ、妻や愛人のことまでも知ることになりました。

彼らがわずかな食料と水で、69日間生き伸びたことも、その彼らを運び出したのがカプセルであったことも、驚きであったけれども、

全員で生還することを信じていた、その強靭な精神力と、それを支えていた彼らのチームワークと、そのリーダーの存在は、世界中の人々を感動させたのでした。

 

しかし、700メートル地下のあなぐらの中というのは、やはり怖いですよ。

私は、狭い、暗い、高いは、全部ダメな人なのですが、昔のある体験が忘れられません。

それは、大学4年生の時に所属していたゼミの、卒業研修旅行の時のことです。行き先は、その当時、まさに建設真っ最中であった、青函トンネルの工事現場の最先端部分、つまり津軽海峡の真下のあなぐらです。何故そんなところへ行くのかというと、このゼミは、工学部、土木工学科のゼミだったからです。

今となっては、不思議この上ないのですが、閉所、暗所、高所の三重苦恐怖症の私が、よりによって土木技術者を目指し、卒業旅行と称して、地底のトンネル工事現場に向かっていたのです。そういうことになった理由は単純で、中学生の時に見た映画「黒部の太陽」に、めちゃめちゃ感動したからでした。

この映画は、戦後の経済成長を支える上で、どうしても必要だった黒部第4ダム建設にあたり、その建設資材を運搬するための、北アルプス大町トンネル掘削工事を描いたものでした。

工事は、何度も何度もフォッサ・マグナ(大断層地帯)に沿った破砕帯に阻まれ、多くの犠牲者を出し、それでも技術者たちはくじけず、ついにトンネルを貫通させます。実話に基づいたこの映画を見た中学生の私は、男は土木だと静かに決意したのです。

その映画を見てから8年ほど経っていましたが、実は、そのころにはすでに熱は冷めていました。うすうすというか、はっきりと適性がないことに気付いていたのです。

全員参加のゼミ旅行に、私は仕方なく参加しましたが、他の10数名のゼミ仲間たちは皆はりきっていましたし、私と違って土木技師になることに燃えていました。

鉄道を乗り継いで、前夜に入った竜飛崎の近くの民宿の酒盛りも盛り上がっており、そこまでは私もよかったのですが、翌朝工事現場に入ったあたりからは、私だけすっかり無口になっていました。

まず、ものすごくでかいエレベーターに、ものすごく長く乗せられたと思います。ひたすら下へ下へ、ここが今、地下何メートルであるかとか何とか、建設会社の担当の方が教えて下さるのですが、聞きたくもありません。だんだん顔色が悪くなっていることが、自分でわかります。

エレベーターの扉が開くと、そこは地底基地の活気があり、仲間たちは歓声をあげました。ここからは延々とトロッコに乗ります。「黒部の太陽」で見た光景でした。走るトロッコの横に水柱が落ちてきていました。嫌な予感がして、ちょっと舐めてみると、これがしょっぱい・・・・・海水です。建設会社の人に、

「これって海水ですか。」と聞きました。黙っていると怖かったし、

「そりゃあ君、ここは海底の下だからさあ。カッカッカッカッ。」

みたいなリアクションでした。少し頭が痛くなりました。

それからしばらくして事件は起きました。トロッコが急に、ガッタアアンと停まってしまったかと思ったら、すべての灯が消えました。全部。正真正銘の真っ暗です。今まで経験したことのない闇です。視界はすべて黒に塗りつぶされました。

Kie--- わたしの緊張はピークを振りきり、絶叫していました。夜道で、若い女性が痴漢にあった時のような悲鳴だったと、あとで云われました。聞いたことあんのかと思いましたけど。

誰かがライターで火をつけます。完全に歯の根が合わなくなった私の顔が浮かび上がったようです。皆が励ましてくれました。

そのあとすぐに、電灯がつき、トロッコも動き出しました。聞けば、この現場では、ある意味ブレーカーが落ちるようにこういうことがよく起こるそうで、いってみればこれは日常茶飯事なのだとのことでした。どうしてそういう大事なことを先に言っといてくれないんだろうかと、現場の人を恨みましたが、ダメージを受けているのは私だけでした。でも、死ぬかと思ったわけで。

その夜は、どうしても元気になれない一人の仲間を、皆が元気づけてくれました。友達っていいもんだなあ、でも、この人たちとは、ここで袂を分つのかなと思っていました。

そんなことを想い出しながら、チリの人たちの69日間は、想像を絶することだったんだなと、あらためて考えたのでした。

 

 

 

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