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2024年10月28日 (月)

アベさんへ、かつてお世話になった若造より

私が22歳の時に初めて勤めた会社の上司で、その会社の創業者でもあり、TVCMプロデューサーとしての大先輩でもあった、アベさんが、この夏に亡くなっておられたということを、このまえ、知りました。
アベさんは昭和8年の生まれで高齢で、どこかの施設に入っておられるようだという噂は聞いていたのですが、詳しく知っている人がおらず、この数年は連絡もつかず、ご無沙汰しておったようなことです。
その会社は、CMなどの広告映像を制作するプロダクションで、私が入った頃はできて10年目くらいで、社員が30人ちょっとだったと思いますが、アベさんはその中で最年長で、専務取締役で43歳で、少し年下の井堀社長と並んで、ここの親分的な存在でした。
当然ながら私は一番下っ端で、見習いのADみたいな仕事をしていて、21才年上のアベさんとはあんまり接点もなかったのですが、それから一年くらいして、アベさんが始めた「小学一年生」という雑誌のTV-CMで、“ピッカピカの一年生”という仕事に制作部としてつくことになりまして、ロケハンとかロケとかご一緒することもあるようになります。
この仕事は日本全国の小学一年生を紹介する企画なので、スタッフは全国津々浦々を訪ねて歩くわけで、地方の旅館や民宿によく泊まるのですが、そういう時にアベさんは夜になると、いつも座敷の真ん中であぐらかいて一升瓶抱えて飲んどられて、お相手するようにもなり、モノづくりとはみたいな話で、お説教くらったり、そのうちこっちも言いたいこと言ったりして、だんだんに距離も縮まっていきました。
その後、このキャンペーンはずいぶん長く続きまして、私もディレクターやプロデューサーをやるようにもなり、それこそ日本中いろいろなところへ行ったもんです。アベさんの出身地である福島の猪苗代にも一緒に行きましたが、その時は毎晩どこかで同窓会やっておられました。
とってもこの猪苗代に対する郷土愛の強い人でして、方言も抜けないで、いつも会津弁でしたから、みんながアベさんのモノマネする時は、おかしな東北弁になっていました。
毎年、今年はどこにロケにいくか、場所を決めるための会議があったんですけど、アベさんは絶対に山口県は選ばないと言い張っていて、よく聞いたら、会津人は幕末の長州をまだ許していないということだったようでした。明治はそんなに遠くないわけです。こういう話をしていると、さすがに20年の差があると、ジェネレーションギャップというのはあるんだなと思うんですね。
この人は、昭和の1桁に雪深い福島猪苗代に生まれ、阿部正吉(マサキチ)と名付けられました。それからのことは、一升瓶抱えながらいろいろうかがったんですけど、飲みながらだったもので記憶は曖昧なんですが、小中学校の頃は秀才と言われてたそうで、役場にはいるんですけど、その後、地元にやってきた映画のロケ隊の手伝いをしたのがきっかけで、上京して、その後、映画やテレビの脚本を書いたり、いろいろあってテレビコマーシャルの演出やプロデュースをやるようになって会社作ったみたいなことで、戦後復興期の 映像産業界を駆け抜けたような話でした。
いつだったか、尊敬してた映画監督の鈴木清順さんと仕事をした時に、アベさんとはお友達ですと言われて、すごいなあと思ったりしたんですね。
そんなふうないろんな経験から、この人がよく言ってたのが、
「オレたちの仕事は、映像をつくる最先端の技術も、古典的な表現の技術も、両方のことをきちんと勉強しとかないといけない」という話で、これは今も肝に銘じております。

そんなことで個人的には、22才から34才までその会社にお世話になり、その間ほんとによく働いたし、いい仕事もさせていただいたとも思います。だんだん生意気なことを言うようにもなりましたが、アベさんには、長い時間の中でいろいろに気にかけていただきました。
そして、それから同じ会社にいた先輩や仲間たちと自分たちの会社を作って独立をして、アベさんとは、袂を分つことになります。

Abasan_2


その時、私が34才でアベさんは55才でしたが、それからも、また、ものすごい時間が流れてしまいました。でも、その間、アベさんとはわりとよくお会いしてたと思います。そんなに広くない業界だし、アベさんはその中で有名な人だったし、いろんな集まりでよく会いました。それと、私や私の会社の活動を、わりと遠くからよく見てくださって、褒めていただいたりもしました。電話もメールもよくもらって、相談したいことも気兼ねなく話しましたし、その度にまた飲みました。一升瓶抱えてじゃないですけど。
なんてことない用事で、またどっかで気軽にお会いして、昔話でもして一杯やりたかったです。
でも、元の会社も、新たに作った会社も、後輩たちが活躍していて、元気に存在していることは嬉しいことですよね、アベさん。

お墓の場所が分かりましたので、アベさんの会社での後輩のみなさん、コバちゃん、クマちゃん、シナちゃん、ホシヤン、ソガちゃん、スギヤン、ヤマちゃん、ナベちゃん、カミちゃんたちと来月お参りさせて頂きますね。全員、結構いい歳ですが。

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