2024の年頭に思いますこと
昨年は、一年中 ヨーロッパや中東での戦禍が伝えられ、日に日に戦況は過熱して、一向に和平への道が見えぬ暗い年になってしまいました。せめて来年は明るい良い年になってほしいと願い、かような呑気な年賀状を書いて、明けた2024年のお正月でしたが、元旦から北陸では大地震が起きて、その方面では本当に気の毒な状況に陥っています。北陸にいる友人知人には安否の確認をし、無事と判りましたが、これから極寒の時節に、いろいろに大変なことと思われます。犠牲になられた方々も多く、やりきれない気持ちです。お正月から神も仏もないものかと。
そのような新年に、私、気が付いてみれば、この世に生を受けて70回目の正月を迎えたわけで、ちょっとびっくりしているようなことなんですね。まあ、いろいろあったにせよ、ここまでたどり着いたことはありがたいことです。
数え年で歳を数えた昔、正月には共に一つ歳をとることから、家族や友人で祝ったそうで、そういう意味でもおめでとうと云うことみたいですが。
ただ、一休禅師の言葉に、こういうのがあります、有名ですけど。
「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
正月はめでたいけど、歳をとるとは死が近づくことでもあると、世の無情をあえて正月に説いたのです。無情を知ることは命のはかなさを知ること、そして日々を大切に生きる者になると。この歳になると、そういう言葉がなんだかじわっと身近になります。
振り返ってみると、歳というのは10才ごとに節目を迎えるところがあります。まず10才になる時は、まだ子供だし、思ったこととかあんまり覚えてませんが、
20才の時は、大人になるんだぞみたいな事を、やたらとまわりからも云われ、自らも、嬉しいような嬉しくもないような、まあ10代後半からは、酒もタバコもやってたんだから、それなりに自覚してたんでしょうか。成人式とかもあるし。私、出なかったですけど。
30才というのは、もう自立はしていて、仕事も人並みにはやっていて、ちょっと生意気にもなりかけているけど、まだ青臭いところもあり、20代の時には、わりと早くに30才にはなりたいようなところがありましたかね。
30才から40才の時は、なんだかいろんなことが起こる時期で、肉体的にも、精神的にも、20代とはまた違った激しい変化がありましたね。ある意味面白いとも言えますが、わりとタフですよね。ということで、ハッと気がつくと40才になっちゃってた感じですか。気がつくと結婚もしていて二人目の子供が生まれたりしていました。そんなことで、あんまり感慨が無いというか、あっちゅうまに通り過ぎたみたいなことです。40才って。
ただ、よくわからないけど50才になることは、ずいぶんと嫌だったんですね、先輩たちもけっこう嫌がっていて、自分が50才になる時になって、その意味や気持ちがわかったんです。自分の大事な何かを失うような、どうしてもその線を越えたくないような、妙に往生際悪くジタバタしてましたね。そういう意味では一番節目を感じたのかもしれませんが。
60才はですね、逆にもう諦めついた気分でしたわ。周りからは還暦とかいろいろ云われるんですけど、あんまり気にもせず、それほど気にもされず、わりと我関せずでしたか、ちゃっかりお祝いなんかは遠慮しませんでしたし、まあ、たんたんとなっちゃったみたいなことでした。
そして、いよいよ70才ということなんですが、完全に未知の領域というか、若い頃から60才までは一応想像がついていたとこがあったんですけど、もちろん生きていればの話として、70才の自分というのがどんなことになってるのか全くイメージがなかったんですね。
60代というのは、なんとなく自覚なく過ぎていきまして、うっかり油断してたら70才を迎えるところに来てしまいました。ここから先は日々想像を超えていくわけで、一日一日を大切にせねばと、殊勝な気持ちになっております。
これからますます経年劣化もしてまいりますし、より強いハートで、のびのび童心に帰って、愛されるジジイを目指そうかという所存です。
本年も、先輩のみなさま、後輩の方々、
今までにも増して、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
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