WBC春の快挙と遠い日の草野球
今年の春はなんてったってWBCで、ちょっとものすごい盛り上がりを見せております。昨年のサッカーワールドカップは、SAMURAI BLUEが、世界の強豪チームと互角に闘う大活躍で、世の中サッカー一色になり、野球への関心はかなりかすみ、WBCってなんだっけみたくなってたんですが、今年の春の開催に向けて、大谷とダルビッシュの出場が決まったあたりから、俄然注目度が増します。
いざ試合が始まってみると、これが強いこと強いこと、侍ジャパンの中心にいるのは大谷翔平くん、164km/hのストレートを投げたかと思えば、打てば150m級のホームラン。まあ大リーグでもベーブ・ルース以来の大スターですから、この人を主役に日本中を、いや世界中を巻き込んだ歴史的な大会にしていると言っても過言ではないわけであります。
そしてつい先日、軒並みメジャーリーガーを揃えたチームメキシコを逆転サヨナラで破り、その勢いのまま、メジャー最強軍団アメリカチームを撃破して世界一になってしまいまして、こいつあ春から縁起がいいやと、日本中大騒ぎ、久しぶりに野球見て泣いた。そうこうしているうちに選抜高校野球も始まりまして、そのうちプロ野球も開幕しますから、今まさに球春まっさかりとなっております。
私たちの世代は、子供の頃から、ちゃんとしたグローブもバットもなくても、集まって野球をして遊んだ人たちでして、このゲームを知らない奴はいません。だからみんな何らかの形で野球をやった経験があります。今の子供達にはいろんな選択肢があるんでしょうが、我々はなんだかまず野球でしたね。その中には、当然上手い奴もいれば下手な奴もいるんですが、ともかくみんなでやるわけで、その頃テレビで観れるスポーツ中継は、野球と相撲くらいでしたし、人気のスポーツといえば野球という時代です。
そんな時代だったもんで、働き始めた会社にも、草野球だけど野球部というのがあって、時々早朝の神宮外苑絵画館前の草野球場で試合があったりしたんですね。まあなんだか忙しくて小さい会社だし、試合だと頭数を揃えなくちゃいけないわけで、若いというだけで、朝から呼び出されたりしていました。中学以来キャッチボールくらいしかやってないのと、基本ヘタクソな上に、いつも二日酔いでしたから、ただ立ってるだけみたいなもんでしたが。
この会社はテレビのCMを制作してましたが、皆さんけっこう激しく働き、また、けっこう激しく酒を飲む人たちでもありました。仕事にもそうですが、野球にも妙に情熱的なとこがあって、チームを強くしようと、たまに合宿なんかもやっていましたね。
働き始めて何ヶ月かした頃、制作部長で野球部の監督でもあったオカダさんが、若者を一人スカウトして連れてきまして、このマンちゃんという若者は元高校球児ということで、野球部的には期待の新人だったんですね。彼の仕事は制作部の一番下っぱで、すでにいた私と一緒に働き始めまして、こっちの方が何ヶ月か先に入ってましたから、仕事を教えてあげたりして、多少先輩風も吹かしてました。
それからしばらくして、早朝野球に彼がやってきたんですけど、その日は試合じゃなくて練習で、シートバッティングをやってました。順番に打席に入って球打って、打ち終えたら自分の守備位置に行って守るみたいな流れでやる練習でして、そのとき期待のマンちゃんがマウンドに上がってピッチングを開始したんですが、明らかにレベルが違ってるのがわかりました。私の順番が来て打席に立ったんですけど、球が見えなくてミットに入った音だけ聞こえました、マジ、速えわ。
それもそのはず、マンちゃんは本物の野球小僧で、高校3年の時には、夏の甲子園大会の富山地区予選決勝戦を戦い、最後に敗れたんだそうです。彼は外野手で控えの投手でもあり、5番打者だったそうで、試合の最後に相手チームが放ったサヨナラヒットが、頭上を超えていった時に、マンちゃんの夏は終わったそうで、その時の夏の入道雲をバックに消えていった白球の映像を忘れていないと、まるで沢木耕太郎のスポーツドキュメントのようなコメントを、後々どこかの居酒屋で聞くことになります。
いろいろな補強が功を奏し、野球部は強くなってきて、CM制作会社連盟の大会でも優勝を争うようなチームになります。だんだん野球経験の豊富な新人社員も入ってきて、その中でもマンちゃんは中心選手でチームの強化には欠かせない存在であり、野球の応援に来ていたマンちゃんの彼女は、やがて奥さんになり、その結婚披露宴の司会をやらせていただいたりしましたが、野球の方では私は必要とされなくなり、ま、立ってるだけですから、自然と戦力外になっていきました。
しかしマンちゃんとは、よくよく縁が深かったと言わざるを得ません。この人と私は会社でも数少ない同じ年の生まれですが、彼は早生まれなんで一学年上です。なんで会った時に私よりちょっと後輩になったかと云えば、大学に2年多めに行ったせいで、余分の大学生活送ってる時にバーテンやっていて、そこのバーで岡田さんにスカウトされておんなじ職場になったようなことです。
それ以来ずっと今まで同じ職場にいるもんで、前に演出のセキヤさんから、
「君たちは、どっちが先輩なの?」と聞かれたことがあって、
「僕の方が数ヶ月だけ先です。」と云ったら、
「ああ、この業界は15分でも先の方が先輩だからね。」と云われましたが。
ただ、早い時期から、どう見ても私より兄貴キャラのマンちゃんが、私をさん付けで呼ぶのは、どうも居住いが悪かったんですね。同じ一番下っぱで苦労してて仲良くなった頃に、彼が高い洋酒を奢ってくれたことがあって、二人で意気投合してボトル空けて、けっこうベロベロに酔って別れた次の日の朝、会社で会ったら私はちゃん付けで呼ばれてて、ちょっと楽になって、そのまま今に至ってるわけです。
それから10年くらいして、30代になって、一緒に新しい会社作って独立したんですけど、これはこれで大冒険でいろいろありましたが、この時もマンちゃんは大活躍で、新会社もどうにか軌道に乗りました。
なんだか、WBCの世界最高峰の野球に感動しながら、いつかの神宮外苑の二日酔いの早朝草野球を想い出してたんですね。
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