もう、オカダさんには叱ってもらえないんだ
世の中には、もしもこの人に会ってなかったら、自分は今この場所にいないだろうなと思う人がいまして、22才の時に、世の中へ出て働き始めたその会社で、最初にお会いしたのが、その岡田高治さんでありました。
このところ体調を崩されてもおり、もう2年ほどお会いしておりませんでしたが、残念なことに、先日訃報が届きまして、お通夜に参りました。享年81歳とのことでした。
えらく世話になりましたが、なんの恩返しもしておらず、ちょっと、こたえております。
そもそもなんでその会社に行ったか、話せば長いんですが、私、大学4年の時に一切の就活をせずに、卒業が決まってしまい、春になって、さてどうしようかと思っていた時に、一緒に卒論をやってた仲間から、だいぶ上の大学の先輩でCMの音楽を作っている会社をやっている人がいるから会ってみろと云われて、わらにもすがる気で会いに行ったんですけど、その頃、なんのビジョンもないヒドイ若造でしたから、その先輩からこっぴどく叱られて、みっちり説教されて帰されたんですね。そんなことも忘れかけてた矢先、思えばその先輩は厳しいけどいい方でして、ちょっと会わせたい人がいるので、いついつ西新橋の「ガーコ」という喫茶店まで来い、という連絡をくださったのです。
新橋のビルの裏手のすごくゴチャゴチャした通りの、ものすごく小さな店でしたが、そこでハイライト吸いながら一言もしゃべらずに、その先輩の話を聞いていたのが、オカダさんでした。その先輩とオカダさんとは仕事仲間みたいでしたが、とにかく、ここにすわっている若造が、いかにダメな奴かという話を、ずっと先輩がしていたのを覚えてまして、最後に、
「で、コーちゃん、こいつに使い走りでも何でもいいから仕事させてみてくれる? ま、役に立たないと思うけど、ダメならすぐクビにしてもらっていいから」という話でした。
オカダさんが、おもむろに、天知茂みたいにハイライト消しながら、
「おまえ、徹夜したことはあるか?」と、聞かれたんで、
「大学の課題で、設計図面を書くのに3日3晩、寝なかったことがあります」
と、ちょっと自慢げに答えましたところ、初めてオカダさんは、かすかに笑って、
「3日か、図面を書くのはずっとすわってるだろ、俺たちの仕事は、ずっと走り回って3日くらい寝ないことは、しょっちゅうなんだよお。」と、一喝されました。
この会社は、社員30人弱の小さなCM制作会社でしたが、オカダさんは、上から3番目にえらい人で、常務取締役プロデューサーで制作部長でした。
考えてみると、当時私が22才だとすると、オカダさんは36才ということになるんですが、いや、もっと大人に見えましたね。ビシッとスーツ着てたし、ほぼ笑わなかったし、静かに話します。ちょっと怒った時は、少し声がデカくなりますが、その時は江戸っ子べらんめえになるんですね。
この高治さんという名はタカハルと読むんですけど、通り名はコージさんで、親しい人はコーちゃんと呼びました。もちろん、私は一度もそう呼んだことはないですが。
渾名(あだな)で「マムシのコージ」と、陰口をたたく人もいて、そこはかとなく毒があるという意味だったのでしょうか
この会社の人たちは、今思えば、皆さん優秀でしたし、新しく来た奴に対しては、こいつをどうにか使えるようにしてやろうという厳しさと優しさがあって、私はあまり役に立たないまま、どうにかここに居場所を見つけて働き始めました。3日3晩、寝ないで走り回る仕事というのも何回か経験しまして、いろいろ教えてもらいながら、徐々に仕事も覚えましたが、オカダさんはいつも厳しくて、時々小さな喫茶店に呼び出されて、シボられておりまして、今思えば教育的指導だったのでしょうが、これはなかなか苦手で、しばらく私にとって、天敵ではあったのですね。
そのうち、クビになりそうな失敗もしましたが、なんとなくずっとやってるうちに、仕事も面白くなってきて、気がつくと会社はものすごく忙しくなっていました。4年もすると後輩もできておりまして、ようやく周囲からもあてにされるようになってくるんですが、こうなってくると、人間が浅はかですから、生意気にもなってきて、またオカダさんを怒らせたりもするんですね。
ずっとそういう関係でしたけど、さすがに10年もすると慣れてきて、オカダさんがなんだか、ただ機嫌よかったりすると、調子出なかったりしていました。
ちょうどその頃、33才くらいの時ですが、個人的には大きな人生の転機がやってくるんですね。数人の仲間と小さな会社を作って独立することになったんですが、新しく会社を作るといっても、もといた会社とは同業の他社ですから、後々はライバル会社になるべく頑張るわけでして、いわゆる一緒にやってきた仲間とは袂を分つということなんです。
すでに30年も前のことになりますが、その会社は、おかげさまでどうにかここまで自分達のスタイルでやることができています。もといた会社は、その後、業界大手の大会社に成長して、オカダさんは社長になられ、やがて会長になられ引退されます。
やってみるとわかるのですが、会社をやるというのは、結構面倒くさいことも多くて、いろんな難問にぶち当たることがあって、中には経験者に相談したいこともあります。そういう時、つくづく図々しい奴と思うのですが、同業他社の大先輩のオカダさんに相談したりしちゃうのですね。
連絡して相談しますと、オカダさんはすぐに会ってくださいます。嫌味の一つも言わず、言ってみれば、昔、後ろ足で砂かけて出てった奴に、的確なアドバイスをしてくださるわけです。ちょっと驚いたんですが、私が用意した席に来ていただく時に、今日は奢ってもらうからと言って、手土産まで準備しておられ、その手土産が、かなり苦労しないと手に入らないような有名な菓子折りだったりするんですね。なんか、自分が大事にしている人に会う時には、こういう気遣いをするんだぞと、私に教えてくれてるなと感じるんですわ、どうしても。
若い時、本当によく怒られたけど、こっちが年食ってからは、優しい人でした。どうして、あんなに気にかけてくれたのだろうと、今も思います。
初めて会った時は、おっかなくて、インテリヤクザみたいな、ものすごい大人に見えたけど、実は14才しか違わなかったオカダさんとは、ちょっと不思議な得難い出会いでした。
晩年に、もうちょっとお会いしておきたかったけど、そういうもんでしょうか。恩というのは返せないものです。悔しいですが。
年取ると、叱ってくれる人は、確実に減るものですね。
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