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2022年7月26日 (火)

私的 東京・多摩川論

最終電車で 君にさよなら
いつまた会えると きいた君の言葉が
走馬燈のように めぐりながら
僕の心に 火をともす

何も思わずに 電車に飛び乗り
君の東京へと東京へと 出かけました
いつもいつでも 夢と希望をもって
君は東京で 生きていました

東京へはもう何度も 行きましたね
君の住む 美し都
東京へはもう何度も 行きましたね
君が咲く 花の都・・・・

「東京」という唄の一節なんですが、あんまり覚えてないんですけど、私が高校出て東京に出てきた時分に流行っていた曲で、その頃の、いわゆる地方から東京を見ている気分がわりと出てる曲と思います。調べてみると1974年のリリースで累計100万枚というから、けっこうヒットしたんですね。
この唄の記憶が色濃くあるのは、むしろそれから何年かあとに、仕事で知り合って仲良くなって深く付き合った友達が、カラオケでよく歌っていたからで、彼も私と同じ頃に東京に出てきた人で、札幌から上京した地方人でした。大学を出て、劇団の演出部に行ったけど、少しあとに出版社の宣伝部に入って、その時に知り合いました。大切な得難い友でしたが、それからしばらくして30代の半ばに不慮の事故で他界してしまいました。この唄を聴くと、なんだか彼のことを思い出すんですね。
今もそういうところがありますが、日本中の若者が、いろんな意味で東京を目指すという構図があった頃で、東京は当時の若者にとってかなり特別な場所でした。
個人的なことを云えば、広島の高校生だった自分は、地元の国立の大学を受験したんですが落ちて、たまたま国立大の合否発表の後に受験できる私立の大学が東京にあって、そこに受かったわけです。東京には子供の時に3年くらい住んでたことがあったけど、なんだかあんまりいい思い出がなくて、東京に行くことにはあんまり乗り気じゃなかったんだけど、他に行く学校もなく、これも何かの縁だと思って出てきたんですね。地元の大学に行っていれば、学費も下宿代も余分にかからなかったから、親には迷惑をかけたんだけど、そういうことになったわけです。
しかし、考えてみると、それから今までの約50年間、ずっと東京で暮らすことになってしまって、子供時代の3年間を加えても、人生の8割方、東京の住人であることになります。
でも、あなたの出身地はどこですかと問われると、東京ですとは答えられないんですね。子供の頃住んでた神戸や広島がそうかもしれないけど、わりと定期的に転校していたし、一番長く住んでるのは東京ではあるんだけど、東京という地名に対しては、郷愁とかなくて、なんだかよくわからないけど一種の緊張感があります。
けっこう長い間、そういう感覚があったんですけど、たとえば西の方から新幹線に乗って帰ってくる時、多摩川を渡る時、さあここから東京だという時、心なしか緊張している自分がいます。この街に帰ってくるというより、入って行くということなのかも知れないけど、この街の風景が持っているスケールとか、底の見えない奥深さとか、いわゆる大都会の顔つきのせいでしょうか。
さすがにこれだけ長くここに住んでいれば、少し慣れたところもあって親しみもありますが、たぶん東京出身の友人とは、ちょっと違うところがあって、それは10代の終わり頃に、どこかの川を渡ってこの街にやってきたことじゃないかと思うんです。私の場合、多摩川なんですけど。
それで最初に住んだのが、多摩川の土手が見える場所でしたからよけいそうだと思うんです。そこから一番近い多摩川にかかってる橋は、丸子橋という橋で、近くに巨人軍のグランドがあったりしました。その橋と並んで東海道新幹線が走ってましたから、新幹線からも丸子橋はよく見えるんです。
そこで暮らし始めた年の秋から、「それぞれの秋」というテレビドラマの放送が始まったんですけど、そのタイトルバックの風景がまさにその丸子橋だったりして、個人的には馴染みの深い橋だったり川だったりしたんですね。
このドラマの脚本は山田太一さんでしたが、非常に新しくて面白いドラマでした。山田さんのドラマはこの界隈を舞台にされてることが多くて、そののち、1977年には「岸辺のアルバム」が放送されますが、多摩川が決壊して、主人公一家のマイホームが川に流されてしまうシーンは、ドラマ史に残る有名なシーンです。
それから、1983年に放送された「ふぞろいの林檎たち」は、多摩川堤の私が通っていた名も無い私立工業大学がドラマの舞台になっておりまして、テレビを見ると母校でロケがされていたので、間違いなくそうなんですが、脚本を買って読むとまさに私の大学がモデルになってることがよくわかりました。その学校に通う若者たちが主人公の群像劇で、彼らの挫折や鬱屈や友情や成長が描かれています。このドラマはその後シリーズ化もされた名作ですが、個人的には、不思議と自分の多摩川の青春とダブるのですね。

さて、今はどんなことなんでしょうか。
東京はいっときとして同じ姿をしていませんが、この街の大都会ならではの魅力は変わらず、その豊かさも華やかさも、片やその胡散臭さも含めて人を惹きつけますよね。
今もまた、多くの若者が、どこかの川を渡ってやって来てるのでしょうかね。

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