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2022年2月18日 (金)

年賀状という習慣

2022年という年も明けましたが、すでに2年にも及ぶ厄災は未だ収まらず、ウイルスはさらなる進化を続けているようです。我々としては、ともかく、感染のリスクを避け、あまり出歩かず、うちに籠る暮らしですね。
一月になって、年賀のご挨拶に出かけるでもなく、いただいた年賀状を見返したりして過ごしておりましたが、このところ長くお会いしていない方も多く、なんとなく年賀状で安否を確かめてるようなところもあります。
そういえば、年賀状の習慣ていつごろからなんでしょうか。自分が子供の頃から、大人たちは年の瀬になるとせっせと書いていましたし、正月の郵便受けには、束で届いているのが風物詩でした。個人的には、自分から進んで書くような若者でもなかったですが、社会に出て、お世話になっている目上の方や、しばらく会えていない友達などに、書くようになってくるんですね。その頃、年始の挨拶や年賀状の習慣は、今よりもずっと一般的でしたし。
そうこうしているうちに、人の付き合いは増えていきますので、気がつくとかなりの枚数を出してた時期もありましたが、だんだん疎遠になって途切れる方もいらっしゃいます。そもそもこの慣習にあまり積極的じゃなくなってきた世の中の風潮もあります。新年という節目にあんまり特別感を抱かなくなっていたり、わざわざ年賀ハガキを買って、宛名を書いて送らなくても、メールでもLINEでも、お年賀の挨拶できますもんね。
ただ、お正月の郵便受けに年賀状が束で入っていると、なんだかやっぱり嬉しいのは、長年の習性からでしょうか。その束を抱えて炬燵に座って(今はわりと炬燵はないですけど)一枚ずつながめて、いただいた方の顔を浮かべると、なんともいえない安らぎがやってきます。
そういうこともあって、長年、賀状のやりとりさせて頂いてる方にも、近年にお付き合いの始まった方にも、基本的には賀状をお出ししております。毎年、先方に元日に届くよう年末のうちにきちんと発送しておく性格でもなく、いつもちょっと遅れめではあるのですが。
枚数は徐々に減少傾向にありますが、やはりどうも、これをキッパリやめにしてしまうのもためらわれます。私どもの年代では、本年をもちまして年賀状のご挨拶は終了させていただきますと、記載される方もあり、それもすごく納得できますし、できればそうしたいくらいでもありますが。
そもそも若い人にはその習慣はあんまりないようですし、ゆくゆくは世の中からなくなってしまうのかもしれませんね。この先のスマホの普及率を考えれば、新年の挨拶はそれで十分で、手間もかかりません、絵文字でアケオメとか云って。お正月のお年賀の意味もちょっと変わってくるんでしょうか。
ただ初詣には、みんなわりとちゃんと行くんだけどね。雑煮も食べるし。

Nenga2022_2

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