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2021年1月12日 (火)

2021年の新年は明けましたが

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さて、令和三年丑年となりました。

あけましておめでとうございます。
と、挨拶を交わす例年通りの年明けなのですが、世の中は今までに経験したことのない、不穏な空気で幕を開けることとなりました。
ついに昨年の大晦日には、コロナウイルスによる東京の感染者数は1300を超え、首相官邸は緊急事態宣言の発令を迫られました。いずれにしてもしばらくは、先の見えない不安な世相が続くことになりそうです。
この状況を食い止めて、今、世の中を支えているのは、間違いなく医療関係者の方々でして、命を落としかねない最前線で、日夜献身的な働きをしてくださっています。全くもって頭が下がるだけであります。
崩壊寸前のこの前線を守るために、自分が役に立つことは何ひとつなく、できるのはおのれが感染者にならぬことのみです。そのために、日々肝に命じるべきは、マスク手洗いは当たり前ですが、それに加え、いわゆる三密を避けるために、人と会って長い時間話をしないこと、それに付随して会食をしないこと、というのがあります。
実は、私、これが辛いんですね。
気心の知れた仲の良い人たち、久しぶりに会いたい人たちと、ちょいと気の利いた肴で一杯やる会が、わたし大好きなもので、そういう機会を作ることは熱心で、呼んでいただく場合も、よほどの事がなければ、まず断ることはありませんでした。そしてかれこれ一年程、その楽しみを封印されているようなものであります。

換気の良いところで、少人数で小時間で会食したことがなかったわけじゃありませんが、俺的に云えば、それもかなり手加減してますし、そもそも去年から、会いたい人を気軽に誘って良いもんだか、悪いもんだか悩むし、声かけるのも躊躇して、結局やめとこうかということになり、こちらもそうだけど、あちらもそうみたいなんですね。
ただ酒飲むのが好きなだけだったら、一人でしんみり飲んでりゃいいんでしょうけど、私の場合、全くそういうタイプじゃなくて、ほっとくといつまでだって飲んで喋ってる人ですから、このご時世には、最も向いていないタイプなわけです。
ただ、この難局を乗り切るためには、全員、耐えるべきは耐えねばなりません。そして、ともかく医療がきちんと機能できるように、考えられる対策は全てやらねばならないんだと思いますよ。命あっての物種ですから。

こういうことになってから、ネット時代ならではのリモートという仕組みができて、これは同じ空間にいる必要がなく、コロナ禍においては大変便利な文明の利器でした。多くの仕事におけるコミニュケーションが、これによってどうにか繋がり、前に進めることができたと思います。今回の災難が収束しても、このシステムは仕事をする上で有用になるでしょうし、多分仕事の仕方そのものが少し変わるかもしれませんね。
まあリモート以前の時代にも、どうしても会えない相手と、電話とFAXを駆使してどうにか打ち合わせしたりはしてましたから、追い詰められれば、どうにかなるんでしょうけど。
そんなことで、このリモートで飲み会をやろうかという話も時々出るんですが、とりあえず自分で酒持ってモニターの前に座れば、複数の人たちと確かに盛り上がることもできそうなんですけど、どうもそこまでしてという気にもならないんですね。要はどうもまだ慣れてないっていうことなんでしょうか。会議にしても、もうひとつ苦手なんですよね、あえて相手と距離を取るメリットを利用する手もあるかもしれんけど、なんかライブの芝居を中継映像で観てるような、物足りなさがあるかなあ。結局、前時代のアナログ人間ということなんでしょうか。

おそらく、この先々にも、忘れることのないこの灰色の時代が、早く通り過ぎることを祈りながら、ウイルスをやり過ごし、日々戦い、工夫をして生産活動を続けて、どうにか生き残ることが、この時代を共に生きる人たちの宿命ということかもしれません。
きっとこの厄災が収束した頃には、生きていく上での新しい選択肢も増え、今までとは違う仕事の仕方や楽しみも生まれるのかもしれんです。
それまで、ともかく助け合って頑張りましょう。
助け合うにしても、なかなか会えんのだけどね。
そういう時こそ、リモートでしょうか、やっぱり。

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