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2019年8月 9日 (金)

二十歳の女の子がえらいことやってくれまして

Shibuno


この前、なんとなくゴルフのこと書いて間もない先週のこと、私とは何の関係もありませんが、ゴルフ界には42年ぶりというビッグニュースがありました。

このことは、多少ゴルフのことがわかる者にとっては、わりと大変なことで、かなり感動的な出来事だったんです。

先週行われた「全英女子オープン」は、世界中の女子プロゴルファーにとって、年間5試合しかないメジャー選手権であり、権威も賞金額も超一級で、各国のトップレベルのプロが集まる試合なのですが、その大会に勝ったのが日本の渋野日向子(しぶのひなこ)プロ(20才)であったわけであります。

日本勢のメジャー優勝は、男女を通じ1977年の「全米女子プロゴルフ選手権」を制した樋口久子プロ以来、42年ぶり2人目の快挙、またLPGAメジャー大会初出場初優勝は、史上2人目の、これも快挙でありました。

そして、何より驚くべきことは、彼女は1998年11月15日に岡山に生まれ、2018年にプロテストに合格しますが、それは去年のことです。それまでの中国地方での輝かしい戦歴は、中学生高校生であり、云ってみれば子供だったわけです。

2019年 今年になって、山陽放送と所属契約を結び、5月にJLPGAツアー公式戦の「サロンパスカップ」で、いきなり優勝し、6月の時点で、年間獲得賞金ランキングが3位に浮上して、8月の「全英女子オープン」への出場権を得ます。

デビューしてここまで、目を瞠る活躍ではありますが、強力な運の強さもあって、イギリスに行くことになるんですね。なんせ海外初試合が、「全英オープン」ということになり、当然ながら大会前の目標は、予選突破だったわけです。なんかくじに当たったような気持ちだったでしょうか。

しかし、初日、2日目は、なんと2位。まったく見たこともない、この前まで少女だったような日本の女の子は、完全にノーマークだったと思われます。ただ、やたらに明るい娘で、どんな時も常にニコニコ顔の彼女は、現地で「スマイリング・シンデレラ」とニックネームがつきます。

こうゆうことは、たまにあるよね、みたいな空気だったかもしれませんが、あろうことか、3日目は14アンダーで、単独首位で終えることになります。もともとメジャー大会でもあり、TV地上波では、夜中に生中継がされており、私としては、なんとか見届けようと、寝床の横のテレビをつけますが、途中から全く意識がなくなり、3日目首位の快挙は、翌朝知ることになります。

そして、さあ最終日。それはそれは、もし全英に勝つことがあればさぞ嬉しかろうと思いながら、反面、いや、渋野、ここまでよくやった、去年プロになったばかりの君が、最終日に、名だたる世界中の超一流のプロたちに、ここで捕まっても、むしろその方が普通のことかもしれんよ。などという気もしました。

そして、この日の夜中も、私は熟睡してしまったんですね。

ただ、何故か午前2時頃ふと眼を覚まして、胸騒ぎがしたんですね。祈りながらTVをつけました。すると、なんと1位に渋野とリゼット・サラス(アメリカ・30才)の表示、ともに17アンダー。マジか、首位だ。完全に眼が覚めます。

2組先でプレーするサラス、18番ミドルホールの第2打は見事ベタピン、このパットが入れば1打リードを許すことになります。しかし、サラスはこのパットをわずかに外しました。まだ運はあるか。

渋野は17番パー。最終ホールに向かいます。まったくプレッシャーを感じさせないニコニコドライバーショットは、見事フェアウエイをとらえました。そう、次の一打が勝負です。

バーディーなら勝ち、パーならプレイオフ、ボギーなら負け。行け、渾身の第二打。

ボールはピンから5メートルの位置に止まりました。微妙な距離ですが、当然、入れにいきます。

打った。ちょっと強いか、行け、入れえー。入ったあ。

カップをもし越えたなら、かなり遠くまで行ってしまったかもしれません、下りだし。そういう強さでした。

渋野は、試合後のインタビューで、その最終パットのことを聞かれ、

「入れるか。入らなければ、3パットと思って打ちました。ショートだけはしたくなかった。」みたいなことを云ってましたが、たいしたもんです。後半は全く緊張してなかったとも云ってましたが、たしかにそのように見えました。

この日、首位でスタートするも、3番ホールで4パットして3位に後退したところから巻き返したわけで、よく、開き直ると云いますが、なかなかベテランでもできることではないですよね。

二十歳恐るべし、知らない者の強みということではかたずけられないものがあります。技術も気力も素晴らしいんですけど、この勝負の流れを自らに引き寄せる運気をを持っていたということも云えるでしょう。

プロゴルファーという仕事を始めたと思ったら、いきなり頂点を極めてしまったわけで、これからも大変だと思いますけど、ま、ほとんどの人が見れない景色を見れちゃったんですから、ともかく祝福されることではあります。

以前、これと同じようなことがあったなと思ってみると、それは、

2011年の「なでしこジャパン・ワールドカップ優勝」でした。

この時も夜中にものすごい感動したんでした。

21世紀は、女の世紀であると、誰か云ってましたけど。

まったく、何かと女の人がやってくれますよね。

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