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2019年7月25日 (木)

なんでゴルフをやっているのかという話

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今年の梅雨は、いつになく梅雨らしい梅雨で、長期にわたって各地に雨を降らせてますが、このところ、わりと頻繁に予定されていた私のゴルフ行きは、ことごとく雨雲を避け、一度も雨合羽を着ることもなく、順調に進行しています。ゴルフというのは、その天候も含めた競技であると、硬派なゴルファーはおっしゃいますが、やっぱり、雨や風はなるべく穏やかな方がありがたいわけです、軟派ゴルファーとしては。

ただ、どうして梅雨の最中に、これだけ予定が入っているかというと、自分がなにかと積極的に人を誘っていることと、逆に誘われた時に、基本的によほどのことがなければ、けして断らないという姿勢にあります。

要は、下手だが好きだということなんです。

このゴルフという競技は、全部で何打、打ったかというスコアを競うんですけど、このスコアというのは、すべて自分のせいで出た結果であって、誰かのせいということは全くありません。うまく行かなかったことは、みな自己責任です。そして、だいたいにおいて色々なことは、うまく行かないんですね。ゴルフがかなり上手な人であっても、常にうまく行かないことは多くて、まして下手な人は、一日中そういうおもいをすることになります。

ということで、このゲームは終わったあとに爽やかな気持ちになるということは、あまりありません。だいたいにおいて、苦いおもいでゴルフ場を後にすることが多いのですが、翌週にまた誰かから誘いの連絡があると、1も2もなくスケジュールを開けようとしちゃうのですね、何故か。

この上手くならないゴルフというものと、どうして出会ったかという話なんですが、

たしか30歳くらいの頃、仕事でたまにアメリカに行くことがあって、その当時、わりと長い間行っていることが多くて、その時に、ゴルフの上手い現地のコーディネーターに誘われて、ろくに練習もしないで、いきなりグリフィス天文台の麓にあるパブリックのゴルフ場に行ったことがあったんですね。今考えると、よく行ったと思うんですが、第1打、いきなり続けて空振りしたら、後ろで待ってたアメリカ人に、

「ヘイ、ルック、アット、ボール!」と、野次られる始末で。

でも、考えてみると、相手は止まってるボールなんで、どうにかこうにか1ラウンドやったんですね。いったい何打打ったのかもわからん状態で、でも、ひどい目にあったんだけど、なんか楽しかったんですよ。

それから何度か、アメリカの辺鄙な場所に仕事に行ったんですが、そういうところにはたいてい近くにゴルフ場もあるんですね。いつだったか、カナダの国境あたりまでロケに行ったときに、その時のカメラマンが、今回の撮影は、早朝と夕方の射光でしか撮らないと云いまして、しばらく居たんですけど、昼間はやることがないわけです。ホテルの目の前は広大なゴルフ場なんですけど、シーズンオフなのかそこには鹿しかいないんですね。そうなるとゴルフしかやることないんです。そんなことどもがあって、なんだかゴルフって面白いじゃんみたいなことになっていったんです。

それまでの私はというと、大人がやってるゴルフという文化が大嫌いでして、あくまで印象の問題なんですけど。どっかのBARで酒飲みながら、あんなものは、いい大人も、いい若い者も、けしてやるもんじゃないと言い放っておったもんで、今さら、意外に面白いねとも言えなくなっておりました。

そうは云っても、ちょっと興味が出て来て、テレビで青木功やジャンボ尾崎なんかを見てると、それはそれでけっこう面白いし、それまで、駅のホームでゴルフスイングしてるオヤジとか、心の底からバカにしてたんだけど、なんか少しわかる気もしたりして、誰にも見つからないように、練習場にも行ってみたりしました。

そのことを、会社で仲良しだったヤマちゃん先輩と、同僚のマンちゃんにちょっと話したら、この人たちはすでにゴルフ好きでしたが、それは絶対にゴルフ始めるべきだと勧められまして、日本のゴルフ場にも連れてってもらうようになりました。

この人たちから、やたら筋がいい筋がいいと褒められまして、悪い気はしないからその気になってきたんですけど、まあ、あとで聞いたら、あいつは全くスポーツとは無縁で、やたら深酒するか、文庫本読むくらいしか趣味がないから、せめてゴルフくらいさせようと、二人して何かとおだてるようにしてたそうです。

そんなようなことで始まったゴルフなんですが、その後、あんまりやれなかった時期もあり、きちんと練習を積むということもなく、だらだらと下手なままなんですけど、いわゆるゴルフ歴だけは長く、かろうじて続いている趣味なわけであります。

ただ、時々、なんでゴルフやってるんだろうなとも思うんですね。

朝早く起きて、わりかし遠くまで行かなきゃいけないし、たまにわりとうまく行く日もあるけど、たいていがっかりするし、そうやって何年も同じレベルで、むしろ下手になってるんだけど、なんとか、一つ上のゴルファーになれないだろうかとは、いつも思っていて、わりといろんなこと試してみたり、例えば、誰かに聞いた練習をしてみたり、上手な人に教わったり、新しい道具とかボールを手に入れてみたり、なんかいろいろ本読んでみたりするわけですよ。

でも、見えてくる景色は、あんまり変わらないわけです。

200ヤードのドライバーショットも、数10センチのパッティングも、同じ1打で数えられ、その1打1打に一喜一憂し、出てくるスコアは、いつもほとんど似たようなものなわけです。そしてそのスコアは誰のせいでもなくすべて自分のせいであるところが、ゴルフのゴルフたるところです。

よく、ゴルフというゲームは、人生に似ているという人がいますが、たしかに、

「禍福(かふく)は、糾(あざな)える縄のごとし。」みたいなとこありますよね。

誰が思いついて始めたのか、なんだか無駄に深いところのあるゲームです。

イギリス人が作ったというのも、なんかわかる気がする。

 

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