学芸大のBAR「一路」のこと
東横線の学芸大学駅から2~3分のところに、「一路」という名前のカウンター7席程の小さなバーがあります。ここのマスターが良川さんと云いまして、かつて六本木の伝説のBAR「BALCON」のマスターだった方なんですね。
いつ頃のことかと云えば、1970年代の途中から、2004年の春まで、約30年続いたBARでして、私も70年代の終わり頃から店を閉めるまでお世話になりました。まあ、お世話になったというか何というか、私の場合、このBARに棲んでるんじゃないかみたいな頃がありまして、携帯電話もない時代、
「あいつなら、たいてい夜中にBALCONにいるよ」
と云われてて、ここに伝言残しとくと私がつかまるので、よく電話がかかった時期がありました。
六本木通りの明治屋の裏あたりだったんですけど、優に30人は入れるBARで、夕暮れから翌朝近くまで、毎晩、大いににぎわっておりました。
このBARは、有名なインテリアデザイナーの内田繁氏の作品であり、開店当初はデザイン界のお客さんが多かったようですが、そのうちに我々広告業界の人達が増えていったようです。ともかくいろんな意味ですごく居心地のいいBARで、私達は本当にお世話になったんですね。
そんなこともあり、良川さんとは個人的にも長いお付き合いをさせていただきまして、たまに店を抜け出して近所に飲みに連れてってもらったり、土曜日の朝に店閉めた後、一緒に海に行ってカワハギ釣りして、当時湯河原にあった良川さんの家で、釣った魚さばいて宴会やったり、ほんとによく面倒見てもらいました。
そのBALCONが、2004年の春に突然閉めてしまったいきさつは、このブログにも書いたんですが、当時ほんとに驚いたんです。そのあと、頼まれて六本木でBARをやったりされたんですが、しばらくしてから学芸大の今のBARを始められたんですね。それが多分10年位前のことだったですが、思えば30歳でBALCONを始めて30数年、良川さんも60代になられておりました。
私も気が付けば50代、酒の量も前よりは減って、ちょっと生活圏から離れた学芸大のお店には、しばらく足が遠のいておりました。
ここ数年のことですが、BALCONでさんざん一緒に飲んで、よく仕事した人達が、次々に60歳を超えて節目を迎え始めまして、その度にあのBALCONの話が出るようになったんですね。そこで、良川さんが作ってくれた、あの懐かしいサイドカーやドライマティーニやハーパーやジンやウォッカやなんだかんだ飲みながら、良川さんに会いたいねという話になって、学芸大に電話したんですが、この数年連絡が取れなくなってたんです。
そのことが、このところずっと気になってたことの一つだったんですけど、今年2月になってから、良川さんが店を開けてるみたいだよという情報が入ります。友人のNヤマサチコさんからのメールでしたが、今年になって「一路」で飲んだという、どなたかのブログを、仕事仲間が見つけてくれたみたいで、そのブログには良川さんの写真も載っていて、あのBALCONのことも書いてありました。まさに朗報であります。
すぐに電話して行ってみました。まず私の仕事の後輩達と6人で、もちろんあの頃お世話になった奴達です。そして、あの頃なにかと云えばBALCONに溜まって飲んでたレギュラーメンバーにも知らせました。皆、当時30代40代でバリバリにCMの仕事してまして、時代も最盛期で、それぞれにいつも大仕事を抱えてた人達でした。
重たい仕事かかえながら、いつも明るく飲んでましたね。たまに暗いこともあったけど。
よく飲んだけど、結構まじめに働くことは働いて、みなさん、名の知れたクリエーターにおなりになりました。そして、今やバリバリの60代です。すごいメンバーが揃って、6人が「一路」のカウンターに並びますと、なかなか壮観でありました。
ほんとはあと一人大物が加わって7席を埋めるはずでしたが、急な用事でかなわず、また近いうちに集まることになりそうです。いずれにしても、ちょっと恒例化しそうな会ではあります。
それにしても、良川さん、73歳におなりになっても、あのキリッとしていながら泰然自若のバーテンダーのキャラクターはなんにも変わっておりませず、マティーニもサイドカーもまったくあの頃のままの旨さでして、お見事でした。
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