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2017年4月19日 (水)

「牯嶺街少年殺人事件」という映画

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この前、会社で集まって飲んでたんですけど、その時のメンバーが、普段忙しくてなかなか集まれないクリエーターの人達でして、実に面白い話が続いたんですけど、その中で、最近Tさんが観たある台湾映画の話になりまして、これがともかくすごい映画らしくて、Tさんの話を聞いていると、これ絶対にみんな見とかなくちゃということになったんですね。

「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」と云うこの映画は、1991年にエドワード・ヤン監督によって発表され、マーティン・スコセッシやウォン・カーウァイらが絶賛し、映画史上に残る傑作として評価されたんですが、版権の問題だったのか、日本では初上映以来25年間DVD化もされず、その間、全く見る機会を失っておりました。私などは、この映画でデビューした主役の少年が、今やアジア映画の大スターであるチャン・チェンであったことすら知らなかったほどです。

しかし、この度、エドワード・ヤン監督没後10年にあたり、4Kレストア・デジタルマスター版となり、又、本作完成時のバージョンである3時間56分版として、日本で上映出来ることになったんだそうです。

そこで、ちょっとあわてて観に行きました。東京都区内での上映は2館、それほど大きくない映画館ですが、知っている人は知っていて、ほぼ満席です。そして、さすがと云えばさすが、これは期待にたがわぬ傑作でありました。ただ、今までに観てきた名作映画ともすこし違っていて、それはちょっと新しい映画体験でありました。

3時間56分という長さは、かなり長い映画の部類になります。ちょっと思い出しても、長い映画と云えば、「アラビアのロレンス」3時間27分、「七人の侍」3時間27分、「ジャイアンツ」3時間21分、「風と共に去りぬ」3時間51分、「黒部の太陽」3時間16分、「ラストエンペラー」3時間39分、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」3時間25分とかとかあります。ただ、今回のこの映画は、長いということの意味が、ちょっと違うような気もします。

長い映画には、出演者が多いという傾向があります。そのたくさんの登場人物たちが、たくさんのエピソードを作って、それがストーリー全体をダイナミックに動かしていくという、いわゆる大河ドラマ的スタイルになってるんですね。

この「クーリンチェ少年殺人事件」も、そういうところがないわけじゃないのですが、そのたくさんのエピソードが、直接ストーリーを動かしているというよりは、この映画全体の背景の空気を作っているところがあるんですね。そういうことだから、ひとつひとつの場面を全部おぼえておかなくても、ストーリーを追う上であんまり大きな影響はないんです。

監督は、自ら少年時代に過ごした台湾社会の空気の息苦しさをを再現し、この映画にリアリティを持たせるため、100に及ぶ人物キャラクターを設定し、そのすべてに来歴と、物語が終わって以降どうなるかについての、膨大なバックストーリーを制作して、300話分のTVシリーズができるくらいの物語素材を開発したそうです。

そのことが、登場人物達の不思議なリアリティと、長い時間見ているうちに物語の中にぐいぐいと引っ張りこまれていく、この映画の力になってるのだと思いますね、間違いなく。

映画としての設計図の企みはできたとしても、実際に映像として定着させる上で大きな壁だったのは、出演者たちの多くが未経験に近い少年少女たちであり、彼らの演技指導に一年以上費やさねばならなかったこと、また、スタッフの60%以上、キャストの75%がこの映画でデビューを飾るという現実は、製作に3年を要するということになっていきます。

エドワード・ヤンという監督が、この映画に注いだエネルギーというのは、冷静に想像するに、ちょっと計り知れないところがあります。 

映画は、主人公の小四(シャオス―)一家と、ヒロインの小明(シャオミン)を中心に、多くの登場人物と出来事を折り込みながら、むしろ淡々と進みますが、観客は気が付くと、この映画の中に徐々に入り込み、様々な記憶を共有してゆきます。そして、やがて、主人公たちと共に、最後の事件に遭遇することになるんですね。

たしかに長い映画ではあるんですけど、見終わったあとで、この映画のあらゆるシーンは、すべて必要であり、この長さには意味があるんだなと感じさせられます。

そして、自らやり遂げると決めた仕事を、妥協せずに最後までやりきった、今は亡き 

エドワード・ヤンという映画監督に敬意を表したいと思いました。

 

ともかく、遅ればせながら、観ておけて良かった映画でありました。

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