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2012年9月 5日 (水)

オモダカヤッ!

市川亀治郎という歌舞伎役者を、はじめて見たのは、いつ頃だったか。まだ声変りもしていない子供だったし、この人は生まれが1975年なので、1980年代の前半だった気がします。

そのころ、マイブームというか、仕事仲間のNヤマユキオ、Nヤマサチコ夫妻や、先輩のY田さんたちといっしょに、市川猿之助の大ファンとなり、たしかNヤマサチコさんは「澤瀉会」(おもだかかい)にはいって、皆のチケットを取ってくれてた気がしますが、ともかく市川猿之助の歌舞伎公演は全部観ておりました。

いや、本当に面白かったのですよ。猿之助という人は、役者として、比べようもなくすばらしいのだけど、演出家としてもすぐれた人で、明治以後、疎まれた外連(けれん)を復活させたり、外連とは早替わりや宙乗りのことを云うのですが、他に古典劇を復活したり再創造したり、いわゆる当時の由緒正しい歌舞伎の世界では、ニューウェーブというか、アバンギャルドで、私達は大いに支持してたわけです。

昔ながらの歌舞伎という文化に触れながら、この経験は、相当に楽しかったんですね。

その猿之助さんの弟が市川段四郎さんで、いつも重要な脇役をおやりになっていて、その息子さんが市川亀治郎なんです。子役の時からとても上手で、人気者でしたが、成長するに従ってどんどんうまくなるんですね。私達はそれが嬉しくて、彼のことを親しみをこめて、カメ、カメと呼び、当時30代だった私達は、

「カメの成長を、老後の楽しみにしよう。」などと話し合っておりました。

それから何年もの間、私達の猿之助熱は冷めず、追っかけは続くのですが、1986年には、彼の大事業となるスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」が発表され、この人のスケールの大きさにまた驚かされます。このあと結婚したばかりの私の妻も猿之助ツアーに加わり、古典もスーパー歌舞伎も逃さず観劇する勢いで、1993年の「八犬伝」くらいまでは観たと思いますが、その後少しずつ縁遠くなってゆきます。

ある意味、猿之助の役者としてのピークを見届け、少年から大人になってゆく亀治郎を見届け、私達の澤瀉屋歌舞伎三昧は、一段落します。

そのあと、2000年頃ご縁があって、猿之助さんと幼いころに離別された息子の香川照之さんと仕事をご一緒したことがあって、頭のいい人だなあと思って感慨深かったり、最近になって、大人になった亀治郎さんをテレビで見たりして、やっぱり澤瀉屋の顔だなあと感心したりしていました。

そして今年、あの亀治郎が、四代目市川猿之助を襲名するというニュース。そして、香川照之さんが、九代目市川中車を、香川さんの息子さんが五代目市川團子を襲名、6月7月に披露公演があるということ。

そうかあ、そういうことになったら、久しぶりに猿之助歌舞伎観たいなあ、と思っておりましたところ、うちの奥さんがインターネットで、7月の「ヤマトタケル」の桟敷席をゲットしてくれました。桟敷席かあ、懐かしいなあ、昔よく分不相応な桟敷席で酔っぱらいながら観劇したなあ、などと感激しておりました。

さて、四代目市川猿之助と九代目市川中車の口上にはじまり、私としては26年ぶりの「ヤマトタケル」のはじまり、はじまり。

Ennosuke
いや、驚きました。

舞台に現れたヤマトタケルの姿は、先代の市川猿之助がよみがえったかのごとくでした。

そうなんです、身体つき、身のこなし、声、顔形、完全に私の記憶の中にいるあの26年前の、市川猿之助です。ちょっと怖いほどなんです。

澤瀉屋という血のなせることなのでしょうが、一つの名跡を一族で守る梨園という社会だから起こることです。亀治郎という役者は、少年の時からずっと、この猿之助という役者を凝視して育ったんですね。そう思いました。

「ヤマトタケル」の原作者である梅原猛さんは、1986年の初演の時、一人の少年が楽屋の廊下で竹刀を振ってヤマトタケルの真似をしていたのを覚えています。少年が誰だったかは云うまでもありません。

今更ながら気づいたんですが、歌舞伎のファンには、こういったDNA的とでも云う楽しみ方があるんですね。歌舞伎の世界がどうして世襲制なのかよくわかりました。

「いやあ、先代と生き写し。」などと云って、しびれるわけです。

そこには、一方で、その名跡に足りているかどうかの、厳しい客の評価もあるのでしょうけど。

そういう意味では、四代目市川猿之助襲名は、多くの猿之助ファンをしびれさせました。私もなんだかとても嬉しかった。

そしてもう一つ、澤瀉屋ファンを絶叫させたのが、第三幕、子役の團子がワカタケルに扮して登場するシーンです。もちろん市川團子は、香川照之さんのご子息で、先代猿之助さんの直系のお孫さん、まあ一族のプリンスなのですが、この時の客席からの掛け声がすごかった。

「よお、オモダカヤ!」「オモダカヤ!!」「オモダカヤ!!!」

これはもう、一夜の夢などではなく、はっきりと見え始めた澤瀉屋の未来なのです。

 昔、「成長した亀次郎を、老後の楽しみにしようね。」と語ったことが、

正直、その通りになってきました。そして、その先の未来もたのしみです。

長生きしなくちゃだわ。

 

 

 

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