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2011年4月27日 (水)

今 考えるべきこと やるべきこと

3月11日、14:45頃。未曽有の大災害。

一生忘れることのできぬ出来事。

会社の建物は全員が避難せねばならぬほど揺れ、一切の通信機能は麻痺し、呆然とするうちテレビに映し出されたのは、見たこともない津波の映像でした。誰も声を発することもできません。すべての電車は不通となり、東北地方の状況もつかめぬまま、翌日には福島第一原発爆発の一報。日本に人員を派遣している海外の法人からは、一斉に帰国命令が出されました。国内の報道では、ずいぶんと後になってから爆発後の原発の映像が流されましたが、外国ではとっくにみんな見ていたようでした。

福島第一原発は、いまだ危機を脱してはおらず、深刻な状況が続いています。おそらく解決には何10年もかかると言われ…

そして、現在も犠牲者の数は増え続け、13万の人々が避難生活を強いられています。

まさに国難。普段、国ということを特別に意識することはあまりないけれど、こんな時、やはり同じ国の人としてどうすべきか、深く考えてしまいます。今、国民一人一人が自分に何ができるかを、自らに問わねばならぬ時です。

四季の美しいこの国に、自然は大変な試練を与えました。しかしながら、この大きな天災の後に起きた原発の事故は、本当に防ぐことが出来なかったのだろうか、と思います。

あれから毎日報道される現場からの情報や、あまりに心配になって調べた参考資料に触れるにつけ、気がつけばこの地震大国には、55基もの原発が稼働しており、これからも建設中、計画中のものが、10基以上あるということ。そして今回のような事故が起きてしまうと、世界中の専門家がよってたかって命がけで取り組んでも、解決に要する時間は何10年、その間、はかりしれぬ放射能汚染にさらされるということ。どう考えても、今も刻々と汚染は進行しています。

こうなってくると、福島と同じように早い時期に建てられた、浜岡原子力発電所などは、多くの人口を抱える大都市、東京や名古屋などの喉元に突き付けられた匕首のようにさえ感じられます。

いつの間にこんなことになっていたのか。でもそれは私たち大人一人一人の責任なのですよ。より多くの電気を求める生活。一世帯当たりの電力消費量は、1970年の3倍近くになってるそうです。思えば子供の頃、一般家庭に電化の波が広がり、洗濯機でも冷蔵庫でも昔は頭に「電気」と付いていました。いつしかそれが消えたのは、電気が空気のような存在になってからでしょう。冬は寒く、夏は暑いもの、その道理にあらがう利器エアコンは、家庭電力消費の25%に、暗い夜を明るくする照明には16%が費やされています。何の気兼ねなく電気が使える暮らしが手に入っていました。でもそれは、ものすごく大きなリスクとの引き換えだったのです。

いっせいに節電を始めた暗い東京で思ったのは、なんだか懐かしい暗さというか、子供の頃、夜の街の風景ってこんな感じだったな、ヨーロッパの街もけっこうこんな風だったなとか。無意識のうちに私達は、むしろ電気を過剰摂取していたんじゃなかろか、と。

現在、私達が使う電力の約30%は原子力発電によるものだそうです。1970年代に、2度の石油ショックを経験し、石油への依存を減らすうえで、原子力発電が大きく浮上しました。ダムによる環境破壊も、世界的なCO2の問題も、それを後押ししました。日本は原子力発電に積極的に取り組み、原子力発電先進国と云われたりしておりました。でもその陰で、原子力というものの危うさを訴え続けていた技術者の方たちがいたことも事実です。先の大戦で唯一の被曝国となったつらい体験が、残念ながら原子力発電の推進に生かされていなかったかもしれません。悔しいです。

誰かに責任を取れと言っても始まりません。というか、責任を取れる人はいないんです。悲しいかな。テレビを見ていても判ります。なさけないですが。

それより、将来これ以上ひどいことが起きないように、いま、何をしておくべきかを真剣に考えることが大事です。またきっと地震は起きます、この国は。それを止めることができないとしたら、大きな犠牲を伴ったこの経験を教訓として、未来に備えるしかありません。そのことを今始めなければ、我々は後世の人たちにも犠牲となった方々にも顔向けできません。

人間は、電気を得るために、結果的にはさまざまの自然破壊を繰り返し、そして自らも傷つきました。ただ、文明の象徴である電気を、もう捨てることはできません。これから我々は、電気をどうコントロールして、どう折り合いを付けていくのか。

 

ほんとの意味で 「足るを知る」 とはどういうことなのか、課題は山積しています。

 Urakasumi

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