« 「ありふれた奇跡」と「早春スケッチブック」 | メイン | 舞阪の「シンコ」と気仙沼の「サンマ」 »

2009年8月19日 (水)

クリントと鶴田さん

ことしの春先のある夜、友人から留守番電話が入っておりました。

けっこう酔っ払った声で、

『君は「グラン・トリノ」をみたか? まだならば、是非みるべきである。』

というようなメッセージでした。

クリント・イーストウッド監督のその映画の上映が始まって間もない頃だったと思います。

クリント・イーストウッド監督の映画は、たしか全部みています。何故かいつも引き込まれるようにみてしまいます。どの映画も、ただ面白い楽しい映画ではありません。むしろどちらかといえば、つらい映画です。でも、このクリントというおじいさんに、映画という手法で語られてしまうと、たしかにつらい話だけど、ただそれだけじゃない人生の深さみたいなものを感じてしまいます。なんだか、この人生の達人のようなおじいさんの話は、やっぱ聞いとかなきゃみたいに思ってしまうのです。

Clint_7 この人のことを、少し身近に感じていることもあると思います。べつに知り合いではないのですが、僕が子供のころに「ローハイド」というTVドラマにずっと出ていて、その後、イタリアに行って、「荒野の用心棒」とかで、マカロニウエスタンのスターになって、ハリウッドに戻って、「ダーティーハリー」で成功して、ほんとの大スターになってからも、監督としてよい仕事をし続けている人です。青年時代からおじいさんになるまで、ずっと知っているせいかもしれません。

「グラン・トリノ」は、久しぶりに監督兼、主演でした。友人が云ったように、是非みるべき映画でした。映画が終わっても、ほとんどの人が席を立ちませんでした。クレジットが流れる中、すすり泣きも聞こえました。またしても、悲しくて深い映画だったのです。

しばらくして、この友人と他何人かで、「グラン・トリノ」を語る飲み会をやりました。良い映画を題材にするだけで、飲み会は、ちょっといい飲み会になります。

この席で、私はひとつこの友人に確認したいことがありました。

「クリント・イーストウッドが演ってたコワルスキーって人、吉岡司令補とダブらなかった?」

彼も思いあたっていたようで、「そうなんだよ、そうだよな。」と言いました。

この吉岡司令補というのは、昔、NHKの「男たちの旅路」というドラマで鶴田浩二さんが演じていた役名です。私もこの友人も、このドラマのファンだったし、何度となくそのことを語ってきたので、吉岡司令補といっただけで、お互いわかってしまうのです。

吉岡さんという人は、警備会社でガードマンをしていて司令補という役職なのですが、実は、特攻隊の生き残りで、過去の戦争体験を忘れることができず、死んでいった戦友のことを想い、戦後30年経った現代の若者のことが大嫌いな、すごく偏屈な中年として描かれています。

コワルスキーさんも、朝鮮戦争に従軍した経験を持ち、ジェネレーションのちがう人のことを全く受け入れようとしない偏屈なジジイとして描かれています。

二人とも、あるきっかけで若い人とふれあい、お互い相容れないけれど、少しずつ理解し、一緒に現実の社会にかかわっていくあたりが、どちらの話も構造的に似ています。

クリント・イーストウッドは、監督としてはじめてこの脚本を読んだときに、瞬間的に自分がコワルスキーを演じることを決めたそうです。

30年前に放送された「男たちの旅路」は、山田太一さんのオリジナル脚本ですが、そもそも鶴田浩二さん主演のドラマをというNHKからの依頼がはじまりでした。

二人が始めて会った時に、鶴田さんが語った戦争体験や、戦後30年経った当時の世の中に対する彼のおもいなどをもとに、山田さんが書いたのがこの脚本だったのだそうです。

そして、クリントは、朝鮮戦争では、軍用機の事故で戦地には行かなかったものの、20歳で陸軍に召集されており、鶴田さんは、21歳のときに特攻隊で太平洋戦争の終結を迎えています。

Turutasan_2  30年の時差はありますが、何か成り立ちが似ている2本の作品です。

「男たちの旅路」が放送されたころ、私たちはまさに吉岡司令補が大嫌いな戦後の若者でした。その若者がおっさんになったころに、われらのクリントがこんな映画をみせてくれました。この飲み会で私の横にすわって語っていた若者は、30年前、ただの幼児でした。

この若者が、いま私の「男たちの旅路」DVD5巻をみているところです。

またいい飲み会ができそうです。

終戦記念日のニュースを見ながら、この二つの作品のことをおもいました。

直接戦争を描いているわけではありませんが、かつて戦争を体験した二人の男の物語です。

コメント

コメントを投稿