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2023年7月14日 (金)

薄情のすすめ

“厚情必ずしも人情ニ非ズ
 薄情の道、忘るる勿れ    坂本龍馬手帳より“
 
かつて作家の司馬遼太郎さんが、ある編集者に贈った色紙に、この文言が書かれていたそうで、普通に考えると龍馬語録の中にこのフレーズがあるのは意外な気もしますが。
私が「竜馬がゆく」を読んだのは、20代の終わりか30代になった頃でして、だいぶ前のことで、ある意味危険を含んだこの文言のことは、あんまり覚えてないんですが、このことに関しては、司馬さん自身がこの小説のあとがきに書いておられまして、
「竜馬はふしぎな青年である。これほどあかるく、これほど陽気で、これほどひとに好かれた人物もすくなかったが、暮夜ひそかにその手帳におそるべきことを書いている」と。
「竜馬がゆく」は、1966年に刊行された、ご存知の不朽の名作でして、当時それほど知られていなかった坂本龍馬という歴史上の人物を、一気に超メジャーにしました。
司馬さんは、この幕末の風雲期に突如現れ、その役割を終えるとともに天に召されたこの人物にいたく興味を抱き、おそらくその周辺資料をものすごい勢いで読み尽くし、その魅力を小説にされたと思いますが、
「いずれにしても、坂本龍馬のおもしろさは、この語録をもちつつ、ああいう一種単純軽快な風姿をもって行動しきったところである。この複雑と単純のおもしろさが、私をしてかれの伝記風小説を書かしめるにいたったように思われる」と、おっしゃってます。
と、前置きが長くなりましたが、この「薄情の道、忘るる勿れ」という言葉は、ちょっと奥が深いなと思うのですね。
人は、公的にも私的にも何か目的を達成しようとする時、ある意味非情な判断をすることがあって、場合によってはそれも是であるということなのか、いやいや、ま、そんなにわかりやすい話でもないでしょうね。
人の世は、何かと情で繋がっていて、情に厚いということは大事であるけれど、情に流されるということもあり、その辺りの兼ね合いの難しさがあります。
これは人間社会で生きていく上で永遠のテーマかもしれません。

竜馬が生きた幕末は、欧米列強の外圧から、この国がイデオロギーの嵐の中で大混乱していた時代で、そんな時どこからともなく現れたこの男は、どの組織にも属さぬ素浪人の立場で、いくつかの時代のスイッチを押して、向かうべき方向性を示して、またたく間に一気に駆け抜けて行ったわけです。
司馬さんが描いた、この竜馬という主人公は、ただの好青年ということでもなく、自己実現のために我儘で頑固でもあり、人たらしで強引だったりもして、やたら女性にモテたりもするんですけど、ある爽やかな余韻を残して、歴史の舞台から忽然と姿を消してしまいます。
作者はこの人物に関する文献を読めば読むほどに、ある引力のようなものを感じたでしょうか。その中で、「薄情の道、忘るる勿れ」というフレーズは、ある大きな意味を持っているのかもしれません。
坂本龍馬が亡くなったのが31歳ですから、この小説は青春小説でもあります。だいぶ前ですけど、仕事で四万十川を辿って四国山地のてっぺんまで行って泊まったことがあったんですが、この山脈は千数百メートル級の山々が連なっておりまして、けっこう深いんです。山道を歩きながら、その時ふと、龍馬はこの急峻な山を越えて土佐藩を脱藩したのだな、その時26歳かあ、などと思ったんですね。まさに青春です。
それで思い出したわけでもないんですけど、個人的にも、
なんか、この青春小説を読んだ後、34の時、前の会社辞めて独立したんだったなあ。

Ryoma_4

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