2022 今年の漢字は“戦“だそうで
毎年この時期になると、今年の漢字というのが発表され、京都の清水寺で偉いお坊さまが書き出されるところが放送されます。一年を振り返るひとつの行事ですが、令和4年の漢字は「戦」なのだそうでして、そういえば今年の春に始まったロシアのウクライナ侵攻は収束の気配もみせず、世界中に暗い影を落としたままです。
改めて地球上を見渡すと、戦(いくさ)の火種はあちらこちらにあり、台湾海峡をはじめ、アジアから中東、アフリカ、ヨーロッパと、ニュース映像は最新兵器のオンパレードで、よくぞこれほど揃えたものだと、ただ呆れるばかりです。
それらの破壊兵器を得るために、支払われた対価の虚しさと、それらによって奪われた貴重な生命と財産を思うに、人間が歴史の中で繰り返し重ねた甚大な負の遺産に愕然とするのみです。
この行為がいかに愚かで無意味なことか、人は歴史から学ぶことさえできていないということなのです。
今年のもう一つの「戦」は、カタール・サッカーワールドカップなのですが、こちらの方 は4年に一度開かれるサッカーの世界大戦でありまして、サッカーファンのみならず、世界中の人々が熱狂しています。
私も典型的な、俄ファンでして、普段それほどサッカー中継とか観てないんですけど、ワールドカップが近づくにつれ、試合を観たり記事読んだりしています。。そういうレベルですので、テレビ観戦しても、ボールを追っかけるのが精一杯で、あんまりサッカーの深いところはわかってないのですけど、素人なりにいろいろ観ておれば、世界的にトップレベルの強豪国チームの選手たちのプレーは、スピードも正確性の精度も格段に違うなということくらいはわかってきます。
そんな中、今年、我が国の SAMURAI BLUEが、グループE予選で、FIFAランキング11位のドイツと、7位のスペインから勝ち星を奪い、予選を1位通過したのは特筆ものの活躍でありまして、夜中にあちこちで、歓喜の絶叫をする人たちが溢れたんですね。
そこからベスト16に進み、前回準優勝チームのクロアチアと対戦します。ここも善戦し同点延長で引き分けになりますが、PKで敗れ初の8強には手が届きませんでした。ただ、4年後の次の大会には、大きな期待を抱かせる結末と言えます。
サッカー日本代表が、W杯予選に初めて参加したのは、1954年のスイス大会の時とあります。これ私が生まれた年ですが、そこから予選突破の長い挑戦が始まったわけです。そして、日本が初めて本大会に出場できたのが、1998年のフランス大会でした。その間、1960年代、70年代、私が子供から大人になっていく頃、サッカーは決してマイナーなスポーツではなくて、中学高校には強豪チームがひしめき、実業団のリーグ戦は人気もあって、よい選手も育ち着実に地力がついていたんだと思います。1980年代の後半からプロ化への動きが始まり、1991年にはついにJリーグが創立しました。そして1993年にあの有名なドーハの悲劇があって、いや、あの記憶は鮮烈ですけど、1998年、ようやく初出場を果たすんです。
それから、外国人の監督の時代もいろいろあって今に至るんですが、今回のSAMURAI BLUEのメンバーのうち、海外クラブでプレーする選手は20人、初出場の時は1人もいなかったこ とを思えば、隔世の感があります。勝負は時の運というけれど、それだけじゃドイツやスペインに逆転勝利する快挙は生まれないわけですよね。
いずれにしても、4年に一度、たった一つの国のチームだけが勝ち残るために、すべてのチームが全身全霊を賭けて戦うこの大会には、たくさんの可能性があり、未来を思うことができます。
それに引き換え、本気で現代科学の粋を集めて、国家の威信をかけて行う戦争という行為の果てには、絶望の悲しみと怒りしかなく、人として最も恥ずべき選択であります。
人間には、多分戦うという本能が備わっているし、それは避けて通れないこととしても、どんなことがあっても戦争という手は封印して、許してはならないんです。もしも、争いが生じたら必ず他の方法を選択して、解決に向かっててゆくことを肝に銘じねばなりません。
サッカーには、そもそも手を使えないという、あらかじめのシバリがありますが、そのことは何かを暗示している気もします。
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