2020(2021)TOKYO
そもそもこの時期にオリンピックを開催すべきだったのかどうかということは、後々まで語り継がれると思うのですが、ともかく開催都市東京の都民として、観戦に出かけるどころか外出も控えねばならぬ状況の中、不思議なオリンピックを経験したわけです。自国開催ということで、時差のないテレビ観戦はほとんどの競技が網羅されており、これと言ってやることもない国民としては、初めて見るような競技も含め、終日なんらかのテレビスポーツ観戦をしておったわけです。
このコロナ禍での自国開催という、いたって稀なケースでなければ、こんなにテレビの前に座ってスポーツを見続けることもありません。おまけにこの時代ですから、見ていてわからないことや、選手やその背景の情報なども、大抵のことはネットで調べながら見ることもできます。後にも先にも、ここまでじっくりとオリンピック観戦をしたことはまずないと思われますね。
その結果、日本選手団は史上最高のメダル数を獲得するという好成績で、開催国としての面目躍如を果たしたわけです。そこには当然、世界ナンバーワン、ツー、スリー、上位入賞の感動がありまして、それは、スポーツだけが持っている圧倒的な共感シーンです。これを体感するためにオリンピックは開かれていると言っても過言ではないのですね。
私もこれに異議を唱えるつもりなどさらさらなく、年取って涙もろくなってるところもありますが、やはりその感動に浸っていた一人であります。コロナ禍が拡大してゆく不安なニュースと、スポーツの感動シーンとがかわるがわる届いた開催期間中でした。
では、なぜオリンピックのメダルをめぐる物語には、感動がついてまわるのでしょう。
それは、どの競技にもその選手の肉体的な限界に挑んだ超人的なパフォーマンスがあって、その背景には、選手一人一人、そのチーム一つ一つ、それぞれのドラマがあり、その一瞬のために長い時間があったからなんだと思います。それは、実に地味な時間の積み重ねで、数々の失敗や挫折もあり、阻み続ける壁があり、希望もあればほろ苦い思いも詰まっています。そんな様々な背景を噛み締めながら、その成功や勝利の一瞬に立ち会うわけですから、感動は沁み渡るのですね。
そして、それは、数々の敗北の上に成り立っていて、その敗者にもたくさんの物語があります。
積み上げたパワーや技術が、どうしても目標に届かなかったということもあります。4年に一度というこのタイミングに、結果的にピークを持ってこれなかったというケースもあります。不測の事態が起こった場合もあります。圧倒的な事前の好評価をクリアできなかったケースもあり、事前の不利の予測を覆したケースもありました。
結果的には勝負事ですから、勝ち負けの光と影は、起きている事実に深みを与えるんですね。
この2週間、ここに書ききれないほどのアスリートたちの物語がありました。
・大橋ドン底からの快挙、メドレー二つの金メダル
・一二三、詩、兄妹で金、最強柔道チーム、井上監督の人徳
・梨紗子、友香子、姉妹でレスリング金
・中国の壁に挑んだ日本卓球団
・体操個人総合と鉄棒、橋本二つの金
・20歳の女子、ボクシング金
・10代スケボー日本、無類の強さ
・サッカー久保の号泣
・水泳池江、復活、泣けた
・稲見、粘りのプレーオフ銀
・1500m田中、毎回日本新記録
・負け知らず、侍ジャパン
・期待の桃田、大坂の無念
・陸上リレーの無念
・女子バスケットは、世界の壁アメリカに挑んだ
怒涛のスリーポイントと町田のアシスト新記録
・村上、女子体操57年ぶりメダル
・ソフトボール、執念の金
・大迫 42,195kmのシミュレーション
ちょっと思い出すだけでも、これくらい出てきます。
余談ですが、なんか刺激を受けまして、このところ酷暑でやめていたランニングに挑みまして、大迫をイメージしてスタートしたものの、ずっとうちでゴロゴロテレビ見てましたから身体はなまりきってました。いろいろ感動いただきましたが、現実はこういうことです。
これも余談ですが、ソフトボールの上野投手を見ていると、その投手としての在り方が、昭和のプロ野球の大投手・村田兆治選手(平成2年、40歳まで投げた)とイメージがダブるのは、私だけでしょうか。
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