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2021年6月16日 (水)

一人遊び力

なるべく人に会わずにいること、と云うことは、基本的に一人でいて、間(ま)が持つ能力が問われているということです。
一昨年、こいう事態になった時に、わりと近くに住んでおられる、敬愛するAZ先輩と話していて、
「こうなって来ると、しばらくお会いできないということですかね。」と申した時、先輩は、
「僕はもともと一人っ子だし、昔から一人遊びは得意だから、特に問題ないけど」
と言われました。
そういえば、この方は、いつまで飲んでいてもずっと味わい深く、飽きることのない方ではありますが、逆に一人にしておいても、いつまでも一人で遊んでることができる人でもあります。
精巧なオモチャの銃を組み立てたり、分解したり、ニボシの内臓を取り出したり、自分で作った燃料コンロの炎をじっと見てたり、何か焼いたり、一人用キャンピング軽自動車で地の果てまで出かけたり、ま、いろいろですが、全く一人で飽きるということがありません。
確かにこれは才能ですね。
それでふと思ったのは、自分も一人っ子だし、中学の時に広島に転校してからは、高校まで部活もやらなかったし、あの頃、わりと一人遊びは得意だったなと。何してたわけじゃないけど、放課後は、街をブラついて映画見てることが多かったし、でなければ、自分の原付船で海に出てるか、五右衛門風呂沸かすのが役目だったから、薪割りと火付け番やったり、ラジオ聴いたり本読んだり、タバコ吸ったり、わりと毎日飽きないでいたかなと。
世の中がこういうふうになる前は、なんだかんだ毎日のように、いろんな人と会って飲んだりするのが生業(なりはひ)でもありましたが、今みたいなことになると、そうも云ってられないわけでして、その一人遊びが得意な性分が生かせないかと思ったんですね。で、やってみると、コロナに感染しないように一人でいる時間を組み立てることは、わりとできるもので、そんなに退屈もしないです。
前はやってなくて、最近やるようになったのは、朝起きてからの簡易ヨガと、週に2回くらいの10キロランニング。これは年齢のせいでもあるけど、動かないことで身体が硬くなってることへの対策と、ただ飲んで食ってることで無法状態になっている体重の調整の意味がありますが、これやってみると奥は深いんですね。
それと、このところトライしてるのが、毎晩飲んでいた酒を二日に一回にすることで、これは個人的には画期的なことなんですけど、やってみると意外にできてまして、ほら、酒って誰かと盛り上がるんでつい飲んじゃうんで、一人ではそんなに飲まないでも済むもんだということが最近わかったんですね。うちは奥さんも娘も飲まない人だし。ただ、まる一日飲まない日ができると、その翌日の酒が妙においしいわけで、ついつい二日分飲んじゃったりして、量的にはあんまり意味ない気もします。
そういうこと以外は、まあ、思いついたことをやってるわけでして、何かに追い立てられてるんじゃないんですけど、やることはいろいろあります。このブログに書いてるようなことも多いんですが、基本的に物事をじっくり観察してると、いろんなことを思いついたり、気になったりすることも多くて、そういうことを順番に確認したり、調べたりすることになるんですね。考えてみると、この性分は昔から変わってないところもありますけど。
ただ、会いたい人はいろいろいて、やはり会いたいものでして、そこがしんどいところであります。たまに人に会えることがあると、この上なく嬉しいものです。

いつになったら元の暮らし方に戻れるのかはわかりませんが、それと、全く元通りというのも無理かもしれないけど、なんか時間も気にせず、気心の知れた人と、取り止めのない話を、酒飲みながらできるようになりたいもんです。
ま、それまで、一人遊びが上手になるぶんにはいいんですけど。

Yoga_2

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