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2019年10月18日 (金)

「JOKER」は満席なわけで

前回に続いて、また映画の話になるのですが、「JOKER」が封切られて、ずいぶん世の中を騒がせているようです。私も観に行こうとは思ってたんですが、すでに大ヒットの呼び声も高く、SNSもリアクションが大きくて、すごく話題になっています。

そんならともかく行ってみようかと、先日劇場に足を運んだんですが、けっこう大きなスクリーンが、いやはや満席状態なんですね。客層はわりと若い人が多かったかなあ。

で、どうだったかと云うと、これはものすごい精度の、非常によくできた映画で、すばらしかったんですけど、話はとっても暗いんです。有名なアメコミの悪役が生まれるまでのストーリーを追ったピカレスクロマンなどというものではとてもなくて、社会の底辺の恵まれない孤独な青年が、救われることもなく、次々に周りから人格を壊される不幸に見舞われ、その結果、悪の権化と化して行くお話でして、いやその辺りが、すごくよくできている分、とても重たくて、気は滅入ります。

正直、観た後でこんなに落ち込む映画が、本当に大ヒットするんだろうか。しかし、すでに劇場は満員です。ヴェネツィア国際映画祭グランプリという情報が後押ししていることもありますが、かつてそれだけではヒットしなかった映画もたくさんありましたし、だいたい暗い話には、客足が鈍るんですけどね。

もともとアメコミのキャラクターの話なのに、こんなにもリアルに身につまされるのも不思議と云えば不思議です。

いままでにも、ジョーカーはスクリーンに何度も登場しているし、かつていろんな名作があるし、今回も映画館に来てみたけど、なんだかこんなにつらい映画だったのかと思う人もいるかもしれないけど、この映画は、口コミで観客数は伸びる気がするんですね。

それは、この映画が持っている表現そのものの力とでもいうんでしょうか。

脚本の深さもそうですし、演出の斬新さだったり、音の使い方も素晴らしいし、ロケーションもカメラも、いろいろあるのですが。

Joker3_2

なんと云っても、主役を演じる ホアキン・フェニックスという役者がすごいんですね。

彼が造形するアーサー・フレックからジョーカーへと変貌していく主人公には、計り知れない奥行きがあり、この映画をただならぬものにしています。映画が始まってから終わるまで、観客は常にこの役者から漂う、弱者に無関心な社会に見捨てられた男の内面を見つめ続けることになります。

初めて語られることになったジョーカーというキャラクターの成り立ちを、この役者と監督はどうやって作っていったのか。ちょっと想像を超えるエネルギーが使われたと思われます。

この映画のベースに、マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」を感じることも確かですが、そこで主役を演じたロバート・デ・ニーロが、ここで重要な役柄を演じていることも大きな意味を持っておりますね。

とりあえずこの作品、いろんな意味で救われない話ではあるし、キャラクターに共感のしようもないと云えばないし、ただアメコミの有名な悪漢をネタにした映画ではあるんですが、そういうことを超越した、何かを、観た者に残す気がします。

多分、のちのち名作と呼ばれるのは間違いなさそうではあります。

 

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