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2014年8月13日 (水)

やはり暑い 広島篇

えー、毎年この時期になりますと、毎度同じ話で恐縮でございますが、いや、暑いですな。

今年は私、還暦ということもあり、いろいろな方からお誕生日のお祝いをしていただきました。この場を借りましてお礼申し上げます。

しかしながら、7月28日とは、ずいぶんと暑い日に生まれたものだと思います。60回もやってきましたこの誕生日、はじめのころはよく覚えちゃいませんが、覚えてる限り、たいていの場合、酷暑です。まず、梅雨は明けてますし、だいたい晴れ渡った青い空に入道雲なぞありまして、蝉しぐれですな。思えばうちの母親も、ずいぶんと暑い日の出産で大変だったと思います。この場を借りてお礼を申します。昭和29年といえば、エアコンはないですし、一人流産した後の初産ということで、広島の実家に帰ってのお産だったそうで、この実家の縁側の横の畳の部屋で生まれたんですが、この部屋がまだ残ってるんです。考えてみるとすごいことですが。

でまた、広島の夏というのがスペシャルに暑いんです。瀬戸内の夕凪というのがありまして、海風から陸風に代わる無風状態を云うのですが、夏はこれがかなり長時間に及ぶんです。いわゆる夕涼みというのができない。私が広島に住んだのは、中学1年の2学期から高校卒業までなので、6年の経験でしかないですが、どの年も暑かったです。

もっとも暑い、夏のピークは、夏休みが始まる頃の7月の20日くらいからお盆過ぎの約一カ月です。私が生まれた年の9年前の昭和20年の夏のさなか、8月6日に広島には原爆が投下され、そして15日に終戦を迎えます。私の生まれた夏にはまだまだその記憶が濃く残っていたと思います。

最近、爆弾を投下したB-29の最後の乗組員が亡くなったと聞きました。その人のインタビューもありましたが、アメリカの記憶はあくまでも飛行機から見た空からの風景でしかありません。このことを語るとき、やはり地上の生き物として体験したことを記憶としてきちんと残さねばとおもいます。

そんな事をかんがえながら、しばらく前に読んだ重松清さんの「赤ヘル1975」という小説を思い出しました。いい本だったんです。

1975年、広島カープが1949年の球団創設以来の初優勝をする年、原爆投下からちょうど30年後という年の、ひと夏のお話です。この年の春、東京から広島に 転校してきた中学一年の少年が主人公で、広島市内のカープファンの同級生たちとの間に芽生える友情や、原爆とのかかわりの中で暮らす街の人々の悲しみなどを知ることで、広島というある意味特殊な街を、少しずつ理解し、溶け込んでゆく様子が描かれています。

私は、1975年ではありませんが、1967年に中学一年生で、広島に転校してきた少年でして、その前にさんざん転校もしていて、この小説に描かれている少年、マナブ君の気分がとてもよくわかりました。

個人的には、まさにあの頃を思い出す気持ちでした。

私は、広島に5年半ほどおりましたが、この13歳の主人公は半年ほどで広島を去っていきます。広島でいろいろな体験をし、原爆のことも知り、成長をし、せっかくなじんできた頃、カープがついに優勝を達成したところで、また転校してゆきます。この街に来ることになったのも、去っていくことになったのも、お母さんと離れて暮らすことになったのも、父一人子一人で暮らしているマナブ君の父親が原因でして、悪い奴じゃないんだけど、なんていうか調子がよくていい加減な人で、マナブ君は振り回されています。この勝征さんという父親の人物の描き方とかが、重松さんは相変らずうまいです。

私が転校した時もそうでしたが、この街の同級生は全員がカープファンで、まあ街中の人がほとんどそうなんですが。この球団は、この街の復興の象徴でした。1975年、私はすでにこの街を離れていましたが、カープの初優勝がこの街にとってどれほど嬉しいことだったかは、知っていました。

多感な十代を過ごした、広島のべた凪の夏を思い出しました。

作者のプロフィールを読んでたら、マナブ君の設定は重松さんと同級生ですね。

1975年に中学一年生、重松さんはどう考えても、カープファンですね。

Hiroshima_3

 



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