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2014年9月12日 (金)

リバティ・バランスを射った男という映画

年とると、子供の頃の記憶がどんどん遠くになっていくんですけど、たとえば子供の時に見た映画のことを、どれくらい覚えているのかという興味がありまして、ちょっと考えてみたんですね。

なんせ私の幼少期というのが、映画産業最盛期でして、1950年代から1960年代初頭なんですけど、映画観客数が年間で10億人を超えてまして、人口が1億に満たない頃ですから、1人が1年間に10回以上映画館に通ったことになります。テレビが急激に普及するのが東京オリンピックの1964年頃ですから、その前は娯楽といえば映画だったわけです。その頃、映画館は7000館以上あって、私が住んでいた、当時は中央線のはずれの西荻窪にも、2軒の立派な映画館がありました。

そんな頃でしたから、子供もよく映画館に行ってたんですね。子供向けのアニメーションや怪獣映画も名作がいろいろあったんですが、うちのオヤジがかなりの映画好きだったもんで、自分が観たい映画に行くときに、やたらと私のこと連れていきまして、おまけに、こっちはようやくひらがなが読めるかどうかの時に、ほとんどが字幕の外国映画だったんです。でも、全然いやじゃなくて、非日常っていうか、ホント楽しかったんですよ。ほとんど忘れてると思うんですけど、不思議と断片的に記憶に残ってるシーンとかがあって、これ多分1959年に作られた「刑事」というイタリア映画なんですけど、ラストシーンで刑事と連行される犯人の車を、きれいな女の人が走って追いかけていて、ここでかかってる曲が“アモーレ、アモーレ、アモーレ、アモレミーオ”って唄っていて、この曲、有名な「死ぬほど愛して」という曲らしいんですが、すごくそのシーンだけよく覚えてるんです。ミステリーだし他は意味わからなかったんでしょうけど。で、調べてたら、そのきれいな女の人は、あのクラウディア・カルディナーレで、デビュー作だったようですね。まあ、そんな映画が何本かあってごちゃごちゃに頭の中に入ってるんですね。

そうこうしているうちに、小学校にも上がり、映画鑑賞にも慣れてきたのか、映画に対して妙に理解力のあるガキになっていきます。相変らず字幕はあんまり読めないんですけど、慣れってあると思いますね。

 

その頃「リバティ・バランスを射った男」という映画がありまして、その映画のことすごくよく覚えてるんですね。そこで、その映画観てみようと思ってアマゾンで検索したらすぐあって1254円で簡単に手に入りました。そこで、自分の記憶がどれくらい確かなものか、試してみることにしました。半世紀ぶりですが。

これが、意外と間違ってないんですね。細かいこと云えばちゃんとわかってなかったとこも多々あるんですけど。大筋だいたい正しかったと思います。

これ、どういう話かというと、西部劇なんですが、主人公はランスという青年で、東部で法律を勉強して志に燃えて西部のとある町にやって来ます。しかし、この街は、法律も整備されておらず、たよりない保安官が一人いるだけの無法地帯なんです。この街に暮らす小さな牧場主のトムは、「自分の命は、自分の銃で守る。」という考えの西部の男で、ランスとは対照的なもう一人の主人公です。そして、この土地の無秩序を体現している無法者が、リバティ・バランスと云う男なんです。

物語は、上院議員として大成したランスが、かつて馬車でやってきたこの街に、鉄道で帰ってくるところから始まります。それは、トムの葬儀に出席するためでした。トムの晩年はちょっと寂しいもののようで、時が流れてしまったことを感じさせます。

かつてランスは、弁護士として、この街の法を整えようとしますが、ことごとくリバティ・バランスによって破壊されてしまいます。度重なる暴力の末に、ランスは銃を手に無法者と決闘することになります。とても勝ち目はありません。しかし、ランスはリバティ・バランスを打ち倒すんです。

でも、この時、実は物陰からリバティ・バランスを射ったのはトムだったんです。東部の男と西部の男はずっと相容れない対立軸にいましたが、西部の男は、西部の象徴である銃で東部の男の命を救い、東部の男は政治家として、西部の法治化を進めることになります。

ランスを演じているのは、ジェームス・スチュアートで、ヒッチコックの映画で、数々の重要な役を演じていて有名ですが、洗練されたインテリのイメージが強く、まさにこの役にピッタリです。そして、西部男を代表するトムが、ジョン・ウエインというのもこの上ないキャスティングです。この映画の時代背景は、鉄道の普及とともに西部が開発されて整備されていく時代であり、その時代に置いていかれる西部の男の哀愁のようなものが、ジョン・ウエインに漂っています。

リバティ・バランスを演った リー・マーヴィンもはまり役で、憎むべき悪役を見事に演じ切っています。主役の二人に比べると、年も15歳くらい若く無名でしたが、この役で、ジョン・フォードに認められてスターになるきっかけを掴んだみたいです。

調べてみると、この映画は西部劇の中でも名作と云われていて、名匠ジョン・フォードが、ジョン・ウエインと組んだ20本の映画の最後の作品であったようで、1962年の公開ですが、ジョン・フォード68歳、ジョン・ウエイン55歳、ジェームス・ステュアート54歳と、円熟期で、あらためて観るとよく練られた渋い映画であります。

小学2年生の私は、彼らの現役時代にギリギリ間に合った感がありますが、小学2年生にこの映画のどの部分が響いて、どう感動したのか、今となってはよくわかりません。

ただ、ずっと覚えていて、わりに正しく理解してたのは確かですが。

ちょっと思ったのは、私の中では、西部の男たちの哀愁みたいなものが強くて、たぶん時間が経つとともにそれが醸成してウエットな印象が残ってたかもしれませんが、実際観てみると、もうちょっとカラッとしたアメリカ映画だったわけで、そこは日本人のせいでしょうかね。

DVDを観ていてひとつ気がついたんですけど、リバティ・バランスの子分の一人が、ジョン・ウエインに一発でのされてフレームから消えちゃうんですが、この人が、あのリー・ヴァン・クリーフで、のちにマカロニウエスタンで大スターになって、サントリーのウイスキーのCMにも出てた人なんです。こういうの見つけると、なんか得した気持ちになりますよね。

Liberty_valance_2



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