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2014年5月 2日 (金)

私的・阪神ファンの歴史

今年は、プロ野球が開幕してから、珍しくタイガースが調子よくて、わりとここ数年にはなかったことなので、久しぶりに書いとかないと、また書く機会を失うかもしれないので、ちょっと書いときますね。

2005年にリーグ優勝して、日本シリーズでロッテにコテンパンにやられて、1勝もできずに4連敗してから、現在に至るまでずっと不調で、これは今に始まったことではなく、私が覚えてる限り優勝したのは、1985年と2003年と2005年と、まあめったに優勝なんかはしないチームなわけです。

では何でこのチームを応援しているかというと、いつも肝心なところでは勝てないんだけれど、その中に肩入れしたくなる、強いチームに(まあ巨人のことなんだけど)立ち向かっていくヒーロー的な選手が、必ず一人いたからなんですね、昔から。

具体的には、最も強かったころの常勝巨人打線からほとんど点を取られなかった、村山実投手、江夏豊投手。この人たちは、巨人に対して異常な闘争心をむき出しにして、剛速球で挑み続けました。有名な話ですが、かつて天覧試合で巨人の長嶋選手から撃たれたサヨナラホームランを、村山はあれはファールであったと最後まで言い張っており、その後、自身の記録である1500奪三振も2000奪三振も、長嶋選手から狙って奪っております。後輩の江夏投手には、

「長嶋は俺がやる、王はお前がやれ。」と、言い放っており、

江夏は日本新記録となるシーズン354奪三振を、狙い澄まして王選手から奪っております。多分、私の年代で阪神ファンを名乗っている人は、少年時代に、この村山か江夏に影響を受けた人です。

チームは優勝とかできないんだけど、この役者たちは試合の中で、必ず痺れる見せ場を作るわけです。云ってみれば、ちょうど幕末に散っていった新撰組の近藤勇と土方歳三のような存在とでもいうのでしょうか。

村山投手が引退をして、その後江夏は球団を追われます。このあたりがこの球団の球団たるところなんですが、ちょっと生意気で扱いにくくて多少ピークを過ぎたと思われる選手は、すぐトレードに出しちゃうんですね。私は江夏の大ファンでしたから、数日間呆然としていました。阪神ファンを辞めようかとも思いましたが、江夏とバッテリーを組んでいた田淵幸一捕手は、見事な滞空時間の長いホームランを打つ選手で、ホームランアーチストと呼ばれ、1975年には、王選手の14年連続本塁打王を阻止し、名実ともにミスタータイガースとなって孤軍奮闘しておりましたので、思いとどまります。

ただ、それも長くは続かず、1978年のオフの深夜、突然トレードに出されます。

1969年からの数年間、江夏・田淵の黄金バッテリーでのセ・リーグ制覇を思い描いたファンの夢は、早くも終わりを告げました。結果的にはその後、二人ともリリーフエースとしてまた4番バッターとして移籍先の球団を優勝に導きます。全く、阪神の球団フロントは何をやっとるんじゃと、いまだに憤ってるわけです、個人的には。

ファンにとっては、ヒーローをすべて失ってしまったかに思われましたが、そのころ、1974年にあまり期待もされずドラフト6位で入団したあの掛布雅之が確実にポジションをつかみ始めます。江夏と田淵を順番に失っていく中で、この高卒ルーキーは成長を続け、本人いわく身長まで伸びるのですが、3年目には、27ホーマーを放ちます。阪神ファンたちの愛情は、すべてこのカケフ君に向かいます。

今もそういうところあるかと思うんですが、あの頃の阪神ファンというのは、ちょっとどうかしてたんですね。

1973年のペナントレース10/22最終戦に、巨人と阪神が優勝をかけて戦った歴史的な試合があったんですが、9-0で阪神は完敗します。その時、甲子園の阪神ファンたちは、なだれを打ってグランドに駆け下り、逃げる巨人の選手につかみかかります。胴上げどころじゃありません。さすがに後味悪かったですね。

まあ一事が万事そういうところがあって、情が深すぎるというか無茶苦茶なとこがあります。友人のK野さんという人は、高校卒業まで甲子園のすぐそばで育って、今ヤクルトファンなんですけど、何で阪神ファンにならなかったかと云うと、阪神ファンを見て育ったからだと言いました。

ヒーローが誰もいなくなったタイガースで、掛布はものすごく愛されたんですけど、不調になるとものすごいブーイングも浴びます。なんか気質として愛憎が激しいんですね。

そういう阪神ファンとは少し距離を置いてるつもりなんですけど、やはり阪神ファンなので、そういうとこありますね、ちょっと。最近掛布さんが本を出していて、当時を振り返ってますけど、好調時は天国、不調時は地獄だったと言ってます。でもあのファンの歪んだ偏愛が、あれだけのホームランを打たせたかもしれぬと言ってます。複雑です。

そして、江夏がいても田淵がいてもまったく達成することのなかった優勝のチャンスが訪れます。

ちょうど、江夏と田淵が球界を去った1985年。4番打者は掛布(30歳)です。そして田淵との交換トレードでやってきた真弓明信(32歳)、1980年にドラフト1位で早稲田から入った岡田彰布(28歳)、そして海の向こうからタイガースを優勝させるためにやってきたランディ・バース(31歳)。この年、この私と同年代の選手たちが200発ものホームランを放ち、1964年以来のリーグ優勝、その勢いで、常勝広岡西武ライオンズを日本シリーズで破り、日本一を達成するのであります。

ただ、強かったのはこの年だけでした。そのあとまた2003年まで18年間優勝から遠ざかります。ま、強いんだか弱いんだか判らんチームなんです。たぶん弱いんですけど。

まあ、そういうチームなんで、自然とチームというより4番打者とか、エースの活躍に関心がいってしまうところがありまして、そういう選手がいない時は、ひたすらよい新人が育つのを待っているわけです。それなので、ファンは昔から二軍の選手のことをよく知っているし、毎年ストーブリーグ(ドラフトやトレードの話題)は大変盛り上がります。

そうこうするうちに、プロ野球界では、FA制度が始まり、4番打者やエースに他球団から来ていただくということが始まります。阪神も広島から金本さんに来て頂いて、優勝できました。思えば、この制度がなかったら1985年からいまだに優勝してなかったりするわけですから、これはこれでありがたいことなんですが。

ただ、掛布さんも書いていますが、やはり、そのチームの4番打者とエースは、そのチームが育てるのが理想だし、だからこそ盛り上がるんじゃないかということも、たしかに言えると思います。

まあ、昔からの阪神ファンとしてはですね。あの江夏や掛布のように、逆境を跳ね返して、胸のすくような勝ちゲームを見せてくれる、筋金入りのスラッガーやエースを待っているわけです。

そう考えるとですよ。今、やっぱ期待するのは、藤浪晋太郎君なわけです。たまたま今打線が調子よくて、マートンもゴメスも鳥谷までもよく打ちますけど、これ常識ですけど、打線は水物なんです。行き先を見失ったチームを救えるのは,やはりエースなんですね。あの村山や江夏のように。

藤浪君は、若いのにしゃべることもちゃんとしていて、賢くて大人だと思いますが、まわりを気にせずに、あの切れの良いストレートを磨いて、圧倒的なエースを目指してほしいです。そして、あの巨人打線からビシバシ三振を奪ってほしい。

思えばこれまで、いろんなことがあったわけですが、ファンとしては、ここんとこ、またちょっと盛り上がっております。

Fujinami2

 



 

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