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2014年1月17日 (金)

「無重力」という映画

去年の反省の一つとして、映画館で映画を観てないなあ、というのがあります。最近、会社の中で仕事してることが多くて、昔ほど外をほっつき歩いてないし、今なかなか飛び込みで映画館って入れないし、映画館でかからなくなっても、どっか他のメディアで観れるだろうという気持ちもあるし、なんとなく映画館入って映画を観る頻度は、減ってると思うんですよね。

ただ、いい映画を映画館で観ると、やっぱ映画は映画館で観なきゃと思うんですね。去年だと「レ・ミゼラブル」とか、やっぱりスクリーンで観るから伝わることっていうのはあるなあと。そもそも、映画って映画館でかかるってことを前提で作られてるんだから、そりゃそうなんですけどね。

そういう意味でこの映画こそは、映画館で観なくちゃだわと思ったのが、

“GRAVITY”でした。

「重力」まさに観客はこの映画を通して、ものすごい重力の体験をします。

俳優の演技も、それをとらえる光も、CGも、合成の技術も、そして3Dの効果も、音響も、すべてそのために駆使されたものです。

最先端の技術、ただそれは素晴らしいのだけど、この映画の本質はそこではありません。

もっとも適していると思われる映画の技術は、監督やキャメラマンやスタッフたちが選び開発したものです。今更ながら気づかされますが、技術は映画のメッセージを観客に伝える道具でしかありません。だからあんなにすごい技術なのに、それ自体が目立つことはなく、むしろその効果は、あたりまえのように自然に感じます。映画の意図を伝えるために研ぎ澄ました技術は、見事に抑制されているのです。

Gravity1

この映画は、宇宙空間で働くクルーに、ある事故が起きて、たった一人の生存者となってしまった主人公が、絶望の淵から折れかけた自身を立て直し、地球に生還するまでのお話なのですが、非常にシンプルなストーリーながら、その無重力の世界を描く映像表現があまりに見事なため、観客は最後まで主人公から目を離すことができません。

私たちは、このヒロイン、サンドラ・ブロックが生還できることを切に願い、心から祈る気持ちです。その途中、その生還を託して消えていったジョージ・クルーニーも、実に良い芝居をしています。

さまざまの困難の果てに、サンドラ・ブロックが地球の重力で大地を踏みしめた時、私も映画館の床をおもいきり踏みしめていました。

私は、一応映像にかかわる仕事をしているので、この映画のプログラムの解説を読んだり、ウエブサイトのメイキング映像を見たりすると、どんなふうに撮影をしたのだろうかということが、多少想像できるのですけど、これはものすごい執念と、驚異的な粘りの上に、相当な時間をかけて撮影されたこと、出演者はほぼこの二人ですけど、ずっとライトボックスという箱に入れられて、いつも12本のワイヤーで吊られていたことが解ります。

インタヴューの中で、彼女が「二度とやりたくない撮影」といった意味がよくわかります。まさに絶望の淵にいる主人公の表情が、本当に絶望している表情に見えるのは、演技だけとは思えない、酷使された女優サンドラ・ブロックのリアルな顔なんじゃないかとも思えます。ともかく、この変態ともいえる監督アルフォンソ・キュアロンとキャメラマン エマニュエル・ルベツキの要求に耐えた俳優陣(二人ですけど)に拍手を送ります。

そして、この監督とキャメラマンとスタッフたちにも、

「いよっ、この変態!!」と声をかけて、賞賛の意を表したいです。

美女を箱の中に入れて、ひもで吊るし、宇宙服を着せたり脱がしたりして、リモコンのカメラで何日も覗き込む行為は、客観的に見ると変態ですよね。映像の仕事をしていると、このようなタイプの人は、周りにわりといらっしゃるんですけど、スペシャルな方がいらしたもんです。なんか嬉しいですね。

ここまで完成度の高い技術というのは、出来上がった映像をむしろ自然にしか感じさせないものだということがわかります。そして、映画館で観なければ全く意味がないということでもあります。

お見事でした。

Gravity2_2



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