司馬遼太郎さんのこと
司馬遼太郎さんが亡くなってから、早9年経ちます。この人の書いた小説や紀行文やノンフィクシ ョンやエッセイなど、私はずいぶん読んでいるのですが、この人が存命中に書いた分量は計り知れず、読みきるということがないので、今でも時々文庫本などを買って読んでいます。
先日たまたま買ったのは、昭和48年(1973年)に司馬さんが自宅で語り下ろしたという本でした。その中にベトナムのことが語られていました。今年、ベトナム戦争終結30周年ですから、この取材がされたのは、まだベトナム戦争がおこなわれていた頃のことです。私事ですが、昭和48年は進学のため上京した年でした。その少し前、私は広島の高校生で、その頃、広島の街で知り合った岩国基地のアメリカ兵数人と友達になり、その後、その中の一人がベトナムで戦死したことがありました。そんな事があり、当時のベトナム戦争に関する報道記事には、比較的強い関心を持っておりました。その頃の記憶をたどりながら読んでいると、この人は、この時期、ベトナムに対してきわめて先見性のある見方をしていたことがわかりました。南ベトナムという国は、アメリカの資本が途絶えれば、直ちに国家として成り立たなくなることや、アメリカの関心が、その後中近東に向くであろう事なども予測しています。また、アジアの国々が国家を成立させるためには、資本主義というか消費文明を遮断して貧乏なら貧乏なりにやっていくしかないとも言っています。またしても、なかなかに、ふーむとうなってしまう本でした。
この人の本を、確か最初に読んだのは、土方歳三の話だったと思います。20代の後半だったでしょうか。本当に面白く、次々に、この人の世界にはまりました。物事に対する洞察力の深さとか、真実を知ろうとする執着心の強さとか、感心してしまうことは多いのですが、何故か不思議に元気が出るんです。この人の書いたものを読んでいると。
司馬さんは、兵隊として終戦を迎えました。そこから帰ってきたとき、どうしてこの国があんなわけのわからない戦争を起こしてしまったのか、どんなに考えてもまったくわからなかったそうです。日本中の人がそういう気持ちでがっくりしていたとき、それ以前のこの国の歴史と、そこにいたこの国の人々のことを調べていくうちに、司馬さんは日本人として、だんだん自信を取り戻してきたそうです。そんな気分が読者にも伝わっていったのかもしれません。
2005/5
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