ツバイヘルツェンという店
初台の新国立劇場の近くに、“ツバイヘルツェン”という小さな洋食屋さんがあります。ドイツ語で、二つの心とでもいう意味のようです。この店に初めて行ったのは、もう20年位前になります。もちろん国立劇場もない頃、路地裏のほんとに小さな一軒家で、看板もドイツ語で読めないし、店なのか民家なのかわからない、不思議なたたずまいの店でした。当時私はたまたま初台に住んでいたのですが、偶然ともだちに連れて行かれたこの店は、ちょっとびっくりするほど、おいしかった。そして、ちょっとびっくりするほど、ユニークなマスターがいたのです。
ここの料理は別段かわったこともない洋食です。たとえば、オムライス、コーンコロッケ、ソーセージ、ビーフシチュー、マカロニグラタン、ネギピザ、カレーライス、ハヤシライスとかとか。でも、どの料理も普段食べているものと明らかにちがう完成度がありました。そして本当においしい。感動をあらわにしていると、カウンター越しにマスターが、どうだ、このやろう、まいったか、みたいな顔してこっちを見ているのに気付きます。やがて少し親しくなると、今度は、こっちが食べてる横から、どうだ、このやろう、うまいだろ、と話しかけてきます。そして、何故うまいかの解説が始まります。さんざん通った私は、それぞれの料理の解説をほぼ覚えてしまいました。要するに、どの料理も、この店では、出来合いの材料は使わず、素材からしかつくらないということ。そして、その作り方は、マスターが13年間ヨーロッパの一流ホテルで働いて身につけた技術であるということ。そして、このマスターにものすごく料理の才能があったこと。常々彼は料理は芸術であるといっております。まあいってみれば自画自賛なのですが、うまいのは確かなわけで、ごもっともなわけです。
このマスター、松永穂さんといいます。この人、何ていったらいいか、頑固で短気、酒飲みで生一本、融通ならきかない。知る人ぞ知る名物マスターなのです。この人は、初めての客にとにかく厳しい。(美人だと優しいんですけど。)うまいものを、ちゃんとうまいとわかる客かどうか、まずじっと見ております。少しでも気に入らないと、明らかに不機嫌になり、あげくに、出て行けこのやろうということになります。そういう時は、人間のできた奥さんがとりなして、何とかおさめるのが常ですが、せまい店内は、一瞬すごく気まずくなります。それに、この店は完全予約制です。どんなに暇でたとえ客が誰もいなくても、予約してない客は入れません。こういっちゃ何ですけど、完全予約制の店には見えません。偶然入ってきておもいっきり怒鳴られた客のほうがいい迷惑です。驚いて帰ろうとする客に、来るときは電話してから来いよとかいって、無愛想に店のカードを渡したりします。いつだったか、店閉めたあと酒飲んでいて、何故にここは完全予約制なのかを聞いてみたことがあります。酔っ払ったマスターがいうには、うちは、今日来る客のために、何時間も何日もかけて材料を用意する店なんだよ。ソースだってなんだって全部素材から作ってんだから。急にきて、ハイヨってわけにゃあいかねえんだよ。たとえばピザの生地だってうんぬんかんぬんと、いつもの長い話になってしまい、質問したことを後悔したものでした。でも、この人は、自分が好きな人に本当にうまいものを食わしてやりたいという愛情にあふれた人であることも確かです。ちょっとわかりにくいのですが、しばらく付き合うとよくわかります。
実は、マスターが昨年の春に病気で亡くなっていたことを、最近になって知りました。64歳だったそうです。ここ数年ご無沙汰していて何も知りませんでした。店のほうは、奥さんと息子さんで続けてらっしゃるとのことでした。電話をして奥さんに、遅ればせながらお悔やみを申し上げて、久しぶりに予約をしました。店の奥に小さな仏壇があって、機嫌のよさそうなマスターの小さな写真がおいてありました。その横に大学ノートが4冊あります。この店の客たちが1ページずつマスターに手紙を書いてました。みんな、怒られもしたけど、こうやっていなくなってみると、なつかしい人だよなあと、思っているみたいでした。私も書きました。料理のレシピは完璧に奥さんと息子さんに伝わっていました。本当によくできた奥さんです。マスターの作品ともいえる料理はちゃんと残り、家族が引き継ぎ、客たちにこんなに惜しまれて。悲しかったけど、ちょっとうらやましい人だよなと思いました。ホントにわがままだったんだから。
“ツバイヘルツェン”の意味する二つの心とは、料理をつくる人と食べる人の二つの心のことだと、いつか聞いたことを思い出しました。
2005/6
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