友達の死
なんだかどうにかなっちゃうんじゃないかっていうぐらい暑かった今年の夏も、いくつか台風が通り過ぎて行くうちにいつのまにか終わってしまいました。自分の周りでは時間の経つスピードがどんどん加速しています。どうして子供のころは今よりゆっくり時間が過ぎていたのでしょうか。それは、大人になるにしたがって記憶力が弱くなるので、ただ単に日々の出来事を忘れてしまい、時間が速く過ぎた気がするんだといった人がいました。
そうかもしれません。子供のころはほんの些細なこともいつまでもしつこく覚えていた気がします。夏も長かったもんなあ。私達は、どんどん増えて行く記憶を、仕舞い込んだり引っ張り出したり、失くしてしまったりしながら日々暮らしています。たくさんの記憶が溜まって溜まっていくうちに、大人は記憶力が弱くなってしまうのでしょうか。
この夏、学生時代の友達が一人亡くなりました。大人になる前の記憶をたくさん共有していました。でもそれを確認しあうこともありません。亡くなったことすら知りませんでした。最後に会ったのは彼の結婚式だったでしょうか。どこかでいつでも会えると思っているうちに、とんでもなく時間が経っていました。
亡くなってしばらく経った8月のある日に彼の自宅を訪ねました。道路公団の橋の設計の仕事をしていたこと、つくった橋が彼の誇りだったこと、その仕事のストレスから胃をやられてしまい仕事を失ったこと、そのことが最後の病気の遠因になってしまったこと。私の知らない彼の時間がそこにありました。こんなときに何の役にも立たなかった無力感と、記憶の一部をなくしてしまったような喪失感。こたえました。
このことで音信の途絶えている友達数人と電話で連絡をとりあいました。近いうちに会うことになるかもしれません。夏の終わりに時間ということを少し考えました。
2004/10
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