この年末に思うこと
そろそろ2019年の年賀状をどうしようかなと考え始めて、猪の絵でも探そうかと思いまして、「もののけ姫」の老猪のことが浮かんだりしながら、はて、2018年はどんな年だったかなと思うとですね。
いろんな事があったけど、まさに今年は、私の父と母の介護が始まった年でした。
父が昭和3年、母が昭和4年の生まれですから、二人とも、かれこれほぼ90歳ということで、いろんなことになるのは当たり前なんですが。
まず、この春に、父の心臓のペースメーカーに不具合が生じまして、専門的なことはわからないのですが、それを取り外すのが意外に大変な手術になって、長期の入院になりました。それと、そのことだけでなく、ほかにもいくつかの病気が併発しておりまして、一度退院したんですが、すぐにまた別の近くの病院に再入院しました。
そのことがあって、たびたび帰郷を繰り返しておるうちに、このところ物忘れの症状がひどくなってきた母が、やはり認知症であると診断されまして、母一人を自宅で生活させることは、かなり心配な状況であるという判断がありました。
そのあたりで、あの暑い夏がやってきたんですが、いろんな意味で、身体の弱った年寄りには、今年の暑さはこたえるし、そうこうしてるうちに豪雨からの水害もあって、住んでる地域の交通などのインフラが一時麻痺することにもなりました。
いろいろ悩むうちに、父が入院している病院の担当医師のご厚意で、父の病室を二人部屋にして、母も一緒に入院させていただくことが出来て、とりあえず一安心ということにはなったんです。
その後、父は入院したままですが、長期入院で弱った足がますます使えなくなっており、母の方は自宅に戻りましたが、今は泊まり込みのヘルパーさんと、私たち夫婦と、近所の親戚にお願いしたりしながら、誰かが必ず家にいるような状態を保っております。
そんな年だったので、東京と広島の新幹線の往復は、春から10数回を数え、カミさんの回数を加えるとその倍くらいになります。学生のころからずっと東京に根を張った暮らしでしたから、ある意味予測できたことでもありますが、いつの間にか東京-広島間が4時間を切るスピードで移動できるようになっていて、考えてみると助かっています。
この歳になると、世の中の事情もありますが、介護の話というのは、すごく身近なことになります。みんな順番に年を取って行くのですから、これは自然なこととも言えますけど。
人は、老いてくれば、若い時に持っていた生きるための機能を、だんだんに失っていくということがよくわかります。それを補い、生きて行くことを手助けするのが介護という行為なんだと思います。これは、自分一人では生きていけない小さな子供を手助けする育児という行為と共通したところがあります。
かつて自分を育ててくれた親が、いろんな生きていく機能を失いつつある時に、今度はこちらが少しでも手助けを出来ることは、このところ少しずつ長くなってきた人生の時間に感謝するべきことかもしれません。ただ、育児というのは、その対象が日々いろいろな能力を獲得していくのに対し、介護というのは、それを失うことを少しでもくい止めるというようなことですから、未来感は弱いわけです。
人生を1日の時間に例えると、誕生が日の出であれば、今は日没に向かっていく黄昏時の中で、いろいろなことを感じる時間を過ごしているということなんでしょうか、切なくもありますけれど。
そんな気持ちになりがちなんですが、ただ、介護にかかわっておられるその仕事のプロの方たちは、どの方も、ものすごく前向きで元気でいらっしゃいまして、まったく頭が下がります。当人も家族も、明らかにその方たちに、支えていただいてることがよくわかりますね。
そうこうするうち、今年も暮れていき、また新しい年がやってきます。
過ぎていく時間の中で、それこそ時間ということを考えてしまう、今日この頃なのです。
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