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2014年3月13日 (木)

「角川映画」の時代

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日本の映画の歴史の中で、「角川映画」というジャンルのあった時代があります。このあいだ「角川映画」をドキュメントとしてまとめた本があって、読んで思い出しながら、なるほどなあと感心したんです。自分の印象よりもずっと長い期間、ずっとたくさんの作品数がありました。

いつ頃かというと、1976年の「犬神家の一族」から始まり、1993年の「REX恐竜物語」までの間なのですが、世の中に大きな影響を与え、個人的にも記憶の中でわりとはっきり残っているのは、初めの10年間くらいかと思います。日本映画界が斜陽化して久しい1975年頃、大映はすでに倒産し、日活はロマンポルノにシフトし、東映は実録路線も息切れして「トラック野郎」とかをシリーズにし、松竹は寅さんで、東宝は百恵ちゃんで、どうにかこうにかという状態でした。洋画はその頃「タワーリングインフェルノ」や「大地震」や「エマニエル夫人」「007黄金銃を持つ男」「ゴッドファーザーPARTⅡ」など、わりと元気いい頃です。

そんな時、出版界から颯爽と現われ、映画業界に次々と新風を吹き込み、日本映画の観客を劇場に呼び戻したのが、角川書店の若社長、角川春樹氏だったのです。角川書店は終戦の1945年に、28歳の角川源義氏によって創業され、1975年に58歳で早世された後を継いで、長男の春樹氏が33歳で社長に就任します。

この人は、すでにアメリカ映画の「卒業」などで起こっていたメディアミックスの現象に目をつけていて、「ある愛の詩」の原作の日本語版権を取得して100万部を売り、映画と主題歌と小説が三位一体となった大ブームの一翼を担ったりしていました。

そして彼は、ついに日本映画の製作に踏み込みますが、そこは出版社の経営者であるわけで、狙いは映画でムーブメントを起こした上での、読者数の拡大です。まず、当時少しずつブームになりかけていた横溝正史フェアを成功させるため「犬神家の一族」を製作します。

ただ、この方、型破りなスケールの方で、仕掛けが大きいです。

映画製作費2億2000万、プラス角川文庫の横溝正史フェアの宣伝も含めた総宣伝費が3億。つまり、宣伝費のほうが製作費より多いという、日本映画の常識を破る映画製作となります。映画公開前、ものすごい数のTVCMが投下されました。これも日本映画界の常識を破るものでした。配収は15億5900万、本も売れて大成功です。

この方式で、翌年からの森村誠一フェアは1977年の映画「人間の証明」1978年の映画「野生の証明」と続きます。「人間の証明」では、日本映画が初めて本格的なニューヨークロケを1カ月敢行し、その製作費6億とも云われ、「野生の証明」では、高倉健を起用し、自衛隊との戦闘シーンをすべてアメリカロケで行ないう超大作で、それぞれ22億5100万と21億8000万の配収を上げて成功しています。

それに加えて、広告に絡めて主題歌をヒットさせることもよく計算されていて、このあと角川映画は、作家の角川文庫フェアと映画と主題歌のメディアミックスのスタイルで、次々とヒットを続けていくのです。

そこには、さまざまな副産物も生まれます。代表的なものとして、「野生の証明」の大オーディションで高倉健の相手役を射止めた薬師丸ひろ子や、「時をかける少女」の原田知世などの、角川映画専属女優の誕生と成長。また、松田優作に代表される才能のあるすぐれた俳優や、映画の制作現場を失いつつあった、多くのベテランや若手の監督たちに場を与えたことなど、出版界に限らず映画業界に残した功績は大きいです。

1976年~1986年の約10年間に、40数本の映画が作られていますが、そのキャンペーンのスタイルとして、TVCMをはじめとして大量の広告が出稿されました。これも明らかに新手法です。

そしてその広告の作りも結構うまいんですね。必ずキービジュアルとキャッチコピーがあって、音楽もあります。CMを見て、映画館に足を運んだり、文庫本やCDを買った人、多かったと思います。

ただ、思うに、私個人としては、あんまり角川映画を観てないんですね。自他共に認める映画好きなんですけど、何故ですかね。角川映画が始まったころ、私はちょうど社会に出たばかりで、やたら忙しい会社だったし、最も貧乏なころだったこともあるかもしれません。結果的に後から観てるものもあるんですけど、封切りを待って映画館に行ったことは少ないかもしれません。もともとひねくれた性格でもあるのですが、やたらと仕掛けっぽいというか、大げさな広告が鼻につくというか、ちょっとそういうことに懐疑的だったような気もします。あまりたいして観ていないのに、いろいろ言うのもどうかと思いますが、どの映画を観てそう思ったのかも覚えてませんし、なんとなく遠ざかったような気がします。

そういえば、ずいぶんしてから友達に誘われて二人で封切りの角川映画を観たことがありました。たしか、薬師丸ひろ子主演と、原田知世主演の2本立てで、そんなに悪い映画じゃなくて、ちょっと偏見もあったかなと思いました。彼は同世代で、出版社の宣伝部にいて、当時私と仕事をしていた人で、いつも二人で飲んでは、映画や広告の話をしていました。彼も若く、出版界で何かをしたいという野心にあふれてましたから、当時の角川映画のことは、いろんな意味で無視できなかったんだと思います。

彼はその何年か後に、事故にあって突然亡くなりました。今でも、いろんな本や映画や広告に触れると、彼だったらなんというかなと思うことがあります。面白い人でしたから、今いれば、出版界で大活躍してたんじゃないかと。

あの映画のことを何と言っていたか思い出せませんが、角川映画のことを考えていたら、彼のことを思い出しました。

 

ありました。「角川映画」で大好きな映画。「蒲田行進曲」と「麻雀放浪記」です。

個人ランキングではかなり上位に来ます。名作です。

 

 

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