映画「チコと鮫」 再会
「チコと鮫」という映画があるんですけど、1962年の制作となってるので、日本で公開されたのがその翌年くらいで、私は9歳の時に見たことになります。少年だった私はこれ見てえらく感動してるんですね。せがんで2回見たような気がします。
何故そんなに感動したのか。なんとなくのストーリーといくつかの印象に残ったシーンは覚えているのですが、だんだんと記憶は遠ざかっていきます。大人になってからも、ほぼリバイバル上映はされてないし、ビデオとかDVDを探しても、これだけは見つかりません。インターネットの時代になって、何度も検索してみましたがやっぱりダメです。
いつしか飲み屋とかで、も一度見たい映画の話になるたびに、「チコと鮫」が、みたい みたい みたい、というのが癖になっておりました。まして、人間、見れないとわかったとたんに、どうしても見たくなるということもあり。
そして、去年、またある飲み屋で、その話になったと思います。その時いっしょに飲んでいたのは、Nヤマサチコさんという私の長い友達で、同世代でもあり、「チコと鮫」のこともよく知っていました。というか、この人は本当にいろんなことを、正しくよく知っている人でして、この人のブログを読んでるだけで、かなりためになったりするのです。
その翌日だったと思いますが、サチコさんからメールがきまして、「チコと鮫」の1シーンが、YouTubeで見れることと、そのアドレスを知らせてくださいました。
約50年ぶりのチコとの再会です。そのシーンは、主人公のチコと鮫が初めて出会うシーンでした。
この映画の舞台は、自然豊かなタヒチです。少年チコは、海岸に迷いこんできた人食い鮫の子供を助けてやり、育てます。やがて成長した鮫はチコの前から姿を消し、それから10年後、たくましい若者となったチコは、海底で5メートルにもなったその鮫と再会します。
しかし、チコと鮫の暮らすタヒチには、だんだんと文明の波が押しよせ、かつての暮らしが失われていく中、いろいろなことが起き、チコは美しく成長した幼なじみのディアーラと鮫を連れ、平和に暮らせる島を求めてタヒチの波間に消えていくのでした。
だいたいこんなお話だったなと、少しずつ思い出すにつれ、ますますその映画を見たくなりました。
それから約1ヶ月後のある日、Nヤマサチコさんより小包が届きます。開けてびっくり、なんとそれは、“Tiko and the SHARK”と書かれたDVDでした。やったあああ・・・・
急ぎサチコさんに感謝のメールを送り、ワクワクしながらDVDプレーヤーにDVDをセットしました。
でも、ところが、うんともすんとも云わんのですこれが。そうかあ、この映画はイタリアとアメリカの合作ということだから、イタリア製DVDだとPAL方式かもなと思いいたり、そのあたりに詳しそうなわが社の社員に相談しました。(わが社は一応映像関係の会社なので) そこで、しばらくいろいろやってみてくれたんですが、わが社の機材では全く太刀打ちできぬことが判明し、専門の業者さんに判定していただくことにしました。そうこうしておるうちに、あの大地震に見舞われ、みんなそれどころではなくなってしまいました。
それから2ヶ月ほどたった数日前、このことをちゃんと覚えていて下さったポスプロの方から、きちんと日本の方式に変換された「チコと鮫」が届きました。
ああ、やっと会うことができました。みなさんほんとにありがとう。
一人でじっくり見ました。子供のころの記憶というのはたいしたもので、シーンによってはかなり正しく覚えていたりしますが、まったく違っていることもあります。だいたい、思い出していた時の映像というのは、眩いばかりのタヒチの光がキラキラした総天然色でしたが、映画にその色はありませんでした。モノクロの画全体に、セピアのフィルターを掛けているようで、人の肌はカラーに見えますが、よく見ると海も空もセピア色でした。多分、私がそのあとに見たいろいろな映画や風景の色が、私の記憶の「チコと鮫」に着色したのでしょう。
音声の言葉はすべて英語でした。アフレコだと思います。9歳の私が見たときには、字幕が入ってたと思いますが、小さい時から字幕の映画には慣れていたので、当時でもかなりの部分は理解できたはずです。それに、すごく簡単なお話ですし。
このDVDを見ながら、9歳の私がこの映画の何に感動していたか、少しずつ分かってきました。この映画、水中撮影がすごく上手なんですね。当時まだろくに泳げなかった自分にとって、水中を鮫と一緒に飛ぶように泳ぐ同年代のチコに憧れたのと、そして見たこともなかった南の島の風景に触れたこと。そして、成長したチコのガールフレンドのディアーラが美人でタイプだったことなどです。
いやはや、約50年の時を経て、得難い体験をしました。
実は、もう一本どうしてもビデオやDVDで見ることのできぬ映画がありまして、それは、1968年に公開された「黒部の太陽」という映画です。
14歳の私がめちゃめちゃ感動した映画でして、これを見たばかりに土木工学科に進学してしまったという曰くまでついております。
「黒部の太陽」に主演し、制作も手掛けた石原裕次郎さんは、ことのほかこの映画に思い入れが強く、この映画を映画館以外でかけることを許しませんでした。つまりビデオ化はありえません。1987年に52歳の若さで亡くなった後も、その遺志は石原プロモーションの社員たちに継がれ、未だ、ビデオDVD化はされておりません。
というような事情で、これもかれこれ40数年間見れておりません。YouTubeで予告編だけは見れますが。
ところが先日、石原プロモーション社長の渡哲也氏退任のニュースの時、2年後の会社創立50周年に合わせて「黒部の太陽」のDVD化の検討が始まったという情報が得られました。
これは朗報でした。DVDを鑑賞してまた熱く語り合いたいものです。Nヤマサチコさんは、黒部ダムのこともめっぽうお詳しいのですよ。