誰かに手紙を書くということ
このブログのようなものを書き始めたのは、ちょうど50歳になった頃でしたので、約20年前ですけど、世の中にブログと云うものが多少浸透し始めておりまして、試しに何か書いてみようかと思ったのがきっかけでしたが、その時なんていうか、どういうつもりで書くのがいいのかな、と考えたんですね。
特に誰かに向けて書くわけでもなく、自分ごとを日記的に書くのだけど、ブログは仕組み上、誰でも読めるものでもあります。そこで、相手は特定できないけれど、そこにいる誰かとちょっと酒でも飲みながら話すような気持ちで、自分に向けた独り言のような手紙を書いてみようかと思ったんです。
そういう気分なんで、パソコンのキーボードにいきなり打ち込むんじゃなく、一度、万年筆で紙に書いてみることにしてみました。私の尊敬している高名な俳優の方が葉書をくださる際、万年筆のとても個性的で素敵な筆跡でして、それがカッコ良くてですね、そういうところがミーハーなんですけど。
これは固有名詞と漢字の復活学習にもなるし、そうやってみると意外にスラスラ書けたんですね。それに、手紙を書く技量みたいなものが、少し訓練されると良いかなとも思ったんです。
世の中には、いい手紙というものを書く方がいらっしゃいます。それはこの仕事をしていると、時々、出会うことがあるんですね。ラブレターみたいな個人的なものではなくて、どちらかといえば仕事上の手紙だったりするのですが。僕らの業界には、いわゆる言葉とか文章とかを書くことを生業(なりわい)としている達人がいらして、そういう方から手紙をいただいたりすると、わりと痺れることがあるんですね。
テレビのCMのような、広告の映像ツールを作る仕事を長くやってますと、この仕事は、それを見てくれる誰かに向けて、個人的に手紙を書いているようなところがあると思うんです。
どういうことかと云うと、広告と云うのは、その中身がただ正しく間違いなく伝えられたとしても、受け取った人がそれに関心を持ったり、気にかかったりしなければ、あんまり効力がなくてですね、受け手が興味とか感動のようなものを覚えるような文脈や仕掛けを潜ませられるかを考えるわけですが、そのあたりが、相手のことを想いうかべながら書く手紙と似通っているような気がします。
このところ、仕事上の伝達ツールの主役は、電話からメールへと移行する傾向にあって、このメールというのもある意味 手紙でありまして、いかに相手に的確にこちらの意図や気持ちが伝わるかというのは、その書き方によって大きく違ってきたりします。
まあ、昨今のみなさんはスマホも含め十分にメールとかLINE等を使いこなしてる世代ですから、用件をいかに速やかに正確に伝えるかという技術は、私の世代の比ではないかもしれませんが。
考えてみれば、私などが仕事を始めた頃は、メールというものは全く存在すらしてなかったわけで、faxもなくて、石器時代のようなもんですが、逆にその頃誰かに書いた手紙は、数少ないですけど、渾身の筆圧で書いたもんでした。
仕事上、書く手紙もいろんな手紙があって、それは、ご挨拶、お礼、お詫び、頼み事、報告、相談、等々、様々です。基本的に対面すべきところを、都合がつかずに取り急ぎ、というケースが多いですが、逆に敢えて手紙を書くという選択をすることもあります。
たとえば、かなりハードルの高い難問を抱えた時とか、わりとそういうことの多い仕事ではあるんですが、自分なりに考えたことを手紙にして、肝心な人に読んでもらって、予めキャッチボールをしておいたりします。その課題を、ちょっと角度を変えてみて、間を作ってみたり。時間をかけて何かを練り込んでゆく時には、手紙のやり取りが功を奏することがあります。
それに面と向かっては言いにくいことも、手紙だと言えたりというのもありますしね。
手紙を書くのって、やはり一度立ち止まって、じっくり相手のことを考えるし、また自分が送るメッセージをきちんと整理できるメリットもあります。
face to face で人が接すれば、その場でいろんな化学反応も起きて面白いし、瞬時の判断で何かが生まれたり、物事を前に進めていくときの基本スタイルなんですけど、そこにいい手紙という要素が加わると、その強度が増します。
手紙には、全く別の時間軸で何かを醸成していく力があるかもしれません。