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2026年6月

2026年6月22日 (月)

昭和の唄 みんな去ってしまった

えーと、数え間違えてなければ、このブログが今回ちょうど200本目になるはずでして、だからどうということでもないのですが、思いのほかに続いたもんです。
この前、わりと長くこれを読んでくれてる人に、
「このブログは、人が亡くなる話が多いですね」
と云われたんですが、考えてみると、そういうとこあるかなと思いますね。私が50になった時に始めて、50代と60代に書いたものですから、振り返ってみると、ご恩のある身近な人も、多くの影響を受けた著名な方も、大切な友も、本当に多くの方々が向こうの世界に旅立たれてしまいました。そのことだけ書いてるわけじゃないんですけど、年齢的にも、若い時よりもいろんな意味でお別れの話は増えます。
それで、たまたま持っていた「みんな去ってしまった(みんないってしまった)」という題名の、古いレコードアルバムを思い出したんですね。これは1976年に中島みゆきさんが出した二枚目のアルバムです。
この年齢になると、いろんな人たちが、まさに、みんな去ってしまうわけでして、多くの別れや、その人にまつわる記憶が去来します。
このアルバムを聴いた時、それにしても若いのに随分すごい詩を書く女の人が現れたもんだなあ、と思ったもんでした。さわりですが、たとえばこんな唄がありまして、

彼女の生き方

 酒とくすりで 体はズタズタ
 忘れたいことが多すぎる
 別れを 告げて来た中にゃ
 いい奴だって 居たからね
 死んでいった男たち
 呼んでるような 気がする
 生きている奴らの
 言うことなんか 聞かないが 

 彼女の人生 いつでも晴れ

 そうさあたしは タンポポの花
 風に吹かれて 飛んでゆく
 行きあたい町へ 行きたい空へ
 落ちると思えば 飛びあがる
 
のような唄なんですが、当時ある意味とんがっていたのでよく覚えてまして、それから50年経ちましたが、ご存知のように、彼女は今アーティストとしての牙城を築いておられます。
想えばあの頃、いろんな唄がありました。個人的には1977年頃から10年くらい、毎年、秋から冬の終わりにかけて、地方ロケに行く仕事をしておりまして、日本全国、北海道から沖縄まで、多分、もう二度と来ることなさそうな辺境ばかりに行っておりましたが、その都度わりと長く滞在するもので、退屈して他にやることがなくなると、当時、地方で流行り始めていたカラオケをやったんですね。思い出してみると、初めの頃は駅裏の盛り場のスナックや居酒屋とかで、そもそも8トラックのおもちゃみたいな機材でした。そのうちだんだんにPAも進化してくるんですけど、なんかすごいスピードで広がっていった気がします。始まった頃は演歌ばっかしでしたが、ジャンルも曲数もどんどん増えていきましたね。いずれにしても、カラオケって娯楽は、地方から始まったもんでした。
そんなことで、あの10年間はよく唄ったものなんですが、時代としては昭和の最後の10年でして、当時のなつメロも含めて、別れをモチーフにしたいい曲はたくさんあったんです。と言うかあの時代の流行り唄の大半は別れを描いてたと言うと言い過ぎでしょうか。

ということで、思いつくままに、昭和の唄をいくつか。

戦争は知らない (1968)
詩 寺山修司 唄 ザ・フォーク・クルセダーズ

 野に咲く花の 名前は知らない
 だけど 野に咲く花が好き
 帽子にいっぱい 摘みゆけば
 なぜか涙が 涙が出るの

 戦争の日を 何も知らない
 だけど私に 父はいない
 父を想えば あゝ荒野に
 赤い夕日が 夕陽が沈む

冬のリヴィエラ (1982)
詩 松本隆 曲 大瀧詠一 唄 森進一

 彼女(あいつ)によろしく 伝えてくれよ
 今ならホテルで 寝ているはずさ
 泣いたら 窓辺のラジオをかけて
 陽気な唄でも 聞かせてやれよ

 アメリカの貨物船が
 桟橋で待ってるよ

 冬のリヴィエラ 男って奴は
 港を出てゆく 船のようだね
 哀しければ 哀しいほど
 黙りこむもんだね

大阪で生まれた女 (1979)
曲唄 BORO

 踊り疲れた ディスコの帰り
 これで青春も 終わりかなとつぶやいて
 あなたの肩をながめながら
 やせたなと思ったら 泣けてきた

 大阪で生まれた女やさかい 大阪の街よう捨てん
 大阪で生まれた女やさかい 東京へはようついていかん

 踊り疲れた ディスコの帰り
 電信柱に しみついた夜

星屑の町 (1962)
詩 東条寿三郎 曲 安部芳明 唄 三橋美智也

 両手を回して 帰ろ 揺れながら
 涙の中を たったひとりで
 やさしかった 夢にはぐれず
 瞼を閉じて 帰ろ
 まだ遠い 赤いともしび

 指笛吹いて 帰ろ 揺れながら
 星屑わけて 町を離れて
 忘れない 花のかずかず
 瞼を閉じて 帰ろ
 思い出の 道をひとすじ

 両手を回して 帰ろ 揺れながら 

 涙の中を たったひとりで

Ferry_2

落陽 (1973)
詩 岡本おさみ 曲唄 吉田拓郎

 しぼったばかりの夕日の赤が 
 水平線からもれている
 苫小牧発・仙台行きフェリー
 あのじいさんときたら 
 わざわざ見送ってくれたよ
 おまけにテープをひろってね 
 女の子みたいにさ

 みやげにもらったサイコロふたつ 
 手の中でふれば
 また振り出しに戻る旅に 
 陽が沈んでゆく

2026年6月 9日 (火)

極私的挿画集を作ってみようかと

だいたい20年ほど前、個人的には50才になったあたりに、このブログのようなものを書き始めたんですが、のようなものと云うのは、ほとんど月に1本書くか書かないかくらいのペースなもので、ブログと云って良いのかどうかみたいなことでしたが。
ただ、何本か書いてるうちにちょっと面白くなったところもあって、途中でやめることなく続けてたんですね。なにしろ根が飽きっぽいものですから、継続するということが苦手で、ともかく何年もやめないで続いているのは、これくらいのものです。気が付いてみると、かれこれ20年、本数にすると200本くらいになっておりました。
まあキリも良いところだし、そろそろやめるかなとも思ったんですが、こうなってくると日々の生活のリズムに組み込まれて習慣になってもいて、どうしたもんかなと思ってます。
そういえば 8年くらい前に、このブログを面白がって読んでてくれた、会社の後輩のミナミさんが30本ほどを選んで、文庫サイズの本にしてくれたことがあったんですが、それが意外と面白い紙の本になったんですね。考えてみると、それ大変な手間だったわけで、えらく感謝しているんですが。
そんなこともあって、それからまた溜まってもきたし、また何か紙の本を作ってみたいかなと、思ったわけなんです。ただ、200本は結構な量だし、何本か選ぶにしても迷うし、で、ちょっと思いついたのが、毎回いたずら書きで書いてる挿絵だけ集めて、文庫本サイズで1冊の本にしてみたらどうかなということなんですね。言ってみれば、この膨大な200本のデータの目次本のようなもんですが、この本からブログに飛べるようにもしようかと。
そもそもこのブログも、どなたかに読んでいただくためというよりは、自分自身の記録のようなもんで、これからやろうとしてることも、あくまで個人的にやってることで溜まったものがなんか別の形になったら面白いんじゃないかと思ったわけです。
そこで、昔一緒に仕事してたアートディレクターのコマツザキさんに相談して、なんとなくのブックデザインは始めていただいておりまして、「極私的挿画集」が出来ていくのをワクワクして待つところであります。昔なじみということで、なんだか巻き込まれることになるコマツザキさんにとっては、迷惑なことですが、ご勘弁を願います。
 
遡りますと、このブログを最初に書いたのは、2004年の3月でして、そのころ長いこと仲間で根城にしてた六本木のBar「バルコン」が突然閉店してしまった事件があって、それがネタでしたが、その時の挿絵はそのBarで死ぬほど飲んだバーボンのI.W.ハーパーの絵でした。
今回、何の絵を書こうかと思ったんですけど、ついこの前、呼んでもらって行ったキャンプのことを思い出したもんで、スプーン山荘の絵です。

Mountainvilla2


この山荘は10年近く前に、私たちの会社で南アルプスに建てた森の中の山小屋なんですけど、会社の施設として、みんなで遊んだり、集ったりして活用してまして、最高に気分の良い場所なんですね。

何んでこんなところに会社の山荘があるのかとか、そこで何をしてるのかとか、いろいろあるんですが、今ここに至る経緯というのがあります。
もともと会社を創業して間もない頃に、この南アルプスのあたりで必ずロケをする仕事がありまして、その仕事は何年も続き、この辺りのことに妙に詳しくもなり、そのうちにこのロケ場所の近くで社員旅行キャンプもやるようになったんですね。キャンプ好きな主要メンバーがいたのも確かなんですが、もともと集まって飲んだり食ったり作ったりするのが好きな連中ではあり、何度かキャンプをするうちに、ここに自分たちの山荘とかあれば良いねという話があり、普通は話だけで終わるんだけれど、真顔で建ててしまったというお話なんです。
でも、こういう基地ができると、いつでも大人数でも少人数でも行けるようになったし、
やはり、森はいいなあ、焚き火はいいなあ、という幸せが身近ではありますな。

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