うんと、えんと、おんと、、
なんだか、語呂合わせみたいなお題なんですけど、この前ふと思ったことでして、
運と、縁と、恩と、ということなんですが、
70年も生きてしまうと、多少いろんなことを振り返ってみることもあって、まあ、人生っていうのは、自分の居場所や、その周りの人たちとのかかわりの上に、成り立っておるんですが、そのあたりいろいろに思うところがあります。
運ということから云えば、ずいぶん前に会社の後輩くんたちに、ちょっと長めの手紙を書いたことがあって、それは、これまでの自分の仕事の経験談みたいなことだったんですけど、ウダウダ語ったのちに、最後にこんなこと書いたんです。
まあいろんなことがあるんですけど、自分がここまでやってこれたのは、運が良かったからかなと思います。何故そう思うかと云えば、つくづく自分一人の力なんて知れたもので、自分の足らないところは、他者に救われたり、もっと大きな力が働いたりするもんだなあと感じるからです。
長い話に付き合って、最後はそれかよと思うかもしれませんが、これってわりと大事なことなんですね。
じゃあ、どうすれば運が良くなるのかと聞かれても、わからないんですけど、たぶんどういう佇まい(たたずまい)でいるといいのかみたいなことはある気がします。
このことは理屈じゃなくていろんな場面で感じることなんです。自身の力でどうにかできることではないのだけど、たまに神社で柏手を打って、何かを祈ったりするのも運にかかわることだし、日々の暮らしの中で、身の回りを何事か大ごとが通り過ぎていって、なんとなく無事だった時なども、そういう力を感じます。
「運」にまつわる言葉としては、運が向く、強運、悪運、運の尽き、運に見放される等、いろいろありますが、いずれにしてもこいつとは付き合っていくしかないんですね。
そして「縁」というのも、生きてく局面で、時に強く感じることです。これは、人と人や、物事の、めぐりあわせやつながりを意味します。長い時間の中で振り返った時、その縁のチカラを思うことがあリます。縁に触れてそれが良縁であれば大切に育み、悪縁であれば断ち切るというのが教訓なのでしょうか。ただ、その判断はそう単純なものではないかもしれません。
この何とも捉えどころのない運とか縁とかの中にいて、時折、他者からの恩ということを不思議に感じることがあります。
あることのために、あるいは私ごときのために、どうしてあれほど深い気遣いをしてくださったのであろうか、あれほど骨を折ってくださったのであろうか、そして、たいていの場合、こちらはその事で、ものすごく救われていたりするのですね。
そしてこの歳になっても、その多くの恩には、ほとんどが恩返しをできてない状態であります。
日々の暮らしの中で、人は運に左右されて、何かの縁に救われたりして、忘れてはならぬ恩を刻むことになります。
こんなことを書いているのは、ついこの前、高校時代の親友が亡くなりまして、この人のことを思っていたんですね。
15歳の時に知り合い、なんだかすぐに仲良くなり、その後、高校の時も卒業してからもずっと長く付き合ってくれた数少ない友だちでした。
彼は地方の国立の大学へ行って、郷里の市役所に就職して働き、最近勤め上げました。こっちは東京へ行ったきりになってたんですが、たまに帰郷した時にはいつも会ってくれたんですね。なんだか、ほんとに優しくていい奴でした。私は居場所も定まらずいつもフラフラしていて、長く会えないことも多くて、友だちも少ない奴だから、彼がいつも気にかけてくれたことは嬉しかったんです。たまに会った時に近況を報告し合うだけでしたが、お互いのことはよく理解しあっていました。今回、彼を奪って行った病魔に侵されるまでは、彼らしい幸せな時間を過ごせていたと思うんですね。
本当に切なくて悔しい別れでした。
ただ、ここに至るまで、さまざまな運や縁や恩に出逢いながら、お互い、いろんな分かれ道を選択しながら、生きて来たんだと思いました。
人は目に見えぬ何かの力によって、導かれることがあります。
うれしいこともあれば、やなこともあって、お互いジジイになったとこで、柄じゃないけど、彼とちょっとだけ人生の話でもしてみたかったんです。

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