先生の画集
5月の20日頃に、いくつかの用事があって故郷へ向かったのですが、そのうちの一つに、高校時代の何人かの友人たちと3年生のときの担任の先生にお会いする集まりというのがありました。
倉岡先生と云います。私にとっての学校の先生の中で、唯一今でも年賀状を出している恩師ですが、今年の1月に、その倉岡先生が地元の新聞社から取材を受けて、その記事が掲載されたんですね。
どういうことかというとですね。先生は60歳で退職されたあと、奥さんと一緒に世界遺産を巡る旅を始めました。それで、35カ国の訪問先でスケッチを重ね、水彩画の作品200点を仕上げられたそうなんですね。その画を基に世界遺産105ヶ所を紹介するDVD(1時間36分)が完成して、そのニュースが新聞に載ったということで、現在おん年84歳ですが、とてもお元気でして、みんなでビールで乾杯してお祝いしようということになったんです。
そういえば、もう何年も先生からいただく年賀状には、いつも世界中の色々な風景が描かれていて、それがとてもいい絵でした。その集大成が完成したのだなということは、察しがついたのですが、DVDを見せていただくと、その積み重ねられた時間と気力と好奇心に感動を覚えます。
こんなふうに紹介しますと、この先生は美術の先生かなと思われるかもしれませんが、実は体育の先生でして、母校でもいくつかの高校でもサッカー部の監督を務められ、ご自身も大学時代は教育大のゴールキーパーとして活躍されていました。
当時の記憶で強く残っているのは、なわとび運動を深く研究されていたことで、全生徒、かなりきちんと指導を受けました。今回、その「なわとび運動」を解説した本を全員にくださいましたが、その中にあるイラストは全部先生が自分で描かれていて、さすがでした。
あの頃、僕らは16歳か17歳で、先生は14歳年上でしたから、すごく大人に見えましたが、思えば30歳過ぎの厳しさの中に優しさのあるとてもいい先生でした。
高校3年生というのは、始まるとすぐに受験の話になるし、進路も分かれてくるのでなんだかまとまりにくい学年なんですけど、倉岡先生とこのクラスは結構仲が良かった気がしますね。学園祭で8m/m映画を作ったりして、盛り上がったりしたし、50年も経つのにその話でまた盛り上がってましたからね。なんか受験の季節にしては笑いも多かった気もします。
ただ、結局思ったとおり、あんまり勉強もしないで、それは自分のせいだけど行く大学がなくて、ああ浪人かと思っていた時に、先生に勧めてもらった東京の学校に合格できて同じクラスの仲良しのキムラくんと一緒に上京することになります。
考えてみると、あのときの先生の一言から、いろいろあったけど、今の自分につながっているわけですよ。不思議ですね。
それはともかく、あのまだ10代の後半だった少年少女たちが、70歳となり先生は84歳で、でもこうやってお会いできたことに、驚きつつも感謝です。
あの頃年齢的には、先生は僕らの倍くらいだったけど、こちらももう古希になれば、14歳の差は追いつけそうな勢いです。それくらい先生は若いです。多分そういう生き方をされてきたからだと思います。僕らも老け込んでる場合ではありませんよお。