2007年7月 3日 (火)

減量大作戦

昨年、年に一度の人間ドックの検査結果が出たとき、担当医から

『心配ないと思いますけど、念のため肺の再検査してください。』

といわれました。

念のため、近所の総合病院に行ったですよ。ずいぶんしっかりした女医さんでした。

『肺はまったく問題ないです。それよりあなたの場合、問題は体重ですね。体重を落とさないと。』

「ええと、てことは、肥満てことですか。」

『はい。』

「問題ありですか。」

『6kgは落とさないとね、だってほら数値にいろいろ表れてるでしょ。』

といいながら女医さんは血液検査のチェックの入っている箇所をボールペンでパンパン叩きましBeer_yakitori_4 た。

『食事は規則的にとってますか。』

「いいえ、不規則です。」

『なるべく規則的にとってください。』

「・・・・ハイ。」

『お酒は毎日飲みますか。』

「はい。」

『毎日はやめましょう。一回にどれくらい飲んでますか。』

とても本当のことはいえず、

「うーん、2合くらいですかね。」

『これからは1合にしましょう。』

「エッ!」

『先にご飯食べちゃえばそんなにお酒飲めないモンですよ。』

そりゃそうでしょうよ、だってそんなことしたらお酒おいしくないもん。

『来週、栄養士さん予約しときますから、指導受けてください。3ヶ月で6kg落とす目標にしましょう。それと、奥さん一緒に来てもらってください。食事作る方に理解してもらわないといけませんからね。』

何でうちでご飯食べない人の、食事の指導を受けねばならんのかと、ブーブー文句いう妻と、次の週にその病院の栄養士さんのところへ行きました。栄養士さんは先週の女医さんよりもやさしい感じの人でしたが、話の中身はなかなか厳しいものでした。11800kカロリーという量はなかなかシビアです。だいたい規則正しい食事ができるわきゃないし、適度な運動っていったって、自転車で通勤した日はいつもより腹が減って、いっぱい食べてしまうし、鳥皮とか豚バラとかやめろといわれたって、今まで生きてきて一番好きなものなんだから、やめられるわけないでしょ。

そんなことも思いながら、でもなかなか説得力のある栄養士さんの話を深くうなずきながら聞き終えました。たしかに最近身体重いし、シャツの首まわりとか合わなくなってるし、検査の数値は良くないし、やっぱ減量やってみることにしました。

現在それから5ヶ月過ぎたところです。 体重は3kgだけ減りましたがどうしてもその先にはいけません。やっぱ不規則だし、酒も1合のわけないし、昨日も焼き鳥屋で鳥皮食べたし、豚バラのお好み焼きも毎週食べてます。目標の半分くらいのところで、ま、いいかと、自分をあまやかせてしまうあたりが、私らしいといえば私らしいのですが。昨日一年ぶりに会った人に、

『元気そうだね、ちょっと太った?』

といわれてしまいました。あーあ、ともかく、志半ばで私の減量作戦は挫折しています。 

2005/3 

教育とは 学校とはなんだ

固い話で恐縮です。

年が明けてまもなくのこと、大学の建築学科の先生から「変わりゆく教育と学校環境」というちょっとむつかしい講義を受けました。何故そういうことになったかという話からいたします。私の席の隣に学校教育を題材にしたTV番組を作ろうとしているプロデューサーがおります。この人がなかなか熱血パワフルな人で、重松清さんの『教育とはなんだ』という面白い本があるのですが、この本の中の学校建築の話にすばやく反応して、大学の建築の先生に会いに行ってしまいました。そこですっかり意気投合したらしく、またこの先生もけっこう熱血の人で、平日の昼間にもかかわらず弊社まで来てくださり、映像資料まで持参して私どもに対して2時間半に渡る熱い講義をしてくだすったのです。でも、なんだか新年からいろいろ考えさせられるいい話だったのですよ。なかなか手短にはお伝えできないんですが、どうも日頃私たちが常識だと思っている学校の建物の形というのは、この国の長い歴史の中で決まりごとになってしまったもののようです。現在の教育、これからの教育を考えるに、学校建築は今のままでよいのだろうか。世界に目を転じてみると、実にいろんな考え方の、いろんな形の学校があるのです。今さまざまな問題に直面している学校という現場には、新しい価値観が必要なんじゃないか。この先生はモデルスクールを立ち上げたりして、各所で改革を呼びかけられておりますが、新しい試みに対して世間はなかなか積極的ではないようです。この話はさまざまな教育制度の問題にもかかわっています。一筋縄ではいかない大変な話なのです。

20年も前に“ピッカピカの一年生”というTVCM の仕事をしていて、毎年冬から春にかけて日本中の小学校を訪ね歩いていた時期があります。その頃はまだ明治に建てられた小学校がたまに残っておりました。建物としては、すでにけっこうな年代物でしたが、なんだか建てた人たちのこころざしのようなものが伝わってきたのを覚えています。明治といえば、小学校を作ることじたい新しい試みだったはずですよね。学校という教育の現場には、常に新しい風が吹いていていいんじゃないか。なんかそんなこと思ったりしました。じゃあ新しい形ってたとえばどんな形なんじゃと問われてもここでは書ききれんので、そのあたりはうちの熱血プロデューサーが作る番組にゆずります。

2005/1Gakkou_2

海ちゃんの思い出

先日、我が家の新たな一員となるべく一匹の子犬がやってきました。のちのちは毛がグレイになるというのですが、今のところ、まっ黒な毛糸のかたまりが移動しているようにしか見えない生後2ケ月のトイプードルです。この春まで住んでいたところは、ペットが禁止だったし、子供たちが小さいときは、彼らそのものが動物のようなものだったので、犬を飼うなどということは考えもつきませんでした。いつだったか、私のある友達が犬を飼い始め、「夜、うちに帰ったときに迎えてくれるのは、アイツだけだ。」といっていたのを思い出しました。そんなこともあって、引越しを機会にそういうのもいいかなと思い、子供たちと盛り上がり、いくぶん慎重な妻を説得し、ここにいたったわけです。 

ふと、前に犬と暮らしたのは、いつだったかなと記憶をたどったところ、海ちゃんという犬がいたことを思い出しました。学生の頃、多摩川の河原で出会い、後を付いて来たので学生の共同アパートで飼いはじめました。はじめ誰かがオスだと云い、カズマと命名され、しばらくしてメスであることがわかり、海ちゃんと名付けられました。

何せ貧乏な学生たちのこと、首輪も犬小屋もなく、放し飼い状態。ゴハンも1日2食が、なかなかもらえず、腹をすかしていると、親切なご近所のおばさんに残り物をいただいたりしておりました。そんな日がどれくらい続いたでしょうか、子犬から少女犬くらいになった頃、海ちゃんは家出を決行しました。こんなところにいたら先の望みはない、こいつらはダメだと思ったのでしょうか。向上心を持ち合わせていた彼女は、アパートを去りました。

Umi_3 さて、それからまた数ヵ月後、隣町の商店街で、私はりっぱに成長した海ちゃんと出会ったのです。ちゃんと首輪をつけて、優しそうなご婦人に連れられていました。ご婦人は八百屋で買い物をしていました。「おい、海じゃねえか。」5メートルくらい離れていましたが、まちがいなく海ちゃんでした。海ちゃんは私を見たあと、ちょっと困った顔をして、スッとご婦人の足元に隠れました。無理もなかったと思います。

うちの子犬は、マリンちゃんと名付けられ、一日2食モリモリ食べて走りまわっています。今度はちゃんと育てねば。

2004/12

友達の死

なんだかどうにかなっちゃうんじゃないかっていうぐらい暑かった今年の夏も、いくつか台風が通り過ぎて行くうちにいつのまにか終わってしまいました。自分の周りでは時間の経つスピードがどんどん加速しています。どうして子供のころは今よりゆっくり時間が過ぎていたのでしょうか。それは、大人になるにしたがって記憶力が弱くなるので、ただ単に日々の出来事を忘れてしまい、時間が速く過ぎた気がするんだといった人がいました。

そうかもしれません。子供のころはほんの些細なこともいつまでもしつこく覚えていた気がします。夏も長かったもんなあ。私達は、どんどん増えて行く記憶を、仕舞い込んだり引っ張り出したり、失くしてしまったりしながら日々暮らしています。たくさんの記憶が溜まって溜まっていくうちに、大人は記憶力が弱くなってしまうのでしょうか。

Camp_5 この夏、学生時代の友達が一人亡くなりました。大人になる前の記憶をたくさん共有していました。でもそれを確認しあうこともありません。亡くなったことすら知りませんでした。最後に会ったのは彼の結婚式だったでしょうか。どこかでいつでも会えると思っているうちに、とんでもなく時間が経っていました。

亡くなってしばらく経った8月のある日に彼の自宅を訪ねました。道路公団の橋の設計の仕事をしていたこと、つくった橋が彼の誇りだったこと、その仕事のストレスから胃をやられてしまい仕事を失ったこと、そのことが最後の病気の遠因になってしまったこと。私の知らない彼の時間がそこにありました。こんなときに何の役にも立たなかった無力感と、記憶の一部をなくしてしまったような喪失感。こたえました。

このことで音信の途絶えている友達数人と電話で連絡をとりあいました。近いうちに会うことになるかもしれません。夏の終わりに時間ということを少し考えました。

2004/10

野球のこと

3年前の春、プロ野球が開幕して初めて行われる巨人×阪神戦のときのことです。

幸いにも東京ドームの観戦チケットを2枚頂いたので、当時小学一年生だった息子を連れていきました。

そのころ息子は、野球のルールも巨人も阪神も知りません。

私の場合、小学生のころ江夏豊というピッチャーを知ってからずっと阪神ファンです。

はい。

息子が野球に興味を持って、阪神ファンになるといいな。などと淡い期待を抱いて水道橋に向かったのでした。

3年前の阪神は弱かったです。

その試合で覚えているのは、

3塁側内野席から見て真正面に芥子粒のように消えていった松井秀喜のホームランだけでした。

すごかったです。ほんとに。息子はしばらく固まってました。

結構長時間の試合でしたが、息子はきっちりと最後まで見とどけ、翌日からは毎日、新聞のスポーツ欄を見る子供になりました。

そして、バリバリの巨人ファンになってしまったのです。

失敗でした。

それからまもなくして、どちらからともなく近所の公園でキャッチボールをするようになりました。

そのうち野球友達もでき、その友達に誘われて息子は近所の少年野球チームに入りました。

土日祭日に練習をしたり、試合をしたりします。私もいけるときには手伝いに行きます。

面白いです。

子供は成長する生き物です。日に日に背も伸びるし、力も強くなります。

出来なかったこともだんだん出来るようになり、練習しただけどんどんうまくなります。

強い相手にコテンパンにされて泣くこともありますが、帰り道にはみんなケロッとしてます。

気がつくと土日のスケジュールは最優先でそこにいる自分がいます。

相変わらず巨人×阪神戦の日には親子でいがみ合っていますが、

3年前に野球を見に行ったことは、私たちにとって少しいいことだったように思えます。

そんな自分の環境からして、野球人気が下降気味だとか、

プロ野球の球団が合併して1リーグになるんだとか言われても、どうも実感がわきません。

野球の魅力や面白さは、昔と何もかわっていません。

いつかの松井秀喜のような打球を飛ばせる選手がこれからもどんどん出てきてほしいし、

それに影響されてたくさんの子供がグランドを駆け回ってほしいなとただただ思ってます。

2004/7

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六本木のバー“BALCON”のこと 続報

Match_2 先日お伝えした六本木のバー“BALCON”の突然の閉店が、2月の18日のことでした。
それからほんの一ヶ月ほどたった3月の末に、マスターの良川さんより驚くべき知らせが入りました。
4月の1日から新しい店を開くというのです。
ほんとに次から次と驚かせてくださるのですが、今度のニュースはウェルカムです。

それにしたって急だし、案内状とかオープニングパーティーとかどうなってるんだろうか。
などと質問したところが、「まあ何気なく始めるんで何にもしてないんですよ。」と、
いかにもこの方らしいリアクションで、
電話番号は決まっているが電話機が開店に間に合わないとか、看板は当分出す気はないとか、
いったいどうやって行きゃいいんだっちゅう感じなのですよ。
あ、そうそう店の名前は?
「Salon de G です。じじいがやるんで、サロンド ジーですよ。へへへ。」
などとおっしゃってます。

それじゃあともかくということで、行ってみました。
これがなかなかいい店なんです。さすがですねえ。
場所は六本木から西麻布に向かう途中、
70年代から長きに渡り数々の名作を世に送り出したあの六本木自由劇場。
串田和美さんが、吉田日出子さんが、余貴美子さんが、
「上海バンスキング」や「もっと泣いてよ、フラッパー」などの話題作で狭い劇場をいつも満員にしていました。
この小劇場の老舗六本木自由劇場の跡が「Salon de G」なのです。
劇場には何度か行ったことがあります。地下に下りていく階段は昔と同じで狭くて急です。
店の中は大雑把に言うと、舞台と客席の境がカウンターに、舞台のあったところが厨房に、
客席の部分が平らになっていてソファーが並べてあります。
小劇場がほんとにうまいことバーになってしまってます。
インテリアもなかなかよくて、ソファーが増えた分バルコンより確かにじじいにやさしいかなという気もします。

“Salon de G” 電話番号 03-3408-1256  です。

こちらでお会いできる日を楽しみにいたしております。

2004/4

六本木のバー“BALCON”のこと

“バルコン”のマスターの良川さんから突然連絡があったのが2月の半ばでした。
電話があるのは特に珍しいことではないのですが、問題はその内容です。
「急ですが、明日で“バルコン”を閉めます。」というもので、これには些かあわてました。
急すぎますよほんとに。
なにせですね、六本木通りの明治屋の裏手にこのバーができて31年、
私が通い始めてからだって25年くらい・・・・多分。ていうくらい長い歴史のある店なのです。
聞けばほとんど誰にも知らせてないっていうし、だいたいどうして閉めちゃうのか。
でも良川さんてそういう人なんですよ、考えてみると。
そういうこと前もって誰かに話すような人じゃないんですよ。
ちょっと鶴田浩二とか高倉健みたいなとこあるから。

かくして、六本木の名物バー“BARCON”は最後の夜を迎えました。
ほとんど知らせていないわりには、ことがことだけに噂の伝達力はなかなかのもので、
かなりの常連客で店は埋まり、深夜まで客が絶えませんでした。
この夜現れたのはほとんどが私たちCM業界の人たちでした。
“BALCON”が長い間、いかに業界の皆さんに愛されたバーだったかがわかりました。

待ち合わせたり、偶然だったり、初対面だったり、ここで会った人々、スタッフ、同業者、
広告会社、クライアントのみなさん。
本当にいい意味でここは溜まり場でした。
理由はいろいろ考えられます。酒好きバー好きの人たちが満足するお酒の品揃え、
腹が減っていても大丈夫な気取らない中華のメニュウの数々、おちつけるインテリアと照明、
遅くまで飲み食いできること、安いこと、店が込んでいても立ち飲みで十分な店のつくり、
そしてなによりマスターの人柄。

携帯電話の無い頃、夜中に飲みにくると仕事の伝言が何件も入っていることがありました。
ストレス発散が昂じてお決まりのドンちゃん騒ぎになったり、熱く語りすぎて大喧嘩になったり、
ほんとにいろいろご迷惑もおかけしました。
いつ行ってもこの店は何も変わりませんでしたし、それが魅力でした。
大テーブルの中央にあったロウソクの塊は、少しずつ大きくなって最後はすごいことになってましたけど。Harper_5
思いついたときにぶらっといけて、短い時間でも長い時間でもいれて、思いがけない人に会えたりもして、
無くなることになってはじめてこのバーのありがたみがわかりました。
 
良川さんが言ってましたけど、若い人があんまりバーに来なくなってるのは確かなようです。
仕事大変だし、何かと忙しいし、お酒を飲む以外にもいろいろ楽しみもできているのでしょう。
僕らも昔ほどは飲んでいないですよね。
でもやっぱりバーのある文化って言うと大げさですけど、
こういう場所って必要なんじゃないかなって思うんですよ。いろんな意味で。

いずれにしても最近かなり残念な出来事でした。

2004/3

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