2007年7月 3日 (火)

野球のこと

3年前の春、プロ野球が開幕して初めて行われる巨人×阪神戦のときのことです。

幸いにも東京ドームの観戦チケットを2枚頂いたので、当時小学一年生だった息子を連れていきました。

そのころ息子は、野球のルールも巨人も阪神も知りません。

私の場合、小学生のころ江夏豊というピッチャーを知ってからずっと阪神ファンです。

はい。

息子が野球に興味を持って、阪神ファンになるといいな。などと淡い期待を抱いて水道橋に向かったのでした。

3年前の阪神は弱かったです。

その試合で覚えているのは、

3塁側内野席から見て真正面に芥子粒のように消えていった松井秀喜のホームランだけでした。

すごかったです。ほんとに。息子はしばらく固まってました。

結構長時間の試合でしたが、息子はきっちりと最後まで見とどけ、翌日からは毎日、新聞のスポーツ欄を見る子供になりました。

そして、バリバリの巨人ファンになってしまったのです。

失敗でした。

それからまもなくして、どちらからともなく近所の公園でキャッチボールをするようになりました。

そのうち野球友達もでき、その友達に誘われて息子は近所の少年野球チームに入りました。

土日祭日に練習をしたり、試合をしたりします。私もいけるときには手伝いに行きます。

面白いです。

子供は成長する生き物です。日に日に背も伸びるし、力も強くなります。

出来なかったこともだんだん出来るようになり、練習しただけどんどんうまくなります。

強い相手にコテンパンにされて泣くこともありますが、帰り道にはみんなケロッとしてます。

気がつくと土日のスケジュールは最優先でそこにいる自分がいます。

相変わらず巨人×阪神戦の日には親子でいがみ合っていますが、

3年前に野球を見に行ったことは、私たちにとって少しいいことだったように思えます。

そんな自分の環境からして、野球人気が下降気味だとか、

プロ野球の球団が合併して1リーグになるんだとか言われても、どうも実感がわきません。

野球の魅力や面白さは、昔と何もかわっていません。

いつかの松井秀喜のような打球を飛ばせる選手がこれからもどんどん出てきてほしいし、

それに影響されてたくさんの子供がグランドを駆け回ってほしいなとただただ思ってます。

2004/7

Boys_baseball_6 

六本木のバー“BALCON”のこと 続報

Match_2 先日お伝えした六本木のバー“BALCON”の突然の閉店が、2月の18日のことでした。
それからほんの一ヶ月ほどたった3月の末に、マスターの良川さんより驚くべき知らせが入りました。
4月の1日から新しい店を開くというのです。
ほんとに次から次と驚かせてくださるのですが、今度のニュースはウェルカムです。

それにしたって急だし、案内状とかオープニングパーティーとかどうなってるんだろうか。
などと質問したところが、「まあ何気なく始めるんで何にもしてないんですよ。」と、
いかにもこの方らしいリアクションで、
電話番号は決まっているが電話機が開店に間に合わないとか、看板は当分出す気はないとか、
いったいどうやって行きゃいいんだっちゅう感じなのですよ。
あ、そうそう店の名前は?
「Salon de G です。じじいがやるんで、サロンド ジーですよ。へへへ。」
などとおっしゃってます。

それじゃあともかくということで、行ってみました。
これがなかなかいい店なんです。さすがですねえ。
場所は六本木から西麻布に向かう途中、
70年代から長きに渡り数々の名作を世に送り出したあの六本木自由劇場。
串田和美さんが、吉田日出子さんが、余貴美子さんが、
「上海バンスキング」や「もっと泣いてよ、フラッパー」などの話題作で狭い劇場をいつも満員にしていました。
この小劇場の老舗六本木自由劇場の跡が「Salon de G」なのです。
劇場には何度か行ったことがあります。地下に下りていく階段は昔と同じで狭くて急です。
店の中は大雑把に言うと、舞台と客席の境がカウンターに、舞台のあったところが厨房に、
客席の部分が平らになっていてソファーが並べてあります。
小劇場がほんとにうまいことバーになってしまってます。
インテリアもなかなかよくて、ソファーが増えた分バルコンより確かにじじいにやさしいかなという気もします。

“Salon de G” 電話番号 03-3408-1256  です。

こちらでお会いできる日を楽しみにいたしております。

2004/4

六本木のバー“BALCON”のこと

“バルコン”のマスターの良川さんから突然連絡があったのが2月の半ばでした。
電話があるのは特に珍しいことではないのですが、問題はその内容です。
「急ですが、明日で“バルコン”を閉めます。」というもので、これには些かあわてました。
急すぎますよほんとに。
なにせですね、六本木通りの明治屋の裏手にこのバーができて31年、
私が通い始めてからだって25年くらい・・・・多分。ていうくらい長い歴史のある店なのです。
聞けばほとんど誰にも知らせてないっていうし、だいたいどうして閉めちゃうのか。
でも良川さんてそういう人なんですよ、考えてみると。
そういうこと前もって誰かに話すような人じゃないんですよ。
ちょっと鶴田浩二とか高倉健みたいなとこあるから。

かくして、六本木の名物バー“BARCON”は最後の夜を迎えました。
ほとんど知らせていないわりには、ことがことだけに噂の伝達力はなかなかのもので、
かなりの常連客で店は埋まり、深夜まで客が絶えませんでした。
この夜現れたのはほとんどが私たちCM業界の人たちでした。
“BALCON”が長い間、いかに業界の皆さんに愛されたバーだったかがわかりました。

待ち合わせたり、偶然だったり、初対面だったり、ここで会った人々、スタッフ、同業者、
広告会社、クライアントのみなさん。
本当にいい意味でここは溜まり場でした。
理由はいろいろ考えられます。酒好きバー好きの人たちが満足するお酒の品揃え、
腹が減っていても大丈夫な気取らない中華のメニュウの数々、おちつけるインテリアと照明、
遅くまで飲み食いできること、安いこと、店が込んでいても立ち飲みで十分な店のつくり、
そしてなによりマスターの人柄。

携帯電話の無い頃、夜中に飲みにくると仕事の伝言が何件も入っていることがありました。
ストレス発散が昂じてお決まりのドンちゃん騒ぎになったり、熱く語りすぎて大喧嘩になったり、
ほんとにいろいろご迷惑もおかけしました。
いつ行ってもこの店は何も変わりませんでしたし、それが魅力でした。
大テーブルの中央にあったロウソクの塊は、少しずつ大きくなって最後はすごいことになってましたけど。Harper_5
思いついたときにぶらっといけて、短い時間でも長い時間でもいれて、思いがけない人に会えたりもして、
無くなることになってはじめてこのバーのありがたみがわかりました。
 
良川さんが言ってましたけど、若い人があんまりバーに来なくなってるのは確かなようです。
仕事大変だし、何かと忙しいし、お酒を飲む以外にもいろいろ楽しみもできているのでしょう。
僕らも昔ほどは飲んでいないですよね。
でもやっぱりバーのある文化って言うと大げさですけど、
こういう場所って必要なんじゃないかなって思うんですよ。いろんな意味で。

いずれにしても最近かなり残念な出来事でした。

2004/3

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