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2025年7月

2025年7月25日 (金)

壊す力

わりと長く生きておりますと、いろんなことを思うんですが、
人は自分なりに何かを作り上げるために、生きて暮らして、それを人生の目的としたりしております、多くの場合。
それはひとつの家のことだったり、家族であったり、仕事であったり、あるいはその成果物であったり、また、そういった様々の人たちが、ある目標のために集まることによって起こる組織であったり、会社であったり、そのために必要となる建物があったり、そして色んななりわいが共存する街ができ、都市ができ、そしてその自治体を、それを取りまとめた国を運営していくために行政があり、そのおおもとに政治があるんですね。
何を長々と書いているかといえば、最近選挙があったりしたもので、あー、こういったことを、ずいぶんと長い間繰り返して、今に至っているのだなと思ったんです。私が見てるだけでも半世紀になるんですけど、政治というものもいったい進歩しているのか、前よりも良くなったりしているのか。なんだかよくわからないもんではあります。
それと同じようにということでもないんですけど、世の中のいろいろな団体や会社組織というのも、それと似たようなところがあって、これまで長い時間をかけて、手間をかけて、積み上げてきた実績やノウハウが、今に生かされているのかどうか、ということがあります。
仕事でも仕組みでも、長い間同じことを繰り返しておりますと、マンネリに陥るということがあり、新鮮味を失ったり、過去の失敗からリスクを恐れて自分たちで新たなルールを作ってがんじがらめにしてしまうこともあります。
人がやることなんでいろいろだけど、語弊を恐れずに云うとですね、ひとつのことを続けていると、なんとなく、それそのものは後退はしないまでも、新しい変化が起きにくくなることはよくあるんですね。
私のいる業界も、モノを作ったり、何らかのサービスを提供したりする仕事なんですが、この問題は何かと見え隠れしております。そう言う空気を感じた時、「少しずつ改善しましょう」とか、「徐々に変えて行きましょう」みたいな話になりがちですが、ひとつの形を守りながら、うまいこと変えてみようと云うのはだいたい解決策になりにくいです。
そこで、そういう時に大事なのは、スクラップアンドビルドじゃないですけど、今までに積み重ねてきたものを、一回全部ぶっ壊してチャラにすることだったりするんですね。ゴジラが通ったあとのように何もない状態にするということですが、そこで必要になるのは、それを断行できる胆力だけです。
でも、これがなかなか難しいことではあります。それを決断すればその結果に責任を持たねばならないし、当然ギャンブル性も高くなります。いずれにしても乱暴な選択ではあるんです。
古来、その手の話の例は、大なり小なりいろいろありますが、それで何もかもうまく行くわけでもなく、失敗もあれば、成功もあり、そのどちらでもない場合もあるようです。

それと、何かをぶち壊す役目というのは、だいたいにおいて、昔から男の仕事だったように思います。まあ普通に考えてみれば、何かをぶち壊すという行為は、女性には向かない、むしろ女性はモノを壊すより作る方に適性があるという固定観念もあります。ただよく考えてみると、昨今ではわりと壊すことに適性のある女子もいらっしゃる気もするんですけどね。

Godzilla_5

だいたいゴジラって男なんでしょうか、女なんでしょうか。

2025年7月 5日 (土)

先生の画集

5月の20日頃に、いくつかの用事があって故郷へ向かったのですが、そのうちの一つに、高校時代の何人かの友人たちと3年生のときの担任の先生にお会いする集まりというのがありました。
倉岡先生と云います。私にとっての学校の先生の中で、唯一今でも年賀状を出している恩師ですが、今年の1月に、その倉岡先生が地元の新聞社から取材を受けて、その記事が掲載されたんですね。
どういうことかというとですね。先生は60歳で退職されたあと、奥さんと一緒に世界遺産を巡る旅を始めました。それで、35カ国の訪問先でスケッチを重ね、水彩画の作品200点を仕上げられたそうなんですね。その画を基に世界遺産105ヶ所を紹介するDVD(1時間36分)が完成して、そのニュースが新聞に載ったということで、現在おん年84歳ですが、とてもお元気でして、みんなでビールで乾杯してお祝いしようということになったんです。
そういえば、もう何年も先生からいただく年賀状には、いつも世界中の色々な風景が描かれていて、それがとてもいい絵でした。その集大成が完成したのだなということは、察しがついたのですが、DVDを見せていただくと、その積み重ねられた時間と気力と好奇心に感動を覚えます。
こんなふうに紹介しますと、この先生は美術の先生かなと思われるかもしれませんが、実は体育の先生でして、母校でもいくつかの高校でもサッカー部の監督を務められ、ご自身も大学時代は教育大のゴールキーパーとして活躍されていました。
当時の記憶で強く残っているのは、なわとび運動を深く研究されていたことで、全生徒、かなりきちんと指導を受けました。今回、その「なわとび運動」を解説した本を全員にくださいましたが、その中にあるイラストは全部先生が自分で描かれていて、さすがでした。
あの頃、僕らは16歳か17歳で、先生は14歳年上でしたから、すごく大人に見えましたが、思えば30歳過ぎの厳しさの中に優しさのあるとてもいい先生でした。
高校3年生というのは、始まるとすぐに受験の話になるし、進路も分かれてくるのでなんだかまとまりにくい学年なんですけど、倉岡先生とこのクラスは結構仲が良かった気がしますね。学園祭で8m/m映画を作ったりして、盛り上がったりしたし、50年も経つのにその話でまた盛り上がってましたからね。なんか受験の季節にしては笑いも多かった気もします。
ただ、結局思ったとおり、あんまり勉強もしないで、それは自分のせいだけど行く大学がなくて、ああ浪人かと思っていた時に、先生に勧めてもらった東京の学校に合格できて同じクラスの仲良しのキムラくんと一緒に上京することになります。

考えてみると、あのときの先生の一言から、いろいろあったけど、今の自分につながっているわけですよ。不思議ですね。
それはともかく、あのまだ10代の後半だった少年少女たちが、70歳となり先生は84歳で、でもこうやってお会いできたことに、驚きつつも感謝です。
あの頃年齢的には、先生は僕らの倍くらいだったけど、こちらももう古希になれば、14歳の差は追いつけそうな勢いです。それくらい先生は若いです。多分そういう生き方をされてきたからだと思います。僕らも老け込んでる場合ではありませんよお。

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