王府の醋滷麺(スールーメン・ツールーメンともいうらしい)
世の中には、いつでも食べられると思っているものが、ある日突然食べられなくなってしまうということがあります。そして、それは、そういうものに限って、大好物だったりします。
私にとって、その一つに、醋滷麺(スールーメン)という料理があります。醋滷麺に出会ったのは、およそ30年前のこと。私が学校を出て働き始めた会社のすぐそばにあった中華レストランの定番メニューでした。そのお店は、王府(ワンフ)といいます。勤めていた会社から50メートルと離れていなかった王府の料理はほんとにおいしくて、昼も夜もよく食べました。その会社と王府はほとんど親戚づきあいをしておりました。
そういうことなので、このお店には、忘れられないメニューがいろいろあるのですが、一つ選ぶならやはり醋滷麺なのです。一言で言うと冷たいスープ麺です。お酢が効いていてすごくすっぱいのだけど、スープのだしと絶妙のバランスがとれていて、すごくおいしいのです。具は、茹でた蝦とひき肉と、ドッサリのニラだけです。シンプルだけど、これがなかなか癖になるのであります。
私がこの醋滷麺と、はなれられなかった理由がもう一つあります。それは、その頃、私がほぼ毎日、二日酔いだったことです。冷たくて絶妙にすっぱくて、他のものは食べられなくても、これだけは、残さずいただけて、不思議と二日酔いが醒めていきました。この会社に在籍した約12年間、ほんとによく二日酔いで食べた醋滷麺でした。会社を替わってからは、遠くなってしまったので、めったに王府にはいけなくなりましたが、たまに近くに行くことがあると、醋滷麺をいただきました。お店の人たちも懐かしがってくださり、デザートをサービスしてくれたりしました。家族ができると、子供を連れて行ったりもしました。そしたら、家族全員にデザートをサービスしてくれました。
二日酔いのたびに、醋滷麺食べたいなあと思いましたが、昔のようなわけにもいかず、でも、王府にいけば食べられるのだと思うと、それをまた楽しみにしていました。
ところが、何年か前のある日突然、王府は、なくなってしまいました。
相変わらず、いつもお客さんはいっぱいだったのですが、オーナーの方の都合で、お店を閉めることになったのだそうです。お店の人達もみんな、ばらばらになってしまうとのことでした。
醋滷麺も含め、食べられなくなってしまう料理たちが、頭をかけめぐりました。でも、お店がなくなってしまっては、手も足もでません。食べられないことが現実になると、ただただ思いがつのります。ちょっとした恋愛感情です。思い出すたびに、
「いま、醋滷麺、食わしてくれたら、5万円払ってもいい。」
などと、わけのわからぬことを言ったりします。
それから何年たったでしょうか。今年になって、ある朗報がもたらされました。前の会社の私の後輩が、偶然、御茶ノ水のホテルの中華レストランで、かつて王府のメニューにあった懐かしい料理をいくつか見つけたんだそうです。そこで、いろいろ調べてみると、あの時、王府を辞めたコックさんが一人、そのレストランで料理を作っていることがわかりました。そして、そのメニューにあったんです。醋滷麺が。
夏の初めに、なつかしい人たち何人かで、そのレストランに行ってみました。昔別れた恋人にでも会いに行くような、そんな気持ちだったと思います。おおげさに言うと。
器とか、雰囲気はちょっと違うのですが、細かいこと言うとちょっと違うのですが、間違いなくあの醋滷麺でした。お店の人は、スールーメンじゃなく、ツールーメンといいましたけど。いや、うれしかったなあ。
またしばらくして、大きくなったうちの子供たちをつれていきました。彼らも、大好物だった海老の料理を食べて、これだこれだと大喜びしておりました。そして、仕上げは、やっぱり醋滷麺です。
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