方言あれこれ
年末に、リリー・フランキーさんの「東京タワー」を読みました。いい本でした。この人と、この人のお母さんの話です。彼が子供の頃から、最近お母さんが亡くなるまでの二人のことがつづられています。
男にとって母親というものは、何ともいえない大きな存在です。自分も含めて、男はみんなマザコンなのだなと思いました。母親と息子の会話がいいです。気にかけながら、面と向かうとぶっきらぼうになってしまう感じとか、二人の関係がわかります。
九州で暮らしていた母子が、息子の上京を機に離れて暮らし、やがて年老いた母が東京にやって来て、また二人で暮らし始めます。二人の会話が博多弁なのが、またいいです。何ともいえない体温を感じます。
地方出身者にとって、方言というのはなつかしいもんです。石川啄木の上野駅の歌じゃないですけど、ふるさとや身内を思うとき、お国訛りは胸にしみます。私の場合、広島の高校を卒業して上京したころ、当時東映で封切られたばかりの映画「仁義なき戦い」をよく見に行きました。広島弁満載ですから。
方言がコンプレックスになることもありました。子供の頃、父親の仕事の都合で、何度か転校しましたが、東京から神戸の小学校に変わったときは、神戸のガキどもに東京のしゃべり方を徹底的にからかわれました。昔から、関西には東京の言葉を嫌う風土がありますよね。このときは、前に神戸に住んでいたこともあり、約一週間で完全に関西イントネーションに戻したと思います。やればできるもんです。
何度か引越すうちに子供は切り替えが早くなります。その後、広島の中学に転校したときも、ほぼ一週間で広島弁になっていました。そんなわけで、方言に関してのヒアリングはちょっと自信があります。英語はまったくダメですけどね。
大人になって、CMの仕事について、「ピッカピカの一年生」という小学館のTV-CMシリーズを11年間担当することになります。もうすぐ小学一年生になる日本中の子供たちが、テレビに出てきてご挨拶するあのCMです。これは、まさに日本中の方言を発掘する仕事でした。いろんなところへ行きました。夜、はじめて降りるローカル線の駅を降りると、まず、駅前のラーメン屋のおじちゃんや、スナック「さゆり」のママさんから、方言の指導を受けました。子供たちからもいろいろ教えてもらいました。ちょっとしたプチ方言評論家になってましたかねえ。
瀬戸内海の小島で、幼稚園の園長さんに取材したときの会話。
「この地方の方言を教えていただきたいんですけど、お時間いただけますか。」
「いやあ、ここらにゃ、いまごら、方言はありませんけん。」
「あ・・・・・、そんな感じで十分です。」
当時もテレビなどの影響で年々方言は減りつつありましたが、どこに行ってもこれくらいは十分残ってました。ていうか、お年寄りが本気で方言でしゃべるとまったくわからないことがよくあった気がします。
あの頃に比べると、日本中ずいぶんと標準語化しちゃった気がするけど、やっぱ方言は地方の個性だし、なくならないといいなと思いますね。
2006/1
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