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2022年3月

2022年3月29日 (火)

21世紀の悪魔

このスペースに、あんまり難しいことも書きたくないし、あんまり難しいことを書く能力もないのですけど、このところ東ヨーロッパで起きている事件と、その報道に対しては、本当に毎日憂鬱で、その首謀者の顔が浮かぶたびに、怒りが込み上げます。いずれにしても、極東のアジアに暮らす一老人としては、なんのなす術もなく、その無力さに打ちのめされています。

Putin



そもそも、ここに至っている国家間の国際的歴史的背景も、よくわかっていないのですが、一人の独裁者の独断で全てのことが起こっているであろうことは想像できます。
動機はともかく、あくまで一方的に始まった侵攻は、完全な破壊行為であり殺戮行為であります。であるのに、なぜ国内世論も含めた国際社会は、それをやめさせることができないのでしょうか。
国連の安全保障理事会で、さんざん顰蹙を買って世界から制裁を加えられても、NATOから総スカンを食らっても、自国でデモ隊が猛抗議しても、この独裁者はむしろ意固地になっているのか、眉ひとつ動かしません。あれほどの人の命を奪い、街を破壊し、この上、この人のこの頑なな態度は、果たしてなんなのでしょうか。
大国の最高権力者の間違った判断から、引くに引けなくなったプライドなんでしょうか。であれば、実に迷惑千万です。すでにミスが重なり、身動きが難しくなったことで、化学兵器や核兵器のことをちらつかせているそうですが、言語道断です。一刻も早くこの犯罪者の身柄を拘束して欲しいです。
ソ連崩壊の後、長きに渡り、この難しい大国の舵取りを無難にこなしてきたかどうか知りませんが、これまでの功績は、自らぶち壊したようなもんです。
第二次世界大戦中、レニングラード包囲戦でのドイツ軍による900日に及ぶ包囲によって、多くの市民が犠牲になり、自身の身内も失った恨みが根底にあって、それがトラウマになっていると何かで読みましたが、それであれば、今まさにキエフに対して、全く同じことをしようとしているわけで、完全に狂っているとしか思えません。
そして、他国への侵略を正当化するために、誰にでもわかる嘘の上に嘘を重ねています。世界中にネットが張り巡らされ、ここまで成熟した情報化社会に子供だましのようなフェイクニュースを通用させようとしているなら、ちょっと信じられません。
よく云われることですが、残念ながら歴史は繰り返されるようです。
大国のエゴイズムに端を発する侵略は、我々の歴史上、何度となく起こっています。
20世紀の初頭に起こった大戦は、領土問題や植民地の利権を巡り、世界中を巻き込んで第一次世界大戦になりました。その火種の消えぬ間に、ヨーロッパにはナチスドイツが出現し、戦火は拡大して第二次世界大戦が始まります。
そして、私たちの国も大きな過ちを犯します。中国大陸の東北地区に軍隊を派遣して戦争を起こし、満洲国を建国して傀儡政権を樹立させます。この建国に対して、当時の国際世論は真っ向から反対を唱えました。今まさに東ヨーロッパで、あの権力者が仕掛けていることに酷似していますね。
その後、遠いベトナムで起こった政変にも、大国は軍隊を投入しました。ベトナム戦争はやがて泥沼化し、現地にも遠い大国にも大きな犠牲を強いることになります。
どの場合も、それは、大国の指導者の決断で、軍事は導入されましたが、結果、多くの尊い人命を失い、国家財産を奪われます。歴史的に、決断を下した指導者が英雄になることはありません。むしろ、苦い不快な汚点になって人々の記憶に残るだけです。

以前引用しましたが、司馬遼太郎さんの講演録にあった文章を再記します。
軍事というものは容易ならざるものです。孫子が云うように、やむを得ざる時には発動しなければなりませんが、同時に身を切るもとでもある。国家とは何か、そして軍事とは国家にとってなんなのか。国家の中で鋭角的に、刃物のようになっているのが軍隊というものです。

20世紀に、人類は多くの失敗を重ね、多くを学習したはずですが、21世紀に、またしてもわけのわからん国家元首が現れて、同じことを繰り返しているわけです。間違いなく云えることですが、今毎日ニュースに出ているこの不快な独裁者は、世界中の人々の忘れてしまいたい記憶として、歴史上の汚点として、名前を残すことになるでしょう。

2022年3月13日 (日)

手書きの手紙

この前、年賀状のことを書いていて、ふと思ったんですけど、そういえば今は、昔に比べて手紙という手段をわりと使うようになっているわけで、まあ多くは、メールとかLINEとかのことなんですけど。
私たちが若かった頃はそういうものはなくてですね、何かを伝えたい時には、ともかく電話の時代でした。そんですべてが固定電話ですから、お互いが居る場所にかける、居なければ伝言を残してかけ直してもらったり、留守番電話に吹き込んだりしてましたが、それでも、いつ手元に届くかわからない葉書や手紙よりは、確実に用件が伝わっていたわけです。途中でFAXというものが登場して、これがなかなか便利だったんですけど、これに関しては、用件が相手に届いたかどうかが確認できないという弱点がありまして、まあ、電話の場合も、言った言わないということもあるんですけどね。
私、若い時にやっていた仕事が、テレビコマーシャルの制作進行でしたから、毎回かなりの数のスタッフに、たくさんのことを相談したり、連絡をしたりしなければならなくて、基本的には大人数のスタッフを一箇所に集めて打ち合わせするんですけど、そこでこぼれる話は、個々に会ったり、電話してフォローするんですね。そういうことを繰り返してますから、スキルとしては、ともかく相手を捕まえる能力と、話をする能力が鍛えられます。先方にこちらの意図を、ある精度でいかに短時間で伝えられるかを、いつも試されているわけです。
そういうことなんで、キャラとしては、なんだか妙にしゃべくり上手な芸風になっていくんですね。
ただ、この業界は、忙しい人はメチャクチャ忙しくて、そういう方とは、なかなかゆっくり打ち合わせもできないみたいな側面もありまして、お会いしたり電話する前に、あらかじめ伝えたいことを手紙にして届けておくということをするようになります。この手紙は、文面のわかりやすさと文字の読みやすさも大事な要素になり、これの良し悪しが、その後の打合せの精度に影響したりします。これは、こちらの頭をあらかじめ整理しておく意味でも有効なわけです。
手紙というのは、こちらが伝えたいことを、ある程度落ち着いて受け取ってもらえるツールだし、いろいろなニュアンスを織り込むこともできます。面と向かって熱く語りながら、早急にものごとを前に進めてゆくのも良いのですが、手紙を託したり、受け取ったりしながら意図を伝え合うのも、悪くないコミニュケーションではあります。
もっとも、ご存知のように今の時代、伝達のとっかかりはメールとかLINEとかですよね。まず話すんじゃなく、何らかの文を読んでもらうことからやりとりが始まる。全員スマホを持っていて、いつでも直接本人に電話はつながるんだけど、相手がすぐに話せる状況かどうかもわからないから、まずメールして要件を伝えることが多いですよね。急いでる時は、いきなり電話することもありだけど、まあいろいろコミュニケーションの選択肢も増えているわけです。隣の席なのにメールしてる人もいますよね。


それはそれとして、仕事に限らずですけど、たまに手書きの手紙をいただくと、なんだか嬉しい心持ちになりますね。例えば、尊敬する目上の方などから、達筆のていねいなお手紙いただいたりすると、ほんとに感激します。その方の筆跡に、それを書いておられる時の、空気感すら読み取れる気がするのですね。
そんなふうに感じているものですから、自分でも、何か気持ちを伝えたい時とかには、なるべく手書きの手紙を書くようにしておりまして、しかしながら、昔から字を書くのは下手くそで、なかなかの悪筆なものですから、多分、パソコンで打って印刷した方が、よほど体裁も良いのですけどね。

まあ、この歳になれば、これから鍛錬しても急に上手になる気もしませんし、字面というのはある意味個性だという話もあるし、これも味ということで、、、などと自己弁護しております、はい。

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