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2016年9月

2016年9月20日 (火)

「新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会」のこと

プロ野球シーズンも終盤に差し掛かりまして、半年かけたペナントレースで優勝するというのは、それでなくても盛り上がるもんですけど、今年の広島カープの優勝に特にスペシャルな嬉しさがあるのは、それが25年ぶりであるということでして。25年前と云えば、1番-田中広輔、2番-菊池涼介、3番-丸佳浩の同い年俊足トリオが全員2歳だったりするわけですから、ずいぶんとためがあるんです。

だいたいこのチーム、1975年の初優勝の時も球団創設から25年かかっておるんですが、ただ、1975年から1991年までの16年間には6回優勝しているんだから、この頃は結構強かったわけです。そのあと25年間優勝できなかったのは、やはり資金を持たないチームの辛さでして、ちょうど1993年から導入されたFAシステムの影響で、主力選手が他チームへ移ってしまったり、かといってFAでの補強もできず、また、その頃ドラフトに逆指名制度が導入されたのも、このチームにとっては逆風になりました。チーム力低下に伴い、順位も下がり、観客動員も減り続け、球場の老朽化などもあって、しばらく冬の時代が続いておったわけです。

ただ、このアゲンストの時代、球団は手をこまねいていたわけではありません。もともとこのチームは資金がない分、新戦力を探してくるスカウト陣には定評があり、全国のアマチュア、海外の選手などを発掘し続けます。そして、その原石を磨きに磨くわけです。ともかく、カープの普段からの練習量は半端じゃなくて、昔、金本さんがカープから阪神に移籍した時に、そのタイガースの練習量の少なさに驚愕したと云います。

そして、一定の強化を続けるうちに、2007年に発覚した複数球団の裏金問題で、逆指名制は廃止となり、このあたりから逆襲に転じる契機となります。

球団も色々とファンサービスを工夫しまして、徐々に球場に観客を呼び戻し始めました。資金のこともあり、ドーム球場はできなかったけど、本場のボールパークのような魅力的なマツダスタジアムを完成させ、そこにアイデアあふれる観客席も作りました。

そんな苦労が少しずつ報われ、このところ少しずつ順位も上げて、何年か前からカープ女子などと呼ばれるおねえちゃん達も現れて、なんか盛り上がってきたところです。ちょっと前の東京ドームで行われた巨人×広島戦などは、満員の客席のほぼ半分は真っ赤で、東京にこんなにカープファンがいたのかと思えるほどの社会現象となっております。

そして、この数年少しずつ膨らんできた優勝への機運を一気に盛り上げ、その選手たちやファンの精神的支柱となったのが、黒田博樹投手です。さんざん語られていることですが、2007年に大リーグへ渡ったこの人が、一昨年、何10億と云われる大リーグのオファーを断り、広島と推定4億で契約して帰ってきたことは、ずいぶん大きな出来事でした。

彼は1997年に入団し、2007年までに103勝してチームのエースとなりますが、その間チームは低迷します。FA権を取得して2年目、悩む黒田が大リーグ挑戦を決めた後の囲み取材で、

「広島が常勝軍団だったら、ことは違っていたのか?」という記者の質問に、目を真っ赤にして、

「・・・・・・。大リーグ行きはないと思います。」と答えました。

そして、もし日本に帰って来ることがあれば、必ずカープに帰って来ると云います。

そして、ドジャースとヤンキースで合わせて79勝して、本当に帰ってきたわけです。

いや、多くは語らないけど、かっこいいです。マスコミは男気黒田と云ってはしゃぎ、カープファンは痺れました。その1年目、黒田は11勝の奮闘をしましたが、ペナントレースの成績は4位に終わります。1975年生まれの、ちょうど40歳になっていました。その黒田が、来年もやると云いました。泣けるよなあ。そこで迎えたのが今シーズンだったんですね。ファンもナインも燃えます。

そして、もう一人、攻撃の中心となったベテランに新井貴浩選手がおります。この人もある意味結果的には、優勝への精神的支柱になるのですが、ちょっと黒田とは事情が違っているんですね。

この人は1999年に入団して、2007年までに987安打を放ちチームの中心打者となっていました。しかし、チームは低迷期であり、優勝できるチームで活躍したいと願い、黒田と同じ時にFA権を行使して阪神に移ります。この時の記者会見で、

「辛いです。カープが好きだから・・・」と云って、ポロポロと涙を流しました。

黒田が海を渡ったのに比べ、新井は同じセ・リーグの阪神に行きましたから、カープファンからは野次られたりもしました。そして阪神にいた7年間はヒットも打ちましたが、腰痛に悩まされたりもして、けして万全ではありませんでした。結局優勝もしてません。

2014年、新井阪神最後の年、成績は、176打数43安打3本塁打31打点、打率.244でした。大幅減俸通告を受けた新井は、球団に自由契約を申し入れます。

この時、右打ちの長距離打者が補強ポイントであった広島が、獲得に動きました。阪神が提示した年俸7000万を下回る2000万という広島の提示を、新井は即決で受け入れます。広島は生まれ故郷でもあり、自分を育ててくれたカープで最後はプレーしたいと思ったのでしょうか。この時38歳。そして、帰って来た新井をファンは黒田と同じように、お帰りと云って暖かく迎え入れます。

そこから今年にかけての大活躍は、すでにご存知の通りなんですけど、実はこの人が8年ぶりに帰って来た2015年2月の日南キャンプで、ベテランの石原を中心に後輩達が焼き肉屋で、新井さんのことを招待した飲み会があったんですね、。この会が、

「新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会」という名前の会だったそうです。

かつて自分から出ていって、選手として盛りも過ぎて、結局優勝も経験せず、ノコノコ帰って来た負い目もあったかもしれないけど、新井はこの会ですごく楽になったみたいです。仲間のユーモアに救われたということでしょうか。そして、そっから死ぬ気で鍛えに鍛えて、復活を果たしました。

このチームの25年ぶりの優勝という大きなストーリーには、2007年に出ていって2015年に帰って来た、ややとうの立った二人のベテランの、それぞれのストーリーが、少なからず作用していたわけであります。

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私は阪神ファンで、新井選手が阪神で不調のときは、ヤジり倒しておりましたが、広島に帰ってからの別人のような活躍と優勝への貢献は、素直に嬉しかったし、胴上げで黒田が泣いた時は、オジサンも泣いたです。

そういえば、昔、阪神のエースであった天才江夏は、優勝せぬまま球団を追われ、4年後に広島でストッパーとして、初のリーグ優勝と日本一を成し遂げたのでした。又、2003年に18年ぶりに阪神が優勝できたのは、広島から金本選手が来てくれたおかげでした。

野球というスポーツを見て、得られる感動というのは、つくづく感情移入できる選手の活躍だなと思いますね。

このところの阪神には感情移入できる選手がなかなか少ないのですが、金本さんが監督で帰ってきてくれて、時間かかってもよいので、ちゃんとチームを作ってくれることを期待しています。今年はとりあえず最下位くさいけど、近い将来ということで。

 

 

2016年9月 1日 (木)

萩・津和野 うたた寝旅

仕事のせいか、旅をするということには、わりと慣れておりまして、結構いろんなところへ行った記憶があります。最近は現場を離れているので、それほど彼方此方と行くことはありませんが。

昔は、時刻表を片手に聞いたこともない駅に降り立ったり、トランジットの時間がギリギリになった飛行場を全力で走ったり、自分で車を運転して1000km以上走破したり、思えばいろんなことをしておりました。

仕事での旅の目的は、ロケハン・ロケ・シナハンなど、大勢で行くことも一人で行くこともあり、よく調べてから出発する場合もあれば、急に飛ばされることもよくありました。だもんで、習慣的に旅の支度は早くてですね、長い旅でも短い旅でも、支度は出発の当日か前夜にチャカチャカとやってしまいます。チケットやパスポート以外は、たいていのことはいざとなればどうにかなりますしね。したがって枕が変わって眠れないということも全くなく、大嫌いな飛行機でも2~3杯飲んだら爆睡できます。まだ不慣れな頃、初めてハワイ便で好きなだけ飲んでいいですということがあって、本当に好きなだけ飲んで大変な思いをしたことがありましたが、気圧が低いと悪酔いすることも知らなかった頃のことです。

そういうことで、旅と云えば仕事がらみのことがほとんどだったんですが、このところは、たまにプライベートな旅にも行くようになってきました。私用だったり、家族旅だったり、仲間旅だったりしますが、そのなかで、7~8年前からたまに思いついた時に行く男三人旅と云うのがあって、ちょっと恒例化しております。「大人の遠足」とか云って、いつも2泊くらいの旅なんですけど、このメンバーで今度はどこそこ行こうかとか云いながら、飲んで盛り上がるんですね。まあ言うだけで実現しないのも多々あるんですけども。

このお二人と云うのが、S山さんとY田さんと云って、かつて一緒にいろいろお仕事した方たちなんですが、私よりも6歳ほど年上の大先輩で、二人は昔から大の仲良しなんですね。まあ、私からすると、仕事を教えて頂いた方たちなわけですが、初めて会った時は皆20代でしたから、ずいぶん長いお付き合いということになります。

そういう関係性ですから、行き先が決まると、よし、じゃさっそく準備しようとなるのですが、振り返っても誰もおりません。飛行機の手配したり、車借りたり、宿を予約したりは、私がやります。かつて3人で仕事していた時も、それやるのは当然、私の役目でしたから、ほかの二人がそれやるのは、むしろ不自然なことになるわけです。誰か私より若輩な者を加えることも考えたんですが、なかなか適任者も思いつかず。そんなことで、この会はこの三人で行くのが決まりとなっております。

どんな旅かと云うと、たとえば「静岡しんこ計画」「気仙沼ほや・さんま計画」「2月の近江路、発酵食品を訪ねる」「古都、桜と筍」「南淡路、鱧と玉葱の鍋」「平城遷都1300年、義経、西行、太閤の千本桜の旅」「屏風『親鸞』拝観」「唐津、焼き物探索と鮨」「長崎ぶらぶら旅、餃子」「カープがんばれ応援ツアー」「師走京都、ふぐ、ぐふふ」など、若干、食べ物への下心が見え隠れしますが、大人の好奇心を満たす内容となっておるのです。

今回、久しぶりに、夏どっか行こうかということになり、計画いたしましたのが、萩・津和野への旅、こちらには三人とも行ったことがなかったんですね。皆こういう仕事してるし、ベテランだし、結構いろんなところ行ってるんですけど、まあ、行ってない場所というのはあるもので、かなり有名なところではあるんですが、初見参となりました。

幕末に倒幕へと爆走し、維新を推し進める上で大きな役割を果たした長州藩の中心地である萩と、そのすべての始まりとなった松下村塾というところへ行ってみましょう。それに、津和野に流れる高津川には天然の鮎もいらすようですし。みたいな話から始まり、行ってみることになったわけです。ここでも鮎の存在が見え隠れしますけど。

旅はまず津和野に入り、肝心なことからやっておこうというわけじゃないですが、天然鮎にお会いすることから始まります。地元のお酒などもいただき、宿の近くに3軒ほどあったスナックを覗くと、ほかに客はおらず、ママさんが相当おしゃべりな人で、その話を聞いてますと、ご主人がこの街に1軒だけある骨董屋の親父である事がわかります。

で、翌日に行ってみました骨董屋さん。いや、世の中には面白い人がいるもんで、このオヤジ、と云っても私と同じくらいの歳なんですけど、若い時から集めに集めた骨董品の山の中からあらわれました。いろいろ話し込んでいるうちに、店には出していないお宝の陶器というのを二階から数点だしてきて見せてくれたんですが、値は付けられないけどおそらく数百万とかで、確かにそう言われてみると、なかなか見事なお宝でして、すっかり目の保養をさせていただいたわけです。

そんなことしながら、萩の方へ移動しまして、いろいろと名所旧跡を訪ねようと、まず、そば屋で一杯やりながら作戦を練ったんですね。ただ、西日本は、この日、一番の猛暑日でして、外を歩いてると立ち眩みするほどなんですね、皆60才超えてるし。で、タクシー会社に電話したら、2時間コースでいろいろ連れてってくれて、解説までしてくださる方がいらっしゃるとのことで、即、お願いしたわけです。

そしたら、そのそば屋まで迎えに来てくださいまして、まず、松陰神社、松下村塾から始まりました。このガイドさんは、すでにおじさんなんですが、おそらく子供の頃から萩で教育を受けられ、いかに吉田松陰先生が維新において重要な役割を果たしたか、また松下村塾で講義を受けた多くの弟子たちが、若くして国づくりの中心になって働いたことなどを、いつも聞かされて育ち、この萩という地にすごく誇りを持たれている方と思われます。2時間ほど、車で市内をあちこちと移動し、車を降りて炎天下の萩の街を一緒に歩きながらいろいろと解説をしてくださったわけです。

いや、やはりためになったと云うか何というか、あの掘っ立て小屋のような松下村塾から、明治という国家を作った多くの人材を輩出したことなど、実際に街を歩きながら聞かせていただいた話には、実にリアリティがありました。150年も前の話というよりは、まだ150年しか経っていない話の実感というのか、そんなことを三人とも感じ入っていたのですが。この学習コースも終わりに近づいた頃、炎天下の疲れも出られたのか、二人の先輩は軽い鼾とともに、心地よい眠りに落ちて行かれました。ガイドさんが

「話がちょっと難しかったかなあ。」と云われたので、

「いえ、そんなことありません、ちょっと旅の疲れが・・前半はちゃんと聞いてましたから。」などと申し上げたようなわけです。

しかし、この会を始めた頃から比べると、みんなよく寝るようになりましたね。宿でもどこでも、隙あれば寝てます。昼酒飲めばイチコロだし、うたた寝、昼寝は得意技ですね。みなさん、それなりの年齢だし。まあ、気持ちよくうたた寝できるのは、いい旅してるってことでしょうか。

ともかく、元気でなによりです。さて、次はどこ行くかなあ。

Utatane

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