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2015年1月

2015年1月22日 (木)

お酒は20歳を過ぎてから

私事ですが、この前、倅が成人の日を迎えまして、親として何をするわけでもないのですが。その日、彼はネクタイを締めて、出かけて行きまして、仲間と騒いで、夜中に帰ってまいりました。

娘の方は、4年前に、振袖着たところを、写真に撮った記憶がありまして、うちの子は二人とも成人になりました。歳月を思えば、20年ですから、かなりの時間を要しているのですが、男親というのは、肝腎な時にはおらなかったりもして、何だかあっという間な気もします。

この国は少子化が進んでおり、この先、18歳で選挙権を、ということにもなってきそうですが、その場合、18歳で成人ということになるのでしょうか。武士の時代の元服を思えば、昔はもっと早かったわけで、それはそれでありかと思うんですが、何をもって大人とするかというのは、多分にそれぞれの気分的なものではあります。

自分が20歳の頃には、大人になんかなりたくないぞ、とうそぶいており、その割には、10代の頃から酒もたばこもバリバリにやって、粋がっておりましたから、世間から見ると、めんどくさい若造だったように思います。

今の若者も、20歳前から酒を飲んだりしていますが、倅や娘を見ている限り、多少失敗はしていますが、たいしたことはないですよね。

自分達の頃は、男子、大人になったら、酒、煙草という時代でしたし、他に娯楽もあまりありませんでしたから、何かっていうと酒飲んでましたね。筋金入りに酒飲む大人も、まわりにいっぱいいましたし。

でも、なんであんなに飲んでたんでしょうか。若い頃の飲み方は、本当にどうかしていましたですね、我ながら。

学生の頃はだいたい貧乏してますから、そんなには飲めないんですけど、仕送りが来たり、友達に仕送りが来たり、バイトのお金が入ったり、博打に勝ったりすると、ドカンと飲むんです、まあその程度です。

働き始めると、多少お金の融通は利くようになるんですけど、自由になる時間がなくなって、短時間でのストレス解消としては、なにかと飲むことだったりして、寝る間を惜しんで飲んでましたね。

夜中に飲める場所を探しては、明け方まで飲むわけです。仕事場のあった新橋は、だいたい終電には店が閉まってしまうので、原宿や六本木や青山や新宿あたりで、引っ掛かっていることが多かったです。仕事の流れで、一緒に仕事をしている人たちと、飲んで語ったり騒いだりなのですが、誰もいない日は一人でもどっかに引っ掛かってました。まあこうなると、一種の習慣ということになります。

それに、自分は若い時から、なぜか酒と船酔いにはやたら強くて、飲んでもなかなか酔わないんですね。そこで、けっこうなピッチで飲むわけです。 空腹で酒飲んだ方が効くんで、食べ物は食べません。私の席だけ割り箸が割られていないということがよくありました。このあたりから、ある種、悪循環になって、ますます酒が強くなるわけです。

そんなことで、やたらと強い酒を飲むようになりまして、バーボンなら、ワイルドターキーやI.W.ハーパーをロックで、ラムならロンリコ、ジンならボンベイ・サファイア、ウォッカは、スミノフやストリチナヤなんかで、唐辛子入りウオッカというのもあったなあ。ともかく、度数の高いのをガンガンいくようになります。

基本的に昼間は働いていて、だいたい夜遅くまで働いてるし、出張もよくあって、休みの日も働いてることが多かったし、仕事が終わると、たいてい酒場にいましたね。寝不足が続くと、そのままどこかのバーで眠ってしまうことがよくありました。あちこちのバーにツケがたまります。

そういう暮らしで、タバコは日に40~50本吸ってましたから、ほんとに不健康でした。若かったとはいえ、それで風邪ひとつ引きませんでしたから、よっぽど身体が丈夫だったんだと思います。一日メシ食べそこねて、そのまま夜バーで飲んでたりすることもあって、その頃、ビタミンとかも酒から摂ってるんだという冗談も笑えませんでした。病気はしませんでしたけど、痩せてましたね、顔色も悪かったですし。

そんな1990年頃でしたか、中島らもさんという作家が、「今夜、すべてのバーで」という本を出したんですけど、これがアルコール中毒を題材にした物語で、らもさんが実際にアル中になった体験が元になっているので、すごく描写がリアルな小説で、本としてはよく書けてるんですけど、これ読んだ時すごく怖かったんですね。

で、気が付くと、私も30代半ば過ぎてきてるし、ちょっと反省したんですね。調子の悪い時は手が震えることもあったし。思えば、酒のことではそれまでにいろいろ失敗もしてるし、ここには書きませんけど。酒飲むのは飲むとしても、もうちょっと何とかしなきゃと思ったわけです。

もっとも、もうすでに人の一生分の酒は飲んでしまった気もしますし、もう飲まなくてもいいようなもんですが、煙草もやめたし。ただ、10代から飲み続けてここまで来ると、酒やめた人生ってどんなもんなんだろうか、ちょっと想像つかないところがあるんですね。昔みたいに、酒飲まないで寝ると、すごく恐い夢見たりすることはないですけど。

Bar_2

まあこれからは、美味しくお酒をいただくということをテーマにして付き合っていこうかと思っております。お料理に合わせたりとか。

もういい歳ですから、ほんとに。

お酒は20歳を過ぎてからって言いますけど、20歳過ぎたからといって、お酒の飲み方は気をつけましょうよね。

2015年1月 5日 (月)

1996「トキワ荘の青春」

昨年11月に、目黒シネマという昔からある映画館で一週間ほど、「市川準監督特集」が、開催されました。

早いもので昨年の9月が、市川監督の7回忌にあたり、また、8月には市川組の名キャメラマンであった、小林達比古氏が亡くなられており、それは、お二人を追悼する上映会でありました。

お二人が作られた「病院で死ぬということ」と「トキワ荘の青春」を観ましたが、あらためて、どちらも名作でした。そして、最近では少なくなったフィルムでの上映であり、お二人が愛されたフィルム上映のしっとりした味がよく出ていました。

実は、この「トキワ荘の青春」という映画に、私は不思議な関わり方をしておりまして、1996年の公開以来18年ぶりに見せていただいたのですが、懐かしさとともに、いろいろ確認したいこともございました。なんというか私この映画に出演しておりまして、しかも、けっこう重要な役で、たくさんセリフもあったりしてですね。最初に市川さんから電話をいただいたときには、真顔で、「それは、無謀です。」と申し上げました。

だいたいどういう理屈か意味もわかりませんし、でも、思いとどまっていただこうと、いろいろ話してたら、市川さんが怒り始めて、

「そんなことはわかってる。だからさんざん考えた上で頼んでるんだ。」

とおっしゃいました。そういう空気になると、前々から尊敬している監督だし、意味わからないなりに、

「わかりました。」と云うしかなかったんですね。

市川監督とは、その少し前から、CMの仕事をご一緒してたんですが、市川さんは、すでにCM業界から才能を見出された映画監督として、有名になられておりました。

私は、その前年に市川さんが撮られた「東京兄妹」という映画の時に、その作品のなかに出てくる遺影の役で出させていただいたことがあって、遺影の役って言葉的に変ですけど、その時何枚か写真を撮っていただいて、映画のなかにその写真が出たことがあったんですが、映画の経験はそれしかありませんでした。

そうこうしてるうちに、映画「トキワ荘の青春」の撮影は、はじまりました。

この映画は、実話をもとにしていて、昭和30年代にトキワ荘というアパートに集った漫画家志望の若者たちを見つめながら、彼らのなかから、売れっ子の漫画家になっていった者や、漫画雑誌という新しいメディアのなかで、埋没していった者など、さまざまな青春模様を描いています。

時代考証がかなり厳密にされていて、美術も衣装もていねいに作られており、フィルムのタッチも流れている音楽も、まさにその時代が再現されています。この中で私がする役は、トキワ荘の若者たちと関わる雑誌編集者の一人なんですけど、かなり重要な役なんですね。ほんと、参ったんですけど。

ただ、こうなったら四の五の言ってる場合じゃないですから、まわりのスタッフや、いっしょに出てる役者さんに迷惑をかけないことを、肝に銘じてやるしかないわけです。まあ、これは映画ですから、最終的に出来上がったものは監督が責任取るわけですから、ハイ。と、開き直ったわけです。

自分のことは置いといて、18年ぶりに観た映画は、本当にいい映画でした。昭和30年代というあの懐かしい時代に、漫画家を目指した若者たちの静かな情熱が、たんたんと描かれています。そして、それはまるでドキュメンタリーのようでもあります。

主役の寺田ヒロオさんを演じた、本木雅弘さんの抑えの利いた演技がすごくよくて、でも当時有名な役者さんは本木さんだけで、ほかの漫画家たちは、藤本弘役の阿部サダヲも、森安直哉役の古田新太も、鈴木伸一役の生瀬勝久も、その頃の小劇場の若手の有望株でしたが、一般には知られていない無名な若者たちでした。大きな声で目立った芝居をする人も誰もいません。声が小さいのは、その頃の市川準監督の映画の特徴でもあります。

それと、ドキュメント的な作りなので、カットを割りません。だいたい引き画の1カットでシーンが構成されていて、これ、引いた画が多くて、役者は声小さくて、監督が同録の音にこだわる人でしたから、録音部は毎回死ぬ思いして音拾ってましたね。美術も衣装も照明も、一事が万事そういった細やかな作りで、ラッシュ見ると、くすんだいいタッチなんです。音のトーンも画のトーンも、そうやって丁寧に丁寧に抑えて作られていて、なんていうか見事な市川節になってるんですね。ほんとにしぶとい方でしたから。

たぶん監督は、この時代のトキワ荘で起きた出来事を風景のように撮りたかったのかもしれませんね。作り込んだドラマというよりは、そこで起きたことを、ただ客観的に見てきたように。

そう考えると、主役の本木さんはともかく、出てくる人たちはその頃の市井の人々の顔にしたかったのかもしれません。そういう方針のもとに作られたとしても、私が出していただいたことが、この映画の役に立っているのかどうかは、結局よくわかりませんでした。18年ぶりに確認してみようと思ったんですが。

もっとセリフもちゃんと言えて、適任者がいたのではないかとは思うのですが、すでにこういう形で完成してるのですから仕方ないですね。やっぱり開き直るしかないです。たとえ監督があのキャスティングだけは失敗だったなと思っていたとしてもです。

当時、恐ろしくてそんなこと聞けませんでしたし。

ただ、あの名作の出演者に名を連ねていることは、ともかく誇りであります・・・汗。

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