かつて、CMにチャンネルをあわせた日
「CMにチャンネルをあわせた日 杉山登志の時代」という本があります。1978年の12月に第1刷が発行されています。私は1977年からCMの制作会社で働いており、この本は出てすぐに買った気がします。当時CMの業界で、杉山登志という名を知らない人は、誰一人いなかったと思いますし、彼のことをCM界の黒澤明と言う方もいました。
けれど、私は一度もお会いしたこともなく、お見かけしたこともありません。この本は、1973年の12月に37歳で自死された杉山登志さんを追悼する意味で、その5年後に出版された本だったんです。1973年に私は上京して大学生になっていましたが、この年の暮れに広告業界を震撼させた杉山さんの事件のことは、曖昧な記憶しかありませんでした。
そしてこの世界で働き始めて、杉山登志という人が、CMとその業界の人々に、どれだけ影響を与えた人であったかということを、おもいきり知らされることになります。彼が、1961年~1973年の短い期間に作ったCMが、CMというものの価値すら変えてしまったことが、当時、限りなく素人に近かった私にもよくわかりました。
この本は、PARCO出版から刊行され、アートディレクターの石岡瑛子さんが編集にかかわっておられます。本の中には、彼の数々のヒットCMのカットが、カラー写真でちりばめられ、それは私が子供のころからテレビでみていた印象深いCMたちでした。その写真を見ているだけで、この人がどれほどの達人であったかがわかります。そして、その仕事を一緒にしていたスタッフの方や、彼とかかわりのあった同業者の方たちが、たくさん追悼の文を載せておられます。あらためてその方たちの名前を見渡しますと、本当にこの道の一流の方たちです。
私がこの方たちと、同じ業界で働いているのだと云う認識が宿るのは、ずいぶんと後になってからのことで、その頃は制作現場の末端をただ駆けずり回っているだけでした。でも、少しだけ仕事というものが面白くなり始めた頃でもあり、この本は熟読しました。
若造の理解力には限界がありましたが、読み返すほどに、この人が、いかに凄まじいエネルギーを発した天才であったかと云うことが感じられました。
その後、かつて杉山登志さんとかかわりのあった方々と、次々に知り合うことになり、いろいろなことを教えていただきました。残念ながら、直接存知あげなかったけれど、僕らはずっと、間接的に影響を受けていたと思います。
ついこの間、「伝説のCM作家 杉山登志」と云う標題の本が出版されました。彼の残した仕事や、その時代、その死の謎などが、すでに半世紀前のこととしてあつかわれている興味深い本です。この本を読みながら、かつての「CMにチャンネルをあわせた日」をもう一度読み直したいと思ったんです。
ただちょっと問題があって、本は私の手元にあるんですけど、かなり破損してしまって、読めない箇所がかなりあるんです。
どうしてそういうことになったか、若干説明がいるんですけど。
あの本を買った頃、私の部屋は本が増え続けており、ほんとに本の置き場所に困ってたんです。その後、六畳一間のわりには眺めのいい広いベランダがついた部屋に越した時、ダンボールに詰めた本をベランダに山積みにして、撮影用のビニールシートでグルグル巻きにして置いといたんです。それからしばらくして、仕事で2週間くらい海外に行ってたときに、留守中に台風が来たらしく、帰ってみたら、グルグル巻きのビニールの下の部分が完全に水に浸かり、でかい金魚鉢のようになっていました。運悪く一番下の箱が写真集関係になっており、私の大切な「CMにチャンネルをあわせた日」は水中に没してしまったんです。本の中の、写真の印画紙の部分は紙が張りついてしまって剥がれず、無理に剥がすと破れてしまいました。完全にアウトです。
最近になって、Amazonで古い本が探せるようになって、何度か検索したんですが、見つからずそれも諦めていました。ところがこの前、会社のO君と話していたら、「日本の古本屋」というサイトがあって、これがかなりすぐれものだと云うんです。O君は、なんだかこの前から自分のルーツを探っていて、それに関して相当重要な古文書を見つけたと言ってます。不思議な人なんですよね。
で、すぐに見つかったんです、「CMにチャンネルをあわせた日」。大泉の方にある古本屋さんだったんですけど、丁寧に梱包して送ってくださいました。いや、嬉しかったですね。
いま読み返してますが、この本は私にとって、この仕事とは、みたいなことを、はじめて語りかけてくれた本だったと思います。御存命であれば、長嶋茂雄さんと同年になられた杉山登志さん、緊張するけど、お会いしてみたかった方です。
でも、お会いできてたら、この本とは会えていなかったということなんでしょうか。
コメント